8番倉庫

長文置き場

金カム185話「再会」感想

教えてくれないのか?

ああああ~~~ッ。何…この…胸が…胸が苦しい…!尾形が頑張ってる…!
前回「どこまで行っても個」「だから立場が誰よりも弱い」「それほど恐るるに足る存在なのか」等々言いましたが、隠し事は確実にしているものの、想像をはるかに超えて真摯に膝を折って語りかける尾形の姿に、なんか胸がいっぱいになってしまった…。嘘でも、問いそのものは一生懸命言ってる感じがした…。
白石や杉元と同じで、自分はこの金塊争奪戦で戦ってきたぶんの分け前が少しあれば満足なんだと。あり過ぎたって災難に巻き込まれるだけだと。まあ上手いというか、無難な言い分ですよね。
その後ですよ。「教えてくれればアシリパもこの殺し合いから“上がり”だ」「コタンに帰って婆ちゃんに元気な姿を見せてやれ」「故郷の山で鹿を獲って自由に生きていけばいい」「そうだろアシリパ…!」そうだよアシリパ;;;;;
いや確実に金塊部分については怪しいから、責任を感じてるアシリパからしたらあっさり頷いちゃダメってことは分かってるんですけどね。尾形が金塊をどうするつもりなのかまだ分からないけど、おそらくそこにはでかい話が待ってるんだろうなってことも今回感じた。
でもアシリパだけが持ってた金塊の鍵を他者に教えれば、彼女自身は危険から逃れられるのは本当。尾形は網走でのインカラマッと同じことをしようとした。金塊が誰かの手に渡っちゃえば安全圏に行けると。それを勧める気持ちだけは、本当だったんじゃないか?
杉元もアシリパが故郷の山で狩りをして自由に生きることを望んでいた。インカラマッも彼女を危難から遠ざけようとした。けど彼らはそれを自分の胸に仕舞って、独自に行動していた。大人として、子供であるアシリパを一方的に庇護する対象にして。それらは彼女を想うそれぞれの願いであり、エゴだった。
アシリパの周りで勝手に起こるその思惑を、本人に伝えて問う役目が尾形だったことは、巡り合わせだけではなくてやはり尾形の性質による所も大きかったと思う。まあ実質的に孤軍奮闘の尾形には、このタイミングとこの状況しかなかったというのも確かですけど。でもその中で出来得る限り一番穏やかな方法をとったのではないかと。ちゃんと尋ねて、膝をついて、お願いした尾形の態度になんかグッときてしまった。
尾形はここぞという時には結局いつも、見上げる側に立ってしまうんだな。自分が正しくないってことを、父上が来なかった葬式の日からずっと分かってしまっているんだ。だから他者への大事な駆け引きが出来ない。“言わせる”じゃなくて“言ってほしい”って無防備に答えを待つ、真剣な問いかけになってしまう。自分の思う通りに誘導するにも、自分に自信がない故に想定した誘導先の答えにも自信がなくて、問いの方が勝つんだろう。勇作殿への問いかけも結局ぜんぶマジのやつだったし…。やっぱ駆け引きド下手くそだなとか、そんなこと可哀想で言えないよ…(言ってる)
“渡したら一抜けして婆ちゃんの所に帰って自由に生きられる”、“アイヌのことはキロランケとソフィアに任せればいい”。尾形がするのはいつも相手自身のためになりそうなものを差し出すこと。学習しないんじゃなくて、それしかやりようがない。孤立した意思の、悲しい程のエゴの無さ、冷たいままの心…愚直さと不器用さ…そしていつもうまくいかないんだね。きっと「お前がそんな重荷を背負うことはない」って言葉には、多少なりとも本当が含まれていたんだろうに。
アイヌのことをキロランケ達に任せるというのなら、何故キロランケから離れたところで聞き出そうとするのかと冷静に問い返された尾形の表情は、少し痛みを感じているようで、しかしそこに驚きはなく…。アシリパが申し出に頷かない可能性を、尾形は諦めのように半ば予想していたと思う。「それが本当にアイヌのためになるのか?」と問いを発したアシリパの態度に少し驚いたような顔をし、それから冷えた眼差しで見つめた時に、彼女がキロランケの目論見通り確実にこの旅で成長していることを、責任という群の役目を持ち始めていることを、察していた。
それでも尾形は真っ向から訊いた。くそ真面目なやつなんだ。小さく屈んで、寒そうに鼻赤くして、じっと問いかける姿はかつてない幼気な雰囲気だし、なんか、あの鳥撃ってた小っちゃい頃から尾形なりにここまで一生懸命生きてきたんだよなあとか関係ないことで感慨深くなっちゃったよね…。かわいそうなやつ。尾形は誰よりも強いけど誰よりもか弱い男だよ。寄生獣の後藤みたいなもんだよ(?)

男・月島

スヴェトラーナが月島専用トラップだったとは…。確かにフクースナの時点で心動かされていたもんな。
そんな場合じゃないと自問自答しつつ、過ぎし日の恋人を彷彿とさせる女の境遇に、思わず無表情が剥がれて激してしまう月島の葛藤。思ったよりしょーもなかった理由聞いてため息つく顔まで含めて、すっごい男の渋さを感じてしまう…軍曹かっこいい…。死ぬ気で覚えたロシア語が人助けに役立ちそうなのも何だか喜ばしい。
数々の修羅場を潜り抜けてきた、ずっと冷静沈着不言実行だった大人の男の、ようやく見せた素。かつてないときめき…これが総選挙三位の実力…!
でもまさか軍曹が一人セパレートされるとは予想していなかったな。ゲンジロちゃんとコイト、話とか合うのかな?(そういう問題じゃない)
コイトはなんか一番素で人殺せる感じで痛快ですね。罪とか悪とかどうでもよくなるな。薩摩は誤チェストにごわす的な豪快なイメージがあるのでコイトもこのまま突っ走るんでしょうか。私的には全然オッケーだと思いますが。
幸次郎パパスも薩摩だし、尾形も薩摩育ちなら誤チェストにごわす!っつってオールオッケーだったのに残念だね(何が?)

不死身の杉元

雪の中現れる杉元にターミネーターのBGMが聞こえた。
めっちゃこわい。
そしてかっこいい。
私杉元についてようやく気持ちの整理がついたんですよ。というのも、杉元って二面性があるじゃないですか。「一生懸命な良い奴」と思おうとすると、実際彼にはそういう好ましい面が確かにあるけども、しかし同時にそれに反する数々の残虐性が脳裏に過ぎって混乱する。脱出のため腸を盗む計算高さとか、悪人の方が躊躇なく皮をひん剥けるという開き直りとか、辺見を判明即滅多刺しにする切り替えとか、偽アイヌ村での頭部破壊に全く躊躇のない虐殺ぶりとか、色々強烈じゃないですか。頭もいいんですよ彼。誰にも悟られず色々見抜いていたり、よく考えていて、ある種狡猾なところもある。
何より一番引っかかっていたのが、杉元自身がその暴力性を自我として統一し切れていない様子であること。スイッチの切り替えはその瞬間が分からないほどスムーズだけども、それでも気の良い本来の杉元は、残酷な杉元自身のことを心の底で拒否している。鹿を殺せなくなったり、トニアンジを殺せなくなったり、悪人は皆人の心が薄いから痛みも感じない筈…というような論理の無茶さとしてその歪みは表出する。
アイヌや女子供を差別しない優しい大らかな男の側面を美点として見ようとすれば、目的の為に必要な罪人相手は躊躇なく皮を剥いだり残酷に屠ることの出来る欺瞞が引っかかる。彼の人格には矛盾がある。
善いか悪いかではなく、行動と理屈に整合性があるかという方が私にとっておそらく大事で、良くも悪くも動きの大きいエネルギッシュな杉元の精神を、本人が扱いかねているように私もどう捉えればいいのか掴みかねていた…のですが、ふと杉元を"彼自身の立場に立って思考を追った時の一個の人格"として見るのではなく、完全な"対象"としての存在と見た時、私はむしろその残虐性"こそ"が魅力的に感じると思った。
"戦闘能力が高い"ということは私にとってそれだけでリスペクトするに足る大きな美点になる。尾形について、思想とか目的とかすべて抜きにして、スナイパー戦で見せたあの胆力だけでも好きにならざるを得ないな…と考えていた時、杉元も純然たる強者として見れば何も関係なくそれだけで好きだと。
ただただ、誰よりも優秀な殺戮マシーンとしての能力への賛美。機能美…鼻に皺寄せて耳長オバケの咆哮を上げながら"人間だったもの"を破壊する、杉元のその圧倒的な"怖さ"こそが単独で好きだ。主人公補正が私には邪魔だったようだ。私は辺見和雄だった…
今週を迎える前にそのことに気付けて良かった。烟る雪の中、望遠鏡越しに覗いた景色、満を持してやってきた不死身の杉元!!
かっけええええ!!!(こえええええと同義)

杉元と尾形

サブタイトル「再会」でいよいよ“杉元とアシリパ”が再会するのか…!?と思って読んだら、その言葉が指すのは“杉元と尾形”の「再会」だったことに非常に驚いた。熱すぎる見開き。この漫画めっちゃ硬派だなって思った。そこなんだ!?力点は!!
尾形がこんなに驚いた顔見るの初めてですよ。尾形にも心臓があったんですね(?)銃を構えるその表情に浮かぶのは畏れか、高揚か。
もう尾形が望遠鏡覗く顔も、驚く顔も、吹雪の中のターミネーター杉元の前では可憐にすら見えてきました。だって寒そうにおねだりする独りぼっちの野良猫と、まったく違う女の子をアシリパさん!!!つって庇ってキレ散らかすバーサーカーどっちが怖い?勝てる気がしねえ。
でも尾形も白目にトーンが入って妖怪スナイパーモードに即入ってるのでどうなるかは分からない。次回予告の玉井伍長がもういい撃とう撃とう言ってるので、アシリパさんの説得どころでなく死闘に突入するのは必至ぽいですね。確かにこうなっては最早金塊どころじゃない。殺るか殺られるかだ…!
でもヒグマにやられた玉井伍長にあやかって、件のトラがしゃしゃり出てきて尾形の死因になったら流石に寝込むわ。動物だけは…自然災害的に死ぬのは勘弁してほしい…もっと業を感じる死に方して…そして杉元が殺すならせめて派手に殺して欲しい。腕折られた時も表情変えずに冗談飛ばす余裕まであった小癪な尾形上等兵ですが、だからこそ苦痛の中で、必死に抗う中で蹂躙され、少しずつ光を失っていくような…それでこそ杉元と殺し合う意義があるなって…!(辺見マインド)
でもこの漫画の暴力ってあまり痛そうじゃないんですよね。江渡貝邸で馬乗りになってボコボコにされた尾形は、笑ってたので相変わらず痛そうではなかったものの、顔庇っても庇い切れず鼻血が出てる描写とか「抵抗できない暴力に晒されている感」があって非常に惜しいというかイイ線いってましたけど。尾形って嗜虐心を煽るよね。かわいいからかな。
ある日兄ちゃんと、この「金カムに限らず“暴力が痛そうな漫画とそうじゃない漫画”がある」という話題になった時に、痛そうじゃない漫画は何故そうなるのかという問いに対して「サドだからじゃないか」という仮説が上ったんですが。つまり、痛みが伝わってくる描写は、痛みを感じている側に感情移入している。対して痛みの伝わってこない描写は、壊す側に感情移入していると。まあ確かに一理あるような気もしますが。
しかし自分の中で痛そうな漫画と痛くなさそうな漫画を比較してみると、単に「グロ度が上がると痛そう度が下がる」という単純な構図も見えてきます。壊れすぎると“生き物”でなく“物”として認識されるようになるからかもしれない。あとは悲鳴を上げるとか表情とか、リアクションの描写の問題もありますが…この漫画でそれがあまり描写されないのは、暴力の渦中にいるのが兵士か罪人ばかりだから覚悟決まってる演出ということで置いとくとして。
痛そうじゃない暴力の被害者というのはゾンビみたいに見えますね。暴力と死が直結している。ふと思ったのは、杉元の殺し方が“破壊”という感じで壮烈であるのは、“物”と思って殺す為なのかもしれないなと。
自分と同じ生き物だと思ってしまったら殺せなくなるのは、シカで実証済みです。その杉元のバグはアシリパさんから教わった“屠った獲物は自分の血肉となって生きる”という思想により治ったけれども。(そしてその思想はウイルクからアシリパに受け継がれたものだったわけだけど)
自分と違うものと思えばこそ生き残るため、瞬間的な殺意を持てる。相手が死ぬ=自分の危難が去ることで、ようやく失われた相手の人間性が取り戻され、あとには殺したという事実だけが残る。「間近で殺した相手の顔は忘れない」と言った杉元。それぐらい杉元の“命”は重い。多くの死を背負い続けていくことでその命は更に重くなっていく。不死身と呼ばれるほど強いがゆえに。
そんな彼にとって、殺した相手の一人として実際顔を覚えていたのに、蘇って再び目の前に現れた尾形という男。それを杉元は、自身の中でどう位置付けていいのか混乱したのかもしれない。
夕張での合流当初から、杉元が尾形に対して妙に親し気に見えて不思議だったんです。ヤマシギ撃とうとしてアシリパに諫められる背後でざまぁ顔してる楽しそうな様子とか、ムキになっちゃってさ…とか、尾形がチタタプって言ってません!とか。杉元は警戒心の強過ぎるくらい強い男だった筈です。仲間になったキロランケのこと全然信用してなかったし、白石もしばらくは同様だった。
加えてボコられていた尾形を江渡貝邸で助けたあの行動。「好きだから助けたワケじゃない」とだけ説明されたその行動の真意が分からなかった。尾形もワケ分かんなかっただろうと思います。分かんないなりに同じことし返して、チャラにすることで疑問をとりあえず片付ける律儀さが尾形のカワイイところですが。
でも杉元からしたら、一度殺されかけたのに普通に会話して、根に持つタイプじゃねえとか言って、大人しく傍で飯食ってる尾形の方がよっぽどワケ分かんなかったのかもしれないなって。よく手が組めてるな、という焚き付けるような疑念は、純粋に信じ難かったが為。だって杉元は絶対に殺されないために絶対に生き残ってきた不死身の杉元だから。自分を殺す相手は自分が殺す相手。そのゼロサムゲームのルールを破って一先ずの仲間になった尾形は、己の殺人という行為を疑似的に許している構図を持った、蘇りし死者だった。
つまり、今まではなんで杉元が仲間になった途端尾形に気を許した感じになったのかが疑問だったけど、杉元視点から見たら逆なんじゃないかと。尾形の方が先に杉元を許したんだ。許された、という認識が先にあって、ある程度気を許すようになった。…こうして分かってみれば単純な話だったんですね。杉元を理解しようとするのをやめた途端分かるようになるとはどういう心理作用なのだろう(私の“分かる”は“真実に辿り着く”ではなく“自分の腑に落ちる解釈を見つける”ことです)
許す許さないどころか尾形が杉元を「これまた厄介な野郎が来やがったな…」だけでマジで全然根に持ってなかったのは、そもそも根が生えるエゴが育ってない、誰でも殺せる男であったが故ですが。分かり合えない対極…
でも杉元にとって善の象徴のような存在になったアシリパとの道行きで去来する様々な葛藤と感情の中で、「面倒だ…殺して皮を剥いでいこうぜ」とかカジュアルに言っちゃう尾形の存在は、ある種の気安さを与えるものであったりしたのだろうか。なんかキュンとしちゃう。
そんな尾形に狙撃されたことへの理解を、「撃たれた時…あいつを感じた」と称したのが、丁度樺太編が開始した一年くらい前。随分スピリチュアルな表現をするんだなと、そして「もしかしたら生きているかもしれんぞ。アシリパも奪われ今頃不死身の杉元は怒り狂っているかもな」と楽しそうに笑って見せたのと同時に「尾形もキロランケもぶっ殺してやる」と実際静かに怒り狂っていた妙なシンクロぶりに、いずれ衝突は必至という運命性を感じましたが。
それでも二人は、アシリパという軸を中心に対比される個々の存在として描かれるのかと思っていた。樺太篇が長かったからそう感じるのかもしれないけど。つまりあくまで杉元⇔アシリパアシリパ⇔尾形の並行した関係性がメインなのかと。
でも違うの?むしろ杉元⇔尾形という、ここの直接の関係こそが排他的主題なの?だってまさかの一年越しのアンサーですよ。「撃った瞬間…お前を感じた。」そしてサブタイトルは「再会」。年末最後の掲載で!
エモ~~~い!
サーカスでの活躍がアシリパさんの綺麗な目に映っていますように…☆彡と願ったその時白石の野グソを見ていたアシリパさんに対して、メコオヤシ回といい尾形とのテレパシーはやけに成功するしな。なんか感動ですね。別離れなければ出逢えない!(杉元とアシリパさんのアオリです)
尾形の中での不死身の杉元の存在が杉元にとっての尾形の存在に遜色なくデカいらしいということは最後のページからビシビシ感じたので、あとはそれがどういう類の執着なのかをもうちょっと詳しく知りたいところです。めっちゃ好戦的な様子ですけど。殺したのに殺せなかった相手が尾形にとっても初めてだったからだろうか。杉元にとっての尾形のように。
う~~~ん盛り上がってきたな。ゴールデンカムイめちゃくちゃ面白いな~~~~