8番倉庫

長文置き場

256話「篤四郎さんの一番」感想

殺す気満々の素早い挙動においても激情の欠片も見せない、相変わらずの殺人マシーン尾形!
ボロボロでもあくまでクールに弾丸装填する姿がかっこいい。
「百之助なんぞに…かまってる場合じゃない」
まんまと返り討ちに遭いながらも、格下の雑魚扱いを貫くのはある種の意地のあらわれか。
冷静になっても後の祭り…激昂してぶつけた宇佐美の暴力と罵倒に対し、尾形からの回答は非常にシンプル。
「安いコマかどうかそんなに不安なら」
「お前の葬式で鶴見中尉がどんな顔をするのか見たらいい」
お、尾形~!!!
なんというブレない男だ。母の死(と自分の母殺し)を引きずっていると言えばいいのか、父の在り方(と自分の父殺し)を引きずっていると言えばいいのか、己と違い祝福された弟の存在(と自分の弟殺し)を引きずっていると言えばいいのか…
そして尾形百之助ここにあり!!というようなこのセリフとシチュエーションで放つ弾丸が、尾形を狙撃手としての完成された境地へと誘う。業が深いにも程があるだろ!!
杉元ハラキリショーのお陰で再び馬で逃走する宇佐美を捕捉、アハ体験のようなスーパーミラクル角度から銃口を向ける尾形。
それにしても逃走手段に馬を選んで死ぬというのはなんだか因果ですね。トモハル君?を殺した時に罪もない馬をアリバイのために確か犠牲にしていましたが。利用したものはその者の救い手とはならないということなのだろうか…
そして結構な速度で動いているであろう的が一瞬射線を通ったその刹那を逃さず、奇跡のハートブレイクショット!!
なんなん?
片目失って弱体化どころか前よりすごくなってない? どういうことなの…もう尾形はおしまいだぁ~とさめざめ嘆いたあのひとときは一体…思えば遠くへ来たものだ…
もうこれヴァシリ勝てないじゃん。パワーアップしちゃったもの、会得しちゃったもの狙撃手としての何かを。スランプ脱出どころじゃない、闇の闘気を極めちゃってるもの。
ていうかこの撃ち方だと、射線ギリギリの杉元が「今また俺の頭ブチ抜こうとしてなかった!?」ってならない? ちがうよ今回に限ってはお前はただの三角コーンだよ!!

嗚呼…ハイパーミラクルショットによってスローモーションで落馬する宇佐美。…を、抱きとめる鶴見中尉ィ~!!
お、王子様じゃん…(震)
芥子の花を背負った王子様だよ。なんだこの美しい散り際は? ゾイサイト並ですよ(?)
この世で最も愛した人に最も欲しい言葉で送られ、愛の証を受け取ってもらったトキシゲ。尾形の母親を商売女と嘲った割に、古風な遊女の指切りで幸福になっている構図に皮肉を感じます。
しかし揺らぐことなく最後まで一途なまま死んだんで、なんかもう「よかったね…」という気持ちで宇佐美に関してはあらゆることが昇華されてしまったな。

でもなんか…難しいですね。絶対一番じゃないのに君が一番だよって言ってくれる鶴見中尉…百之助ちゃんがかつて父に求めたのは、まさにこういう態度だったんだと思う。最悪嘘でもいいから本人にはそう言ってやれ、という。間違いなくあのころ尾形の思い描いた、パーフェクトコミュニケーションには違いない、と思うんだけど…
それでもやっぱり何だか虚しい気がしてしまうのは、それが需要と供給という形で交換される、断絶した交流だからかなあ。望む言葉を手向ける…なんかこう、有難いんだけど、それは退職金たくさんくれる、みたいな…終わりあっての有難さというか…(もっといい喩えないのか)
でもそれじゃあ幸次郎の方がマシなの?というといやいやってなるんだけどぉ。ううん。
しかし鍵を思い出したんならもうこれで安心だと全て託して死んでいったキロランケといい、思いが報われたと微笑んで逝った宇佐美といい、主要人物が退場する時は“本人は”満足して死ぬ傾向というのは共通していますね。夢を見て死ぬというか。
そう考えると夢に酔えず、むしろ拒否し続ける尾形がしぶとく舞台に残るのは必然…。

「ありがとよ宇佐美」
会心の一撃を放った尾形、なんとここで樺太以来ずっと巻いていた包帯をテイクオフ!
「お前の死が狙撃手の俺を完成させた」
なんだその効果線は!?
もうね、満を持して戻ってきたまさかの完璧元通りの顔(悲壮感ゼロ)といい、この「ババーン!」という感じの効果線といい下のコマといい、このページのすべてが面白すぎて宇佐美の死に様の耽美さとの反復横跳びが大変だった。ていうか正直笑いに負けた。
やっぱ復活以降ギャグキャラにシフトしてない? 私こういうシリアスな笑いに弱いんですよ。もうめちゃくちゃ元気そうじゃんキミ。美しく静かな愛の死亡シーンの間に挟んでくるなよその元気な様子を。
このポォンッのかわいさ何?
ここ一番でカワイイ顔見せやがって!!なんだそのドジっ子みたいな表情は!!「おっと(パシィ)」じゃないんだよ!!
この義眼?はロシアのあのお医者様が治療の一環で入れてくれてたのでしょうか? それとも後からゲットしたのかな。傷跡ぐらいは残るかと思ってたのにまさかの完璧復元に笑うしかない。杉元はマジで中身だけくり抜いたんですね…まあ猛毒付きと言っても思いっきり眼球だけに綺麗に刺さってたから、瞼をどうこうする必要はないっちゃないのかな。殺させる気満々で瞬きすらせず矢を受けたお陰だな!(狂気)
それにしてもこのポォン、江渡貝くぅんが作ったニセつるみと同じ挙動なのが不気味。
何の符合なの…? 尾形はやっぱ通過儀礼云々といい鶴見のマネしてる=ニセつるみということ?
人形…?傀儡…?偶像…? 誰よりもそうなることを拒否しているのに…?
しかしつるみは“葬式に来る父親”なんだよなぁ…幸次郎と違って…
うーん。何にせよ金カムのこういう演出面において発揮される意味深さ、というのはかなりすごいと思います。
そして今回はとにかくこの尾形完全復活ページのシュールさが本当に好きすぎる。チートスナイプ能力にトップクラスのギャグ要素も備えつつある尾形サイコー。完成してどこへ向かうのかわからんけどいいぞ尾形!お前の有坂銃で天下を取れ!除霊しろ!

金カム243話「上等兵たち」感想

突然待ちに待った展開を20pにこれでもかと詰め込まれて頭が壊れました。

・想像より10倍仲良さげな上等兵たち

本人同士はお互いを「宇佐美」「百之助」って呼び合ってたのかな?カワイイカワイイ!!
同じ上等兵同士、他には言わないことを言い合える、けっこう気の置けない間柄だった模様。
特に尾形は珍しく宇佐美相手には素直に第三者的な意見を乞い、一応“正しさ”について他人の意見も参考にしていたことが判明。
しかし完全に相談相手を間違えている。宇佐美で常識を測るなよ。まあそもそも類が同じ人間だからこそ相談できるほど近くなれたんでしょうけど…。宇佐美は元から“そう”だからね。二人の世界においては問題なくコモンセンスが形成されてしまっていたんですね。
孤独のなか理屈だけで辿り着いた倫理観、他者から保証されてないがゆえに脆いそれを、力強く保証する宇佐美の存在が尾形のそばに居たことは幸福なのか不幸なのか。
ただ宇佐美が尾形の問いをナチュラルに肯定できる人格であることは確かですが、宇佐美にとってはそんな理屈すらどうでもよく、考えるにすら値せず、にこやかに尾形の問いを肯定したのは全て「新しい鶴見中尉のお気に入りが増えそうで邪魔」だから規定通り尾形に殺させたいというその一念のみでしょうね。返事の全てから「殺せ殺せ殺せ」という宇佐美の念が見えるようだ。
そしてそんなどうでもいいことに囚われてずっと悩んでる尾形を宇佐美は心底バカにしているし、こんな奴全然大したことないやっぱり鶴見中尉にふさわしいのは俺だと優越感感じて見下げているし、しかしズリネタに出来るぐらいには愛憎を抱いている。
実際何言っても素直に自分の言ったことを聞くし、かといって従順というわけでもない尾形って、宇佐美にとって(見下すこと前提で)結構カワイイ存在だったのでは。生意気な雛鳥のようで。

・甘えん坊のハナタレ小僧

勇作は確かに無神経で、でも尾形はそれを態度に出して嫌がれるほど自分が明確じゃなくて、それでもあいまいな感情でも思うところは色々あって、そういう思いを一気に噴出させるスイッチを勇作が押してしまった、そして思いを遂げたのだけど、でも夢に見て名を呼び魘されるほど、その影に囚われている…そういう未確定な剥き出しの心の動揺、言葉にならないけど確かにそこにある強くて繊細な感情を、164・165話で発現したあの一人だけの地獄を、客観的に把握している第三者がいる…
そして唯一のその第三者が、己の唆した行為の結果でそんな風に尾形が苦しんでることを「カワイイ」と嘲笑混じりに形容して悦ってフィニッシュしてしまうこの現実。ヤバすぎて真顔で正座してしまう。百之助の情緒がめちゃめちゃになる様を思いっきり性的に愛でてるじゃないですか…児ポですよそんなの…(?)
尾形という男の核はやっぱりあの小さいころの百之助ちゃんのままで、坊主姿だとそれが更に顕著なんですが、そういう「大人しいから分かんないだけで実は子供そのもの」っていう尾形の本質を自明なこととして理解しているほど近付いた存在がいたという事実に衝撃を受けました。
子供といっても私の解釈ではそれは状態のことを指しているんであって性質を指しているのではないというようなことを以前グダグダ捏ねてましたが↓

子供の時点で自発的に状況を改善しようと毎日鴨を獲ってきたり、求めるよりは与える方を行動的に選ぶ大人びた子でした。常に「鳥があれば母親は」「葬式ならば父上は、そしたら母親も」と、行動における目的語が自分ではない。そういうエゴの育ちきらない幼い時分で犯してしまった取り返しのつかない過ちにより、バグってフリーズしたままの百之助ちゃんの心。

だから尾形は満たされなかった己の内なる子供の気持ちを充足させることが目的で動いているというわけでもないし、そうした願望も持っていないと思う。持てる段階にないというか。
勇作を殺して父上に愛されるかどうかというあの問いも、要するに“目的”ではなくて“手段”だったという事なんですよね。両親から愛されること=生誕を祝福されること、という条件が満たされているか欠けているかで、人間の性質は決定づけられるものなのかどうかという事を確かめるための。

そもそも勇作殿との問答前は、「人間なんて生まれ関係なく皆同じで、一皮むけば俺と同じようなもん」と思っていた。
実際は環境さえ許せば一番善良に生きられそうな男だと思うんですが(欲深くないから)、だからこそ環境そのものに価値はないと思いたかった、というより思わなければ立ち行かなかったのでしょう。でなければ犯した罪に対する心の行き場が無いから…。
だから好青年代表みたいな勇作にウッソやろお前と反感を持っていたし、遊郭で化けの皮剥がそうとしたのに勇作に脱童貞を拒否られて鶴見に「高貴なお生まれだから」とか煽られたのもモヤッてたし、流石に戦場出たら皆と同じく野蛮に殺し合うだろと思ってそれとなく注目して待ってたのに勇作殿だけ周りの旗手と違って抜刀すらしないし。
証明したくて痺れを切らし手を汚すことを乞うたら、汚さないばかりかあなたはそんな人ではないし尾形の言うような人間は存在してはいけないとまで言い切られ、それを拒絶ではなく涙と抱擁と憐れみによって完全に清い上位存在として宣われる始末。完全にブチ切れた母殺し済みの罪深い尾形はもはや鶴見の命令関係なく勇作を殺すことに。
しかし尾形は感情を理由にできない可哀想な子なので、殺す理由として採ったプランBが「勇作が俺と完全に違う清い人間であることは分かった、誰もそれを覆すことは出来ない、しかしそれを決定付けたのが親の愛情の有無だと言うのなら、親の愛情が可変ならば勇作の清廉潔白さもまた可変であったということになるのでは」という前提条件への介入を試みることだったんですねえ。(もっとエモい言い方出来ないの?)
でもそんな理屈は言い訳で、本当はただただ勇作の言葉でめちゃくちゃ傷ついてどうしようもなくなっちゃっただけなんでしょう。
どうしても生まれのせいにしようとしてしまうのは、生まれのせいでずうっと差別されてきたからなんでしょうね。
あんこう鍋で父上に語り掛ける沈静で飾らない様子からも、こんなやり方で代わりに父上に愛される筈なんかないことは尾形自身も百も承知だったんだろうことが哀しい。だからあのやりとりはもう“試している”んですらなくて、ただただ“確認”なんですよね。どうしようもないことの。
己が愛されるかどうかではなく、己は愛されないこと、そして己がこうなってしまったことは必然であって変えようがないということの確認。そして父上と話すことでそこについては納得出来たんだけど、でも尾形の心には己と違う清い存在のままで永遠に時を止めた勇作殿が永久に残ってしまった。

言っていることから考えるに宇佐美は、死んだ勇作を尾形が夢に見るほど忘れられないのは「(花沢閣下を巡って)永遠に勝てないライバルになってしまったから悔しい」のだと推察しているっぽい。
「勇作を殺したのに親父は愛してくれなくて」と、勇作を父上に愛してもらうための駒にしようとしたのに、それに失敗したという構図ですね。
でも尾形の夢に滲むのはただただ後悔と罪悪感です。その関係性に父親の存在の介入は最早ない。
二人きりの世界、夢に見る勇作殿はいつも笑顔でやさしい、記憶の中の勇作殿のままで…恨み言など何一つ言うこともなく…。
勇作殿を一番美化しているのは尾形だったというね。第三者から見るとマジでめちゃくちゃ付きまとわれてるしめちゃくちゃ顔が近いじゃん。嫌なら嫌って言いな?
殺しちゃう前に「自分は花沢勇作を嫌いじゃない」って、どうやったら気付けたのかな。やっぱ親の愛情かな…。(またそうやって救いのない話をする)

・脱走したきっかけお前だったんかい

病院着のまま手近にあったもので傍にいる人間を殴り倒し逃走するのが得意なオガタにゃん。猫は大体病院がキライですよね。
殺意満々で軍刀振り下ろしてきてる宇佐美に汗一つかかず無言で殴りぬける(おまるで)尾形のこの、動揺ひとつない、いたいけな表情…!
多分小っちゃい百之助ちゃんも危ない目に遭ったりしたらこれと同じ表情で躊躇なく殴ってきそう、すごい尖った石とかで。
初登場即退場のまだキャラデザが定まっていなかった登場シーンから療養期間を挟んで、脱走しました報告→コタン出没からようやく尾形が本格的に本筋に絡むようになるわけですが、あの「谷垣一等卒…」とコタンに現れた時点で尾形は既に勇作殿の夢に魘されていたのだと考えるとクるものがありますね。マジでこれなんですよね↓

宇佐美は尾形の行動動機をすべて“自分を”愛してほしいがためのものだと分析し、己の齎した満鉄の情報が尾形の鶴見への気持ちを心変わりさせた原因だと思っていますが、その前から既に尾形は鶴見の甘やかしを「たらしめが…」と内心で拒絶しているんですよね。
密会を傍で見ていて口を出せずキーッとなってるコマでちゃんと尾形が「たらしめが」の時の薄笑いを浮かべているので、この宇佐美が指摘した動機と実際の反応との不一致は故意だと思います。

尾形が宇佐美の言う通り甘ったれの、例えば癇癪を起こして蟻を踏み潰すように友人の喉を踏み潰しても全て許して秘密にしてくれるような甘やかし方をしてくれる存在を求めている人間だとして、その相手は鶴見以外いないだろうし、実際鶴見はその受け皿になる気満々で尾形に甘い嘘を言った。宇佐美はそれが羨ましく、(自分がそれを求めているように)尾形もそれを求めていて、今盾突いているのも水を差した己の情報に拗ねているだけの甘えの延長だとみなしている。
でも尾形が求めているのは、今も昔も自分のためになるものではない。自分がためになること…。その辺が尾形の一筋縄ではいかないところ。
オガタにゃんって複雑だなあ…。

・御者の正体と満鉄情報の出処お前だったんかい

あんな超極秘の場に居合わせている御者は何者なんだろう?月島?でも月島は自刃関係に関しては事実だけ聞いて自己解釈してるって感じの雰囲気だったしな…という諸々の疑問の答え合わせが!!
何やら異様にいやらしかった鶴見と尾形の馬車内密談シーンですが、一番見てはいけない人間がその現場を見てしまっていたのですね。
こないだギャグでシライシが排水溝の中からハァイジョージィするITネタやってましたが、今回暗がりの中から顔を覗かせるよく似た宇佐美のシーン見て、宇佐美の顔ってもしかしてピエロがモチーフなのかなって思いました。
キャラ的な位置づけ、そしてこの神出鬼没さ。鶴見から勇作暗殺中止命令が出てからあの問答に至るまでの尾形、師団が動き出す発端である鶴見との自刃工作後の尾形、鶴見の元から脱走した時の尾形。尾形自身は何も語らないがゆえに欠けていたすべてのキーポイントに第三者として存在し、新たな視点を齎すことで物語のミッシングリンクを解消する存在。
正直どれもこれも藪の中のまま終わると思っていたのでビビりました。トモハルくんへの所業にドン引きしていたけど事こうなっては宇佐美という存在を神に感謝するほかない。
尾形のことをこの世で一番知ってるのは鶴見だと思っていたけどフツーに宇佐美なのでは? この一話で開示された事実だけで宇佐美が尾形のことを知り過ぎてて尾形を取り巻く人間関係ヒエラルキー地殻変動がえらいことになってる。
尾形を殺す相手として有力株のトップに躍り出れるほど尾形を知り尾形に影響を与え尾形に近い人間じゃん。(同時に尾形が殺す相手の有力株トップにも躍り出たが)
現在エントリーしているのはただならぬ関係ということだけは当初からずっとムンムンしている鶴見、知っている情報はそこまででなくともお互いに「お前を感じた」と言い合うテレパシー相手の杉元、お前のために全て捨ててきたロシア産の運命の男ヴァシリ…ここにド変態宇佐美が加わるわけですか…他にもいたっけ?

しかしどうなんだろう、元々そこまで宇佐美が言うほど鶴見中尉に懐いてなかったとしても、具体的な造反への行動を起こさせた契機はやはり宇佐美が齎した満鉄の情報だったのだろうか?
だとしたらそれを尾形に漏らした宇佐美はお叱りどころでは済まないのでは。まあ鶴見は尾形が満鉄のことを知っているということを現状は知らないんでしょうけど。でも造反の理由を推測はしているだろうから、可能性のひとつとして考えてはいるかな?情報を漏らした人間が居るとしたら誰かって…
茨戸の時に遠い目をして、逃げちゃった尾形のことを惜しそうに評価する鶴見の横顔が思い出されます。
叱られるの大好きな宇佐美もさすがに尾形にバラしてしまったことは報告してないんじゃないかと思うんですが。それが露見した時がもしかしたら宇佐美のピンチかもしれませんね。どちらがより鶴見にとって特別な存在かがハッキリしてしまう。
しかし自分たちは駒に過ぎないと知りながらそこに甘んじることを選択した約二名のことを考えると、自分だけは駒じゃないと信じる宇佐美は向上心があっていいですね。自分が愛するからにはそれと見合うだけの愛が相手にも欲しいのね。
たらしめが=お前の駒なんて真っ平だと尾形は逃げ出したわけですが、俺は駒じゃないと言い張る宇佐美が駒だと思い知らされてしまうようなことがあったら宇佐美はどうするんでしょうか。何かお考えがあるんだ前向きに信じようなんて健康的な反応にはならないと思うんですが。宇佐美は鶴見の目的や能力ではなく、己への鶴見の扱いに価値を見出していますからね。
トモハルくんのことは宇佐美の方では別に全然好きそうじゃなかったけど、キレさせたのが好きな相手だった場合の宇佐美の行動って予想つかないな。やっぱ殺そうとしちゃうのかな?

それにしても鶴見中尉、オガタにゃんのことめっちゃお触りしてる…。膝を撫で回す仕草だけでもいやらしかったですが胸とかめっちゃ触ってるじゃないですか!!何ですかその怪しい効果線は!?
元々死んだ男の腹を執拗にナデナデしたり、刺青人皮に頬擦りしてうっとりしたり、江渡貝くぅんの人皮手袋気に入ったり、とにかく人肌の感触がやけに好きそうな印象はありますが。この分だと尾形めっちゃ触られてそう。どこまで触られたんだろう。
でも自分から鶴見が触りに行く肌って思い返せば死体の肌ばっかりだな。尾形は特別なの?青白いから?死体の分類なの?それとも心が死んでいるから?
何にせよ撫でられている尾形は常に無表情!!全然嬉しくなさそう!!でも不快ですらなさそう!!無!! あっそう考えると勇作殿をものすごい傾いてまで避けていたのは、勇作殿が特別だったことの裏返しなのでは…?もうやだつらい。

「…いや 最後にいろいろ話したかったから」
もうこの台詞につきますよ。この台詞が聞けただけで今回の話は神回です。本当にありがとうございました。
多分父上とちゃんと話せたの、この時が最初で最後だったんだろうな。もうこの言葉のまま、それ以上でもそれ以下でもないんだよ多分。月島の言ったように殺せて満足とか、宇佐美の言ったように今後鶴見に寵愛されるためとか、そういうんじゃないの。最後にいろいろ話したかったの父上と。それだけなんだよ…。

・山猫は語らない

鳥が撃てなくなっちゃったよお~~やっぱり利き目を失っちゃ終わりなんだよお~~~もう尾形の神業スナイプ技術は戻ってこないんだあ~~~ヴァシリが再戦を望んでももうあの時の神の如き狙撃手の腕は失われてしまったんだあ~~ガッカリさせちゃうよお~~~…そんなふうに考えていた時期が俺にもありました
えっ…この不屈の精神を高潔と呼ばずしてなんと呼ぶの…? 己の放った銃弾が何を変える事もなく飛んでいく鳥を見送ったあの失意から毎日練習して練習して練習して再び鴨を捕まえてくるまでに戻してきたこの努力を…!?
表情は変わらないけどやってやったぜと鼻息でドヤる尾形のいじらしさ!!えらいわ~!!百之助ちゃんえらいわ~!!今夜は鴨鍋だわ~!!
樺太から帰ってきて「俺もこのざまだ」と本人はあっさり片付けたけど、白鳥とかしか獲ってこないこととか毎日練習に出かけてることとかでやっぱ皆気付くよね。射撃の腕が落ちたんだと。
そこについて土方あたりはズバッと話題に出しそうかな。皆の前で聞いたのか二人きりの時聞いたのかは知りませんが。いや牛山の反応からして二人の時に話したっぽい。トシさんはそういう気遣いは出来る男だと思う(は?)
「では狙撃兵は完全復活したわけか」
やっと、の裏に隠れた執念と努力を語らずに、戦力を取り戻してきたことだけを端的に述べる尾形へ、土方もそれを理解した粋な問いかけ。
それを「いいや…」と否定し、銃を構え不敵な笑みを浮かべながら一言。
「狙撃兵は『人間を撃ってこそ』だ」
カッコイイ~~~~~!!!!
善や悪、清さや穢れ、祝福と呪い、そうした葛藤や苦悩に翻弄されて後の、やはり俺にはこの道しかないと覚悟して、そこを一人で歩き切る唯一の相棒を自らの努力で取り戻した今、この結論を改めて口にする気高さ…孤高~!!
この何もかもを吹っ切ったような軽やかな笑顔の尊さ…!!
毎日めちゃくちゃ努力しまくってたの知ってる中でこんな小気味いい発言されたらたまりませんね、私が土方なら撫で回してるよ。
さて狙撃兵は札幌にて完全復活を果たすのか。狙う数より狙われてる数の方が多そうだから気を付けてね!!

 

金カム228話「シマエナガ」感想

すみません読めば読むほど今週の話めちゃくちゃ好きです、個人的に五指に入る神回でした。
もう杉元が全編かわいそうで読んでて笑いが止まらなかった。かわいそうっていうのは同情するとか、悲しく思う「かわいそう」じゃなくて、うわあ~~~^^っていう、なんだろうな、同じところをグルグル回るマウスを「頑張ってる頑張ってる」と微笑ましく眺めながら実験結果に不可と書き込むような…あらら~~~^^みたいな、わかりますか?(そんな感情をわからせようとするな)
私はけっこう真面目な人間なんですが、真面目であるからこそ、どうしても不謹慎ネタに弱くってですね…笑ってはダメな滑稽さほど笑ってしまうんですよ。これは別に同意して欲しくて言ってるんじゃないので話半分に捉えて頂きたいんですけど。
物語の始めで「カワイイ…目が可愛い」と一番愛着を抱いたシマエナガの目を「京都で食べた雀の焼き鳥がこんな感じだった」と飢餓の極限状態の中記憶をフル動員して左右串刺しにするところなんかエグすぎて最高だった。
とにかく「ふいいいいい~~~~ごめんなさいごめんなさい」のセンスがすばらしい。初見ドン引きして私の笑いが引いたところを含めて何度見ても面白い。
ふいいい~~がいいよね。歯を食いしばって息苦しくて胸が詰まってどうしようもなく心傷つきながら、可愛がってたその心の拠り所の毛をブチブチブチブチむしる狂気っ…!!
でもそれは"わかる"狂気だからツボったんです。杉元は本当に申し訳なく、辛く思ってるんですよね。ごめんねえごめんねえって、せめて痛くないようにって思いながら、手が震えちゃって神経抉ってしまって余計苦しませて号泣みたいな、そういう類の惨めさ哀れさがあってすっごいエモ~~い!人間は無力~~~

ラブリーなシマエナガと心を通わすに際して出た態度なのか「ひえ~~~ずいぶん滑り落ちてしまった…」「ごめんごめん君がいたね」とか妙に暢気なゆるふわ口調で、小さな子どもに話しかける穏やかな先生みたいな口調の杉元。そう、姉畑先生のような…
でもそんなミルキーな口調の端々で「俺の銃剣は人の指だって切り落とせちゃうよ」「おのれもガツガツ食ってたくせに!!羽をムシって食っちゃうぞ!!」とか物騒さが覗くのがジワジワくる。
追い詰められるごとに「え?なに?」とシマエナガからのレスポンスを受信し始めるところもナチュラルにやばい。そう、平太師匠のように…

元々杉元って、口数の多い男ではあるんですよね。そしてその口数の多くなり方がすごいリアルだなと思ってて。「ふい~~~こいつはヒンナだぜ」とアシリパと別れてから一人でニシン蕎麦食レポした時の感じとか、今回とか、なんかこう"文脈を手に入れた"ら途端にその文脈において物凄く饒舌になる感じ。この場合はこういう考え方をすればよく、それはこういう理由があるからで、こう言っておけばその文脈に適合する、というコンテクストを"手に入れた"らどこまでもそこに迎合しようとする。そうすることで安心できる、逆に言えばそう出来なければ安心できないので、その文脈で処理できない事に関しては途端に寡黙になる。
実際そういう選ぶ単語も選ぶ命題も答えの出し方も全部誰かが既に言ったことを板書して復唱するだけのレンタル人間というのはどこにでも居て、それはある種自分に自信が無いから=信用できる"自分"が無いのでより正しい指針を外に求めるから、という『結果責任を重んじた真面目さ』と見る事もできるが、根拠のないオリジナル文脈でトライアンドエラーを試みることをしない『卑怯さ』と見ることもできる。
何よりそうしたパッチワークみたいな精神構造の人間の不気味なところは、出力の大部分を外注する分、その発注先の選定にものすごいエゴイズムを発揮するところ。一度この"素材"は"使える"と信用したらとことんそこに順応し同一化しようと貪り始める。
勿論これは誰にでも大なり小なりある普遍的な要素の話をしています。ただその傾向の強弱、ストッパーの弱さ、そうした意味において限りなく極値(と私が感じる)、そういう人は本当に"結構"いる。そういう「こういう奴いるいる」という感覚において杉元という男の人間性はとても身近に感じる。
基本的に依存体質なんですよね。頭は悪くないのに自分で考える規格がない。寅次は自分の考えを持ってる男でした。梅子の目の話、そこへ抱く感情、解決策の模索、米国にその活路を見出しつつ社会情勢も考慮する先見性。あの塹壕の中での会話だけで寅次の個人としての考え方の傾向性がたくさん窺える。しっかりとした社会性のある冷静で勤勉な人だという印象。対して杉元単体としてあの会話で示したのはその考えに対する"同意"のみ。
その同意っていうのも多分そこに関しての自分の意見というものは杉元には無くて、自分をその問題における主体者と設定していない、できない。寅次がその考えと素材を示したことで、その考えと素材をそのまま自分にペーストしただけ。「そうだな」と思ったから自分の考えもそうだと自然に思っているだけ。自分始まりでは何も考えていない。寅次がするはずだったことを、そのキャストに穴が開いたので自分がやらなければと収まっただけ。その考え自体への判断や是非や問いを向ける"視点"はない。
でも常にそうなのではなくて、杉元はただシンプルに「自分がどうなのか」ということしか自分からは考えられないんだと思う。俺がどうなのか、俺はどうなのか。それはある意味で真理であるので、誠実といえば誠実な感性かもしれない。
土地、民族、政治、色んな思想を語る登場人物が居るけど、基本的に大きい問題に関して杉元がとれるスタンスは、自分以外の誰かが考えたそれに同意するか同意できないか、それだけ。
彼個人のオリジナルの考えは、個人で経た体験から得た個人にとっての"感覚"に限定される。言いようのない罪悪感。言いようのない嫌悪感。言いようのない嬉しさ。言いようのない怒り。態度を選択する以前の、外部に露出する前の、客観と断絶した〝彼にとって何かがどうであるか"という純粋な主観。
その延長で大枠的な問題を語ろうとすれば今回のように素朴な、結論を出さない"雑感"になる。自分から見てこうだからこうだと思うという、フワッとした、そんなような気がするみたいな、根拠不要のフィーリング。
でも、それでいいはずだと思うんです。それは時として相対的に間違っているかもしれないけど絶対的には正しい。
樺太編が一区切りして以降、何故私が主人公勢にモヤモヤするのかというと、やっぱりあの「ふたりの距離」でぶつけた杉元の問いが切り捨てられる側に回ってしまったという所にあるんだと思う。やっちまったらもう戻れない、というあの素朴な主張は杉元自身の生きた経験則から出た言葉であって、限りなく現実的な言葉だった、"杉元にとっての"現実の。
戦場では戦場の文脈があって、死に損なって戦場ではなくなった今はその文脈を使っても齟齬しか生まれず、あらゆることが語れなくなってしまい、新しい思考の文脈が杉元には必要だったということは理解できる。
でももう新しくは使えない文脈でも、そこに生きていた過去は消えないわけで、その時得た思考は環境が変わったからといって嘘になるわけじゃないと思う。
二人の関係が分かり合えないからといって即離れればいいというものではないというのも分かってる、でも、潔く捨てたその経験則からの答えの方が、杉元にとっては彼自身に近い、生きた、彼独自のものだったと思うんですよね。
己の過去よりもアシリパの先にある未来を信じ、その考え方に沿おうとする敬虔な態度…何というかそれは、彼の思考形態が彼自身の現実から遠ざかることなんじゃないか?
アシリパの現実も、それに対する見方も、アシリパのものであって杉元のそれと同一ではありえない。アシリパさんの綺麗な目から見た世界は正しい世界に違いない、「そっちのほうが」良いに違いない、と目を瞑って従ったところでそれは杉元自身の目で見た世界じゃないし杉元の心で感じた答えじゃない。
己よりも他人を信じ、間接的な世界を生きる…それでいいのかい? ダメじゃないか? そうやって自分以外の何者かになろうとしてもむなしいだけだよ? 今の杉元の本性が見えないょ…と思っていたところに、この何もかもダメなソロキャンが描かれて「あっ…(察し)」とニッコリしてしまいました。
紳士的で優しい口調と笑顔で通したEテレ教育番組のようなシマエナガとのやり取りの一方で、朝目覚めた時のクソみたいな表情のコマが一番好きです。
第一話の土饅頭にされたオッサンみたいにさあ、杉元も酒に溺れてその辺でベロベロに酔っ払ってるような、そんな生き方が出来ればいくらかマシだったのにね…状況が許せばそれが出来る男だと思う…そこには今よりずっと安らぎがあっただろうにな…
何にせよ哀れ過ぎてものすごく杉元の好感度が上がってしまいました。気をしっかり持って欲しい。
そう、杉元はあの状況で、あの流れで、最終的にウパシちゃんを食ってしまえる男なんですよね。それがハッキリと描かれたことに、今後を思ってうすら寒い思いがします。
どれほど精神が拒否しても、最後の最後、追い詰められた時に絶対に生き残ることを選択する圧倒的な本能。だからこそ不死身なんだ。この理屈抜きの、“そういう生き物”としての杉元の本質というのは変わらないんだと思います。だとして、それがどういう結果を齎すのか…。彼にとってはおそらく、苦しみとしての…嗚呼。生きろ杉元。(ビターな結論)

金カム223話「二階堂 元気になる」感想

久しぶりの有坂閣下が登場で嬉しい&相変わらず元気よくヤバいもの持ってきてて草。
麻黄からエフェドリン発見→エフェドリンからメタンフェタミンの合成に成功、どっちも長井博士の功績なんですよね。偉大すぎる。
モルヒネといい、それ自体はとても素晴らしい発見で、乱用するのがいけないのですが…用法容量を守ってさえいれば…。
第二次大戦以降どこの国でもバンバカ投入されて、日本でも空軍パイロットの人が「ビタミン材だ」「暗視ホルモンだ」とか何とか言ってメタンフェタミンを投与されて出撃させられていたという証言が残っているそうですが。
というかもう現在に至るまで、登場以降覚醒剤はこの世の戦争そのものと切っても切り離せない存在になってしまっているんだなと…自衛隊も所持が認められてますしね。まあ、人為的に脳内麻薬を出しでもしなければ、大勢の人間が“正気で”殺し合いが出来るようにはならないのかもしれない。
しかし「この薬は売れるよ絶対!!」という閣下の台詞、自身の開発した兵器で大勢人が死ぬ!つくづく呪われた仕事だ!とか言っておきながら、相変わらず最高に業が深くて素晴らしい。後のヒロポンという大ヒット商品にも繋がりますからね!!

そんな有坂閣下に悪意なくどんどんモルモットにされる二階堂。面白いけど可哀想。複雑な気持ち…。
いや、欺く意思が無くても相手をどう扱っても構わないものとナチュラルに見下しているが故のあっけらかんとした所業なら、そこにはやっぱり悪意があるとみなすべきなのか? でもそれを言うなら有坂閣下はどんな相手でもあっけらかんとモルモットにしそう。見下してるんじゃない、研究者気質で頭のネジ(倫理方面のパーツ)が外れているだけなんだ、そしてそういう人間でなければ後世に残るような偉大な発明など出来ないんだ。(有坂閣下シンパ)
有坂閣下がステキなことと二階堂を可哀想に思う気持ちは矛盾せず両立する。ああ可哀想な二階堂…鶴見には耳削がれるし…土方には足斬られるし…杉元には手吹っ飛ばされるし…でもヤク漬けなのは本人がモルヒネ依存して際限なく欲しがった結果か。鶴見中尉は一応そこは止めてたもんな。そう考えると今回の有坂閣下は「そうかい! そんなに欲しいならもっとすごいのをあげようッ!」って本人のためにならない物をホイホイあげてしまうダメなあしながおじさんといったところか。
何にせよ二階堂は堕ちていく一方…殺された片割れの仇を取ったら静岡に帰りたい、という素朴な想いを知ってるだけにやるせない。ここまでの目に遭わなければならないどんな道理が彼にあるというんだ…

今後尾形と再会することあるのかなあ。ヤな奴だよね~と言ってたけど、二階堂に降りかかったこれまでの数々の事実の中で、尾形が二階堂を助けて「俺はここだぜ」と谷垣にヤケクソに身を晒した行動だけは打算も裏もない、ただ二階堂のためだけに存在した行為だったと思うんだよね。鼻歌歌いながら耳削ぐ中尉も、黙って従ってるだけで内心は抑圧されたコンプと歪んだ優越感でドロドロの月島も、中尉の命令でリンチすることに実益見出してる宇佐美も、二階堂の機能にしか興味がない有坂閣下も…みんな二階堂のことなんて考えてくれる人たちじゃないよ。二階堂が信用できる人間は、今の二階堂の周りには一人もいないよ。ファミリーじゃないのよ!(ボヘミアンラプソディか?)

まあもっと分からんのはコイトの方ですけどね。「おのれ…!!よくも私の部下をッ」と激昂するほど、悪い意味でなく自分の従属物…役割を果たしているその裏側なんて想定してもいないし、何かあれば将として守ってやらねばならないと信じ切っていた、それ以上でも以下でもない寡黙で勤勉で有能な部下でしかなかった筈の男に、リアクション不可能な激重カミングアウトされて鶴見中尉スゴ~イで切り抜けて、杉元に裏切られて、「もういい…」と意気消沈して父上と「情けんなか…」と会話した…そこまでは分かる。そっからの今のテンションが分からない。船上で父上と何か、ある程度気持ちの整理をつけられるような話が出来たのだろうか?
というのも、そういう明らかになった諸々を脇に置いて思考停止させて、それはそれとばかりに「キェェ~イ」とか月島を前にはしゃげるほど器用な奴かなあという疑問があるんですよね。でも仮に船内で“頭を切り替えられるような何か”を父上と話せたのだとしたら、鯉登少将は鶴見のただの傀儡ではなく何か目的がある可能性が高まるな。
そんな色々を考えさせる月島と鯉登の、家永を挟んだ据わりの悪い空間の背後で、二階堂と有坂閣下がめっちゃうるさくて気が散る。拍手しながら「元気」ってシンプルすぎる賞賛してるの超ツボる。

一方、若い血の供給に事欠かず美しいばかりの家永が画面を飾ったすぐ後だというのに「家永のジジイ」とはっきり呼称するデリカシーのない尾形。相変わらず火鉢の傍は譲らずっ…! 思えば8巻で火鉢をこうやって股の間に置いてた時も、同じように後ろ手に腕に体重かけてだらーんとしてましたね。あったかいとリラックスしちゃうんだね。
「この家を吐く前にとっくに殺されて、皮を剥がされて鶴見中尉の着替えになってるかも」女じゃない、目の前にもいないとなると牛山さんはドライですね。即物的の極みでイメージアップです!(クズ度と好感度が反比例しない)
「死神から逃げ続けるのは簡単じゃねえ」う、うつくしい…(単純に画の話)
この『死神』は鶴見という暗喩としての『死神』と、抽象的に“死を齎すもの(=齎される死)”としての『死神』のダブルミーニングかなあ。そう考えると死のうとしたが右目を抉られて生かされた尾形の、その包帯が目立つアングルで死神から逃げ続ける(=生き続ける)のは簡単じゃない、という言葉はものすごい自虐というか皮肉というか。ああ尾形。
そして鶴見を知る者として一人転地を主張する尾形に「尾形が正しい」と賛同してくれる土方さん。なんかじーんとしてしまった…基本正論を言う尾形だけど、今まで尾形にそんなこと言ってくれる人居ただろうか…ト、トシさん…(チョロい)
「用心し過ぎるということはない」土方さんも場所変えんと危ねーかなとは思ってたんでしょうか。土方組が元の場所にまだ居てよかったね尾形にゃん、無事合流できて。ハッ、まさか尾形も戻ってきたことだしもう移ってもいいか的な? ト、トシさぁ~~ん(放し飼いで行方不明になった猫が帰ってくるまで引っ越しを留まる飼い主の鑑)

そして優雅に飛ぶ、あんこう鍋のワンカットで強烈な印象を残しているマガモ
このコマの時点で不安な予感はしていた。

でも、ものすごく悲しいけど妙に美しさを感じるページで好き😭
絶好のスポットなのか、銃を撃つ尾形の背後にもいっぱい同じ鳥が飛んでるのがいいですね。沢山いることが逆に静けさを感じさせる。
子供の頃に幼い手で撃ち落とせていた鳥が、引き金を引いた後も変わらずに空を飛んでいる不条理。良かれ悪しかれ何かを変え続けてきた、それだけが何かを変える力としてのよすがだった銃弾が、何も変えられない鉄の塊に…。ああ尾形。黙した表情に宿る静かな翳りが哀しいです。

しかし寺へとアジトを移し、シニアたちが次なる囚人の情報交換を行う一方で、ガラッと威勢よく扉を開けてデカい獲物を手に堂々帰宅の尾形。え、えら~~~い!

心なしか嬉しそうな顔がかわいすぎる。ところで私はこの白鳥、このぐらいデカくて、キラウシ曰く飛べないノロい的なら“今の銃の腕前でも仕留められた”のかなあと思ったんですが。

今まで明確に銃で仕留められた鳥でも銃創がわざわざ描かれたことって無かったような気がするし。でも「もう銃はダメだ」とさっさと見限って「銃が無くったって獲れらぁ」と、“獲物を仕留められたこと”へのドヤ顔であるという解釈も、尾形はタフな性格してるんで十分それらしいですね。
まあ私は「わざわざ鉄砲使って獲らなくても簡単に捕まえられる鳥だったらしいけどそんな事は露知らず銃で仕留められたことに喜ぶ尾形」説を推すよ。あれならいける!いけた!やったー!ってハイパーイージーモードの獲物でも撃ち取れた事に喜んでる尾形にゃん、けなげでカワイイじゃないですか。あくまで銃で仕留めることに意義がある的な。いやでもやっぱ結果主義だから無いかな? でも銃は尾形にとって特別だしなー。まあ単行本で加筆でもされない限り答えの出ない問題ですが。
どちらにしろ結果を出して、役に立って初めてそこに自分の居場所を認められるこの性格は多分一生治らなそう。そのどうしようもなさ、それ故の哀れさが好き。俺じゃ駄目か(=やっぱり俺は結果を出せない役立たずか)って一度思っちゃったらマジで死んじゃうんだもんな。社会性のある人ならその考えは間違ってる、変えなきゃいけないって絶対に言うであろうその極端さがイイ。だってそういう自他への厳しさがあってこそ技術が磨かれていく面もあるわけだしね。弱者への救済は大事だけど、でもその救済は強者が居ないと実現出来ない。だから強者になろうとする志向それ自体を妨げることもまた悪ではないのだろうか?(何の話をしてるんですか?)

門倉さん、突然現れて火鉢に懐いたと思ったら周りから猫扱いされてて実際猫っぽい尾形のこと普通に猫だと思ってるでしょ。
そしてめちゃめちゃ気になっていた有古と尾形の顔合わせがついに。やっぱりお互いわりと知り合ってる仲の様子…!?
有古は見るからに実直そうだし、尾形が“有古が造反側についたことを意外に思っている”という態度を示すことは不自然ではないですよね。本当にそう思ってるのかは怪しいところですが。笑顔が気さくすぎて絶対裏あるもん。というか尾形の方が余程長いこと見てきて知ってる人間なのに、尾形の目を見れない有古側の気持ちになってこのシーンを見てしまう(=尾形の方を“弱みを見せてはいけない相手”という警戒対象に回してしまう)のすごくないですか? 根っから“向こう側”の男なんだな。
谷垣の時といい、すれ違いざまに何でもない“ついで”のように真偽を問うのが尾形上等兵の手管の様子。胸に労わるように置かれた手がなんだか妖しい…ていうかなんか…なんか雰囲気があやしい…いや有古は普通なの、尾形上等兵が…なんだこのなまめかしさは…
鶴見への警戒心(=手腕への評価)強いし、鶴見の間者かなって事には気がついてそう。とすると陣営を寺に移動までさせたが内部にいる怪しい有古を尾形はどう扱うか? まあ有古に関しては土方も、怪しく思った上で泳がせているわけだけど…土方にとっては尾形も同じことであって。尾形は土方と有古、どっちの方と踏み入った情報共有を行うのかな。

ところで白鳥っておいしいのかな。味が気になる…まあ鳥肉なんてどれも大きな違いはないと思うんですけど…(暴言)
白髪の話題でそれぞれの頭髪事情についてやいのやいの言い合う面々が微笑ましいです。

まあそもそも白髪なんて気にしないし、自分が獲ってきたんだし食うっていうのは自然な行動原理ですが。
尾形の獲ってきた白鳥を食いながら土方さん、鶴見について述べた尾形の意見に対するロングパス。
「誰にでも平等に死は訪れる。どうせ逃げ切れんのなら、ビクビクと待つより美味いものを食って楽しむ」
う~ん土方さんらしい回答。
あと百年生きるつもりだ、なんていうのは方便で、永倉にすらそうやって誤魔化した「ただ死に場所を探してるだけ(=短い余生を飾りたいだけ)」という自己満足を「あんたについていく人間がかわいそうじゃないか?」と指摘した尾形としては、やっぱりその言葉には「気楽なもんだ」とばかりに「はッ」と笑うしかない。態度としては。
でも一度敗れて死のうとして、予想外に生き永らえて元居た場所に再び戻ってきて、獲れるのが簡単な獲物ぐらいになってしまった今の尾形にとって…どっしり構えて「どうせ死ぬんだから慌てんな美味いもんでも食え」というような土方の理屈は決して悪いものではないんじゃないだろうか。
もう土方陣営に腰を据えなよ尾形にゃん!!(チョロい)
雑魚寝して皆でまだ白鳥の話で盛り上がる中、ひとり天井を眺めながら何を想う尾形…。
アイヌの二人が「そうだよな有古」「俺の地元でも~」と共通の話題で穏やかに話しているのがいい感じ。大変な立場になってしまいどうなってることかと思いましたが、有古くんが土方陣営で思いの外居心地悪くなさそうにやっててよかった。(体育座りはしていたが)
それにしても有古くん、隣に寝ててもなんかリラックスしてるし、尾形上等兵はそれほどヤバい人物と認識されてるわけではない模様。上官としては理性的そうだしな。
有古から見て「尾形が鶴見を裏切るとは思わなかった」っていうのは、尾形の「真面目なお前が裏切るとは」みたいな表面上の意外さよりも、もっと深いものがあるんでしょうね。あんな昔から一人だけ兵士なのに誘拐事件に協力したり、日露前も勇作殿のことに関して二人で話し合ったり…もちろん全部秘密裡でしょうけど、でも出自のことと併せて絶対噂されてたでしょ。兵卒が尉官に呼ばれるとか滅多にないらしいし、ただでさえ山猫の子は山猫…みたいな下衆な噂されるくらいだから、あいつ鶴見の何?みたいな話にならざるを得ないでしょ、ああいやらしい!(笑顔)

翌朝空になった鍋を囲む若い(?)面々に混じってる尾形に、おや輪の中にいるなんて珍しいと思ったら、目の前に火鉢があるぅ~😊 それでか~😊
でも皆の話を聞いて無言で永倉おじいさまの頭部に目線をやる。三人ともそんな真っ直ぐ目よりも上部に視線をやるなよ。
失礼な若造たちに渾身の唾吐きするラストページの永倉の迫力、アオリも含めて超笑いました。怖いおじいちゃんなんだから怒らせないで!!

金カム221話「ヒグマ男」感想

白石も知らない囚人だった平太師匠、我を失った彼の謎だらけの過去は一体どう明かされるのか?と思ったらそういえばニートになった元看守部長がいたんでした。キラウシをお供に飲んだくれ、かつての職場にいた囚人の話を酒の肴にして盛り上がるどうしようもないオッサン。不真面目な職務態度が目に見えるようだ。
対して話を聞きながら混ぜっ返すこともなく、平太の話と自分の知識を結び付けて真面目に平太の供述について考えてくれるキラウシ。癒し~~キラウシは癒し~~

砂金とりが得意だったものの金に目が眩んだ家族を疎ましく感じていた平太少年は聞きかじったアイヌの言い伝えから「その“ウェンカムイ”があいつらを罰してくれればいいのに」という過激な空想を抱いていた、そしてある日現実に殺してしまった、“平太”としてではなく“ウェンカムイ”として。
誰かが殺してくれないかと願う殺意、しかし自分でそれをするなんてとんでもないという罪悪感。その“欲望”がウェンカムイとして家族におぞましい仕打ちを仕掛け、“理性”が平太としてその仕打ちを恐れる。
平太の自我を分裂させたのは“ウェンカムイ”という、彼自身の抑圧した欲望を叶える力を持った偶像、それが存在するというアイヌの世界観…畏怖による信仰、罪悪感による現実逃避、錯乱による同一視。
ただ“本当はそんなことしたくなかったのに”、誤った偶像が欲望に現身を与えてしまったことで実行力を持ってしまった…とは言いにくい。恐怖のみでそんな風にはならないでしょう。自分と人食いヒグマを同一視するからには、その残虐さへの恐れと同時に憧れのような感情…ああなりたいという願望が深層心理に無ければ自分がそうだなんて思い込むには至らないと思う。信じる人間というのは信じたいから信じるんですよ。信じさせられるんじゃない、先に開けていた口があるからこそ嵌まり込む。

分裂した自分を恐れ、愛し、疎み、殺し、それをずっと繰り返しながら最後に残ったヒグマが生贄を欲して現実の被害を出し、人殺しという通過儀礼を経ることによってようやくウェンカムイは罰を受けてバラバラに四散し消える。そしてまた幻の“家族”は蘇り、その周囲をウェンカムイが徘徊し始める…。
一体現実に殺された人数はどのぐらいなのか想像はつきませんが…まあ時間のかかりそうなサイクルだし数では辺見の足元にも及ばないかな(マウント?)
ウェンカムイを“敵”として自分を裏切るものと位置付けていたが、それもやはり己の作り出した幻想に過ぎない以上は、自分が正しい側にいるために敵という存在を欲していただけ。平太は過去の罪から逃げる為にウェンカムイを存在させ続けなければならなかったし、居させ続けるために皮は絶対に肌身離さなかった。刺青を彫らせたのも、人を殺さなければウェンカムイという偶像を守れないから外に出たかっただけでしょう。そしてその全ての行いから「自分はそんなつもりはないのに」と目を逸らして逃げている。自分は本当はそんなことしたくないんだ、でも仕方ないんだ、何かが勝手にそうさせているんだと、しらを切っている。弱くて…卑怯で…醜い…クズ!(言い切り)

杉元という一方的に食われるだけではない獲物が現れて、拮抗する存在として戦ってくれたことで“己”を罰する勇気が出たといったところですか。杉元はヒグマに勝てる男だからな。(でも骨折はね~痛手だよね~たぶん)
私達の住む地方ではウェンカムイはあくまで「好きな人間を連れて行く」もので、罰を与えるために人を殺すものではない。中途半端にアイヌのことを聞きかじって間違った“ウェンカムイという偶像”を抱いてしまったのだろうと分析し、「正しく伝えることは大切だ」と結論づけるアシリパ
もし“正しいウェンカムイ像”が平太に伝わっていたら、その偶像が平太を狂わせることもなかったと考えているのだろうか。しかしその信仰の内容に地域差があるということはキラウシも、アシリパ自身も言及しているところだ。カムイが平太の言うような定義をされている地域が無いと言い切ることは出来るのだろうか。“正しい信仰”とはなんだろう?
考えていくと、それを信じることで導き出される行いが結果的に正しければ“正しい信仰”、みたいな結論を出さざるを得なくなる。マタギの信仰を理に適っていると評した二瓶のように。それとも私が結果主義に過ぎるだけなのか?
だがそもそも、“正しいから”人は何かを信じるのではない。“正しいと感じるから”こそ信じるのであって、それを正しいと感じさせるのはその人間の固有の心でしょう。そして絶対正しい精神など存在しない。(その定義は誰がするのか?)
聞きかじったウェンカムイの話に対する歪な妄信が規定したのは平太の殺人の“形式”だけで、もしその知識が平太にインプットされなかったとしても、また別の偶像を作り出して平太は遅かれ早かれ罪に手を染めていたんじゃないだろうか。きっと“罰を与えないウェンカムイ”だったら、平太はそもそも信じなかったと思う。信じるメリットが無いからね。(姉畑先生は“好きな相手を連れて行くウェンカムイ”にメリットしかないので信じたと思います)

このタイミングでの平太の話、主人公二人のエゴを暗喩(あるいは揶揄)する話だったのかなあと思ってるけども、どこまで関連付けて考えていいものなのかどうか判断に迷う。少なくとも本人たちは自身のことを引き合いに出すつもりの発言じゃないし…囚人というウェンカムイのことを言ってるだけで全く無関係なものとして語っているし…(杉元は自分を重ねて見ることの出来る存在だという事に若干自覚的なように感じられる素振りはあるけども)。そこを「え、でもそれってさあ…」と引っかかり、しかし自覚が無いこととして語っているものを指摘するのも憚られるこの感じ…わかります?私が穿った見方なだけなんです?でも穿った見方しないとこの…ああコメントに困るぅ~^^

ラストページで鶴見(ドンッ)、土方(ドンッ)、尾形(バーン)という感じで、前者二人と並列な感じでお目見えした元気そうな尾形にフゥー!!船旅は滞りなく順調だった様子。これからどうするの!?どこいくの!?まさか再び…土方陣営に!?

金カム220話「毛皮」感想

グロい話

遠目とはいえ頭にググ…っと圧がかけられ脳みそパーン(物理)に至る流れがナウに描かれたのは幻とはいえかなりトガった描写ですね!!
でも考えてみると「中身が出る」ことには変わりがないのに部位によってグロ度が違う気がするのは何故だろう。臓器としての重要度かな? 脳は特にグロいという気がする。やっぱり損傷・即・死というイメージがあるから?
でも杉元じゃないけど、現実にも掠るどころじゃなく脳をしっかり撃たれたのに一命をとりとめた人の例があるから必ずしも不可侵のデリケートさではないと分かってはいるし、それに命は助かるとしても目玉くりぬきも脳に負けないくらいエグく感じる。しかし同じ頭部でも舌を抜かれるのは脳とか目よりは少しランクが下がる。そして舌よりは鼻を削ぐ方がエグく感じる。…なんか位置的に上に行くほどグロいと思ってるんじゃないかという気がしてきた。なんなんだろう(自分の感覚が)
野間・寅次・親分あたりがドチャドチャドチャッと内臓毀れ落としてたのもヒエ~絶対助からないよお~~><という痛ましさがありましたが、頭部と意識への影響という面では少し距離がある損傷のためグロというより悲惨さの方が上を行くかな。寅次は内臓出てる云々の問題よりは、健吉と同じく腰から下そのものが無くなっているという一目見てわかる手遅れさの方が描写として深刻な気もしますが。

野間の時の、まるで弄ぶかのように何度も獲物を投げ上げて地面に叩き落す習性がヒグマにはあるという解説と描写(あんだけ木に引っかかってたら中身なくなってそう…)、そして今回の、生きて意識のあるまま食われながら念仏を唱えるしかない人間の描写…野生動物かつ特有の強靭な身体能力ゆえに人間同士では有り得ないような無惨な行為を成し得る羆の恐ろしさ、そしてそういった理屈の通じなさを持つ天災に近い生物と間近に共存していかなければならないからこその畏怖と信仰の発生という側面。

しかし三毛別事件そのものの熊の行動もそうだし、三毛別羆事件の生き残りである大川春義さんのエピソードとかも、実際こう、ただの獣と考えるだけでは説明のつかない何かがあるような気がする生き物ですよね…

1985年12月9日、三毛別羆事件の70回忌の法要が行なわれた。大川は町立三渓小学校 (のちに廃校) の講演の壇上に立ち、「えー、みなさん……」と話し始めると同時に倒れ、同日に死去した。大川は酒も煙草もやらずに、当日も朝から三平汁を3杯平らげ、健康そのもののはずであった。その大川が事件の仇討ちとしてヒグマを狩り続けた末、事件同日に急死したことに、周囲の人々は因縁を感じずにはいられなかったという。

もっとも大川自身は、犠牲者たちの仇だけを考えてヒグマ狩りを続けたものの、100頭を達成した後には、本当に悪いのはヒグマではなく、その住処を荒らした自分たち人間の方ではないかと考えたともいう。

 エロい話

平太は通常おっさん顔なのに、ノリ子に相対している時の顔は心なしか若返って描かれている。若いどころか子供? 実際にノリ子という女性の存在が身近にいたとして、それは子供の頃の話だったのだろうか。
薄く開いた艶やかな唇を舌ごと味わっている描写と迷いなく両手で着物を剥ぎにかかっている手つきがエロい、描写の湿度がすごい。
そして悶々とさせられた所に次のページでいきなりのこれまた激グロ展開はわわ~!!
もうこの一連のノリ子が遭う仕打ち、全て幻であるからこそ“犯したい・壊したい”というストレートすぎる性欲と破壊欲と加害欲と劣等感が発露していて、(違う方向にも)グロい。
その見開いた目で美しいノリ子姉さんの顔をじっと見つめる裏には舐めたいほど魅かれる羨望とグチャグチャに引き裂きたいほど台無しにしたい(そして自分だけのものにしたい)衝動が蒸されて発酵して充満していたんだろうなあ…気持ち悪いなあ…
そして見た目がノリ子の時は口開けてることしか分かんないよう描かれた、まだ綺麗さのあるキスシーンだったのに、オールキャスト平太のネタばらし回想の同一シーンでは同じ顔同士でめっちゃ舌絡ませてネッチョネチョしてて視覚に鬼畜すぎる。
「うおおおお!!」ってなったラッキースケベシーンの目をここぞとばかりに離れさせるのはやめてよぉ!!!

キモい話

他の面子の動向には目もくれず一心不乱にガリガリ絵を描いている言葉の通じないヴァシリのスケッチを白石が覗き込むと、そこには…という見開き、超ゾッとするう~!
服の上からじゃ厚着でわかんないけど身体バッキバキじゃないですか。なんだその力こぶのボリュームは。最後の一撃で腕にビキビキ浮かんでる血管といい、なんか殺し屋イチのジジイみたい…頭と体がつながってなくて異様な印象を受ける。
つながっていないといえば、

今回幻のヒグマに平太(理性)が殺されたのも首からベキンッですし、首にまつわる何かが過去にあったのでしょうか。
それにしても今までどちらかといえば杉元が頭おかしい側の状況ばっかりだったから、マジのやべーやつを前にちょっと慎重になってる引き気味の様子が新鮮ですね。
まさかとは思いますが、この「ウェンカムイ」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか?(by林先生)
囚人であるということは収監されるような何かをしたという事なんでしょうけど。一体何をやらかした男なのか…

コワい話

今週を読んで恐ろしい想像がよぎったのですが、砂金取りに獲物の土饅頭に顔を剥がされる殺され方にウェンカムイ、そして折られた腕…北海道に戻って心機一転金塊を追い始めた状況とリンクするように一巻をなぞるような描写が展開される一方で、キャストの立ち位置だけが変わっている。
そんな中でこれまで何だかんだ戦闘不能にだけはならなかった杉元がいきなり片腕使用不能になる展開を見て、もしかしてこれから杉元は、これまで他の人間に対して加えた傷害(命を落とさない程度の)が全部自分に返ってくる羽目になるのでは…と震えあがりました。に、二階堂…
相手も攻撃してきて戦闘になった結果なわけだから勘弁してぇ~!と完全な思いつきなのにフォローしたくなってしまった。しかしマジでどうするの杉元。砂金とれるどころか病院行く金あるの? 木の枝をこう、縛ってアレするのかな…

しかし獲物の命は私たちを生かすことで無駄にはならない理論に救われたり、地獄理論で逆に自分の手段に関して吹っ切れてしまったり、カムイの話をすべて真に受けたりと、アシリパの齎すアイヌの考え方・信仰にどっぷり影響されて“偶像崇拝”も絶好調の杉元ですが、やはりその信心深さというのはどこか歪。
杉元が今真っ先に気にしなければならないのは白い熊の祟りじゃなくて鯉登の祟りじゃないだろうか? 生きてたことを彼らは知らないから普通に考えたら十分死んでると思える状況だし。
結局杉元は“敵”を同じ人間と見做さずモノのように思うことで思考から排除し罪悪感に蓋をする思考形態から一貫して抜け出せていない。ひとたび目を向ければ呑み込まれてしまうその自己欺瞞から逃避するためにも、非人間的な存在への信仰にのめり込む必要がある。考えないために信じなければならない。

しかし「するなと言うな」という頼もしい言葉で迷える杉元に発破をかけてくれて、「わからないことをカムイのせいにして考えることをやめるのは良くないことだ」と今回も冷静な示唆を与えてくれたアシリパさんもアシリパさんで“自分の考えを信用しすぎ”というここ最近の印象がある。
「ふたりの距離」でアシリパのとるべき今後の選択の核心に迫る杉元の問いがあって、その後「アイヌはどうなる?」と杉元のエゴの核心に迫るアシリパの問いがあって、そこまでは来た来たぁ!!と盛り上がっていたのに、その後の逃避行で何故あれほどの戸惑いと躊躇いを覚えてしまったのか?それ以降の不信感は何なのか?というその理由を性懲りもなく考えていた結果、「迷いが無さすぎ」という結論に至りました。
結論を出すのはいい、ただ出す前に迷って欲しかったし、出した後もこれで良かったのかと迷って欲しかった。杉元の問いは杉元自身の精神と経験と人生の根幹に関わる深刻な問いかけだったし、逃亡時の杉元に起こったことも起こしたことも甚大な惨事であったし、下した今後の決意は杉元にいつか引導を渡すかもしれない重大な選択だった。そして谷垣に託したフチのことや、金塊を追うということ、父のした事がどうなのか等も。
指名手配書に描かれた父の顔を見てどう思ったのか、皇帝殺しや狼のように仲間にも容赦のない昔話を聞いてどう思ったのか、極東連邦国家思想についてどう感じたのか、以前は考えた呪われた金塊を葬るべきなのかどうかという問いを今は完全に切り捨てたのか。
それらが分かる時を、その内心を覗ける時を知らず待っていたんだと思います。いつか来ると思っていた、だって傍から見ていると「どうなんだそれ」思うことばかりだったし。それらをどう感じて、どう整理をつける子なんだろう?という彼女自身から見てのありなしを決める価値基準の核が。
でもどうやら“全部アリ”だった…?と立ち尽くしての今、という感じです。銃で定期船の船室を脅す杉元を汗一つかかず見守っているのも、土方陣営と鶴見陣営から刺青人皮奪うしかないのでは?という大真面目な提案も、えっそれでいいの? 苦渋の決断というわけでもないの? 迷…わないの?という戸惑いがあったんだな~と。仮に仕方なくても、そうせざるを得ない苦悩があって欲しかった。
でも元々あまり迷ったりはしない子だったんですよね。後悔もしないし。以前は目的も選択も無害だったから頼もしさとがんばれという気持ちしかそこには抱かなかったけども。
状況が変わっても一貫している性格がただ悪い方に出ているだけなのならば、それは人道的にどうこうの問題ではなくてやはりどこまで行っても性格の問題でしかないのかもしれない…という結論が出てちょっとスッキリしました。

でもその分いつかアシリパさんが「やっちまった…!」と本気で思うような時が来るとしたら、それが一体どんな状況なのかと考えると怖い。
唯一、ウイルクから託された金塊の鍵を忘れていた事に対しては悔いや不甲斐なさのような感情が見える気がしましたが…アシリパにとってのウイルクは、そして彼の残した金塊は、彼女にとって今、正しい、道を照らす、信じられるもの…なのだろうか。それともウイルクよりもキロランケの方が? キロランケがウイルクを殺したという事実に心に残る疑念を抱かされたとすれば、それはキロランケに殺されるようなウイルク、ウイルクを殺すようなキロランケ、どちらに対して?
カムイレンカイネを信じない彼女は、であれば何を信じるのだろう。すべての出来事には理由があるはずだという、理性…?

樺太編の尾形を振り返る

今週の感想書こうと思ったら尾形の話になってきたんで開き直って、突然ですが樺太編の尾形について振り返ろうと思います。(どうして????)

改めて尾形の目的について考える。
まずこないだの鶴見とアシリパが初めて会った時の話ですが、あの時点でアシリパは「自分がどうなるか」よりも「アイヌを守る、キロランケの意思を継ぐ」という価値観で既に動いていた。その上で鶴見という人間の信用度を確かめる(=信用できる可能性が僅かでもあるかもしれないのでわざわざ会って確かめる必要がある)としたら、彼らにとって本筋ではないこちらの目的を尊重してくれる人間かどうか、いわばビジネスパートナーとして信用できる男かどうかみたいな判断基準になると思われる。その結果鶴見は一目見て信用できない(=こちらの意思は尊重されない、尊重する素振りを見せたとしてもいずれ裏切るだろう)と判断された。
その“人を見る目”がある程度確かだとして、そうなると気になるのは鶴見と同じように「信用できない」と判断された尾形の目的も、やはりアイヌに不利益を及ぼすようなものだったのか?ということ。
キロランケの耳に入らない所で鍵の話を持ち出した点からも、谷垣が評したように少数民族の行く末が彼の目的の射程に入ってくるとは思えない。そして「自分が一人で豊かに暮らせる程度の金がもらえれば構わない」という本人の言った言葉もまあ嘘なのだろう、それが本当ならキロランケに交渉すればいい話だから。
つまりそれだけでは済まない、鍵をひとたび渡してしまえば大変なことになる気配をアシリパは尾形から察知し、実際尾形は個人の範疇では収まらない規模の何らかの目的があって樺太に同行し、鍵を聞き出そうとしたと思われる。
だとして、気になるのはもし仮に「それが本当にアイヌのためになるのか?」と、アシリパが尾形の前で(かつての)父やキロランケの意思に同調して金塊を明確に「アイヌのために使う」意思を示さなかったら、つまり尾形が寝込んでる間にアシリパが考えていた「殺し合う原因となる呪われた金塊は葬り去るべきなのか」という考えのまま、金塊の鍵だけを思い出していたならば、その時でも尾形は嘘をつく必要があったのか? その状況でもやはり正直に言えないような目的だったのだろうか?ということ。

何故そんな疑問を抱くかというと、交渉に失敗し「やっぱり俺じゃ駄目か」と諦め、ヤケクソになって言った内容が「手を汚す人間と汚さない人間に分かれる理不尽」を問うものだったから。
おう殺してみろよとまで言ってのけたあの流れで問いかけたのだから、その気持ちは本音なんじゃないかと思っている。(谷垣狩りの時の「俺はここだぜ」といいヴァシリ戦の捨て身作戦といい元々命を投げ出しがちな男ではあるが)
そしてそれが本音だとして、“周りは殺してるのに自分は殺しを避けようという態度”を悪とするその価値観の裏にあるのは「殺さずにいられるなら誰だってそれが一番いい」というさらに前提の価値観(羨望のような感情)、翻って「殺すのは罪なんてことはわかってるが仕方ないだろ兵士は殺したいんじゃなくて殺させられてんだよ」という特権階級(偶像)へのルサンチマン的怒りなのではないだろうか。

何故そう思うかというとヴァシリ戦での「狙撃手論」が間に挟まっているから。
狙撃手に向いているやつ、と称したヴァシリをどこか自嘲的にも見える笑みを浮かべながら「仲間のうめき声を一晩中聞いたって平気で自分の位置を気取らせない事のできる男だろう」と分析し、実際ヴァシリはそういう男だった。その流れから嫌でも思い出させられるのは、まるで真逆の行動をとったvs谷垣時の尾形の振舞い。
つまりあのヴァシリ戦で描かれたのは、尾形はそこに定義されたような「冷血で、殺人に強い興味がある」狙撃手の適格には本当の意味では当てはまらない男であるという暗示だったと解釈している。
尾形は殺しそのものを楽しむような性格では(実は)ない。だから勇作の言った通り、罪悪感もないと思っていただけで(実は)あった。分からなかっただけで。勇作はまとわりついていたというぐらいなので、そういう尾形の根っこの人柄が分かっていたんだと思われる。

しかし殺さなければ戦争にならず、戦争である以上は殺さなければならないのが事実なわけで、そこに実際参画してしまっている以上は罪悪感なんてないんだと思い込んでしまう気持ちもよくわかる。
杉元は罪悪感を感じる必要のない相手だと客体を歪めることでそこに適応した、尾形は道理があれば人間は罪悪感なんて感じないものなのだと主体を歪めることでそこに適応した。アプローチが真逆なだけで、どちらも心の奥底で(そう思わなければ狂ってしまうような)罪に苛まれている。

で、そういう背景があるとして、そもそも何故そうやって罪を負わされる人間と負わされざる人間の差異が出来てしまうのかという諸悪の根源は“戦争という状況”なわけで、もしその理不尽をポジティブに解決しようとするならば“戦争そのものの回避”ということになるんじゃないかな?と考えたので、以前「尾形の目的は金塊を葬り去る(=金塊を使って戦争を起こそうとする派閥に渡さない)ことなんじゃないか」と予想したわけです。また同時にそれは「争いの元になるようなら金塊は葬り去るべきなんじゃないのか」というあの時抱いたアシリパの考えとなら、もしかしたら相反しない方向性だったのではないかと。

そう思った根拠はもう一つあって、仮にその理不尽を“ネガティブに”解決しようというエネルギーに発露した場合、鶴見中尉の目的になるんじゃないかと思って。
北海道独立して軍国主義化、そんな事をすれば(土方の目的以上に)内地との戦争は必至だし、勿論その軍国化の主眼は他国との戦争を想定したもの、そんな対外的状況に併せて内部では豊かな土地を利用した芥子栽培と武器工場による雇用の創出を促す、そうすることによって戦争からの需要が生活を支え、生活のために戦争への需要が生まれる。その構図を月島は「戦争中毒」と称したが、消極的参画から積極的参画へと転換するその革命は、“戦場とそれ以外”という境界を消失させることにも繋がるのではないだろうか。戦場と生活が地続きになる、つまりそこに生きるすべての人間の戦争への参画、とも言える展望なのでは?
そして尾形はそんな鶴見の所から袂を分かったわけなので、“そっちのベクトルではない”という事なのかなって。まあこの二人はどっちもまだ得体のしれない所あるし、大穴で実は鶴見の方が戦争を回避しようとしてる、なんてことも考えられなくはないですが。
でも網走監獄襲撃の様子を見てもやっぱり鶴見は戦争GOGO派と見なしていて良いんじゃないかな。あの囚人皆殺しの阿鼻叫喚の図は、鶴見にとってロシア兵から死刑囚にキャスト変更されただけの旅順なんじゃないだろうか。鶴見にとっての日露戦争延長戦は“ああいうの”で、尾形にとっての日露戦争延長戦はああいうの(心身を削って辛くも勝利した後人知れず膝をつくような)みたいな。まあここの対比はまだ情報が出てきそうなのでこの辺で置いときます。

ただ戦場で周りは殺し合ってるのに自分は殺さないなんて態度俺は認めねーみたいな思想?意地?感情?が尾形にあったとして、それをこれからそうなろうとしている、かもしれない…という段階に過ぎないアシリパに問いかけたって答えられるわけもないから、ところでよぉ…以降はほぼほぼあの世へ言い逃げする気満々の八つ当たりであるし(かもしれないが現実になりつつあるのが今ですが)、
何より汚れる手と汚れない手、その問いの主体が彼個人ではなく“兵士という立場”にあることは“アイヌの偶像”というキーワードによってアシリパが対比されたのが“兵にとっての偶像”を担った勇作であることによってわかるわけですが(そうして一般化された問いだからこそ、手を汚しているのは杉元であって自分ではないのに同じ兵士側の立場としてアシリパの立場を問う道理があるわけですが)、そうやって純粋に「どうしようもない理由(道理)によって罪を負う兵士」としての立場でその不条理を問う資格が尾形には無いんですよね。

すべては子供の時にやらかしてしまった最大級の過ちから。そこの個人的な事情が無ければ勇作を殺してしまうまでには至らなかったような気もするし(罪悪を上から問うた勇作本人が母を殺すような過ちを尾形に犯させた因果に無関係ではないという事実が引き金を引かせた要因のプラスαにならなかったとは思わない)、勇作の件が無ければ父を自身の手で殺すにも至らなかったような気がするんですけど、とにかく尾形には“戦場の外に”個人としての拭えない罪がある。だからこその「やっぱり俺じゃ駄目か」という台詞でもあったのではないかなと。
目的と、目的を持つ己の間に、そもそもそれを追う己という存在への、「やっぱり」と言えてしまうような疑念があったとしたら、あーわかったよ悪いのは全部俺俺!言いたいこと言ってもういい死のう死のう!みたいなやけっぱちさで勢いよく諦めてしまえた気持ちも納得がいく。
まあそれでもいきなり善悪問答ふっかけたんじゃなくて、初めは一応出来うる限り穏便に、アシリパに危害が及ばない形でネコババしようとはしてたと思うよ…という感じの話を以前したんですが↓

でもあと一歩何か、尾形の偶像理論に関して言語化できていない善悪の境みたいなものというか、周囲とのズレというかが自分の考えにはある気がして、それはどこにあるんだろう?という事を、今週のノリ子のエロさについて考えていた時に掴めたんですよ(嫌な今週の感想への導入)

女性キャラの少ない漫画ですが、その分梅子とインカラマッと、あと今週のノリ子あたりのキャラクターは強烈に「女ッ…」て感じがしてドキドキします。物凄く女性らしい人物像ってなんか普通に異性のような意識をしてしまう。
今週はノリ子の唇がエロかったですね…「一山当てたら東京に…」というテンプレな台詞を言う嵩さんと向き合って口元だけがアップになってるコマの淫靡さがすごい。お銀といい、女性キャラはたまに出る分たまに出るとすごいエロいという印象。(その後の平太師匠のコマから目を逸らしながら)

でもこの漫画で一番“女”の象徴なのは梅ちゃんだなあということをぼんやり考えていたんです。待つ女、戦場と遠く離れた場所で男の持ち帰った殺戮の匂いを恐れる女、自分のものにはならない女、遠い女…男という存在からの“女”という存在の究極は、遠さの象徴、みたいなイメージが私の中にはある。

「あなた…どなた?」の時、杉元は怒れれば良かったんですよね。梅ちゃんに向けてじゃなくても、自分の中に起こる感情として。
国の要請で徴兵されて、地獄のような戦地で生きる為に戦って手を血に染めてきた、そこに自発性なんてものは欠片もなかったのだし、望んで行った地獄なんかじゃ間違ってもない、だからそんな彼を“変わり果てたもの”として忌避してしまうようなあの言葉は“ひどい言葉”なんですよ。悪意がなくても理不尽だった。
でもそこで俺だって、という気持ちにはなれずに杉元は傷付いて、落ち込んで、トラウマにしてしまった。それは寅次をみすみす死なせて俺だけ生き残ってしまった、という負い目があるからこそでもある。
杉元は自分をお先真っ暗な手遅れの死にぞこないと思っている。過去の清算をとにかくしたいという気持ちばかりで、未来をどう生きていけばいいかという事は全く考えられないでいる。
一巻で「兄ちゃんたちが戦ってくれたから日本は南樺太を取り戻せた、おかげでこの港町はこれからもっと栄えるだろう、本当に御苦労様でした」と拝むおっちゃんに対し「…儲かるのは商人だけだろ」と返したように、戦争が“必要だった”のは国にとってであって俺ではない、だから良いことをしたとかそういう問題じゃない、という風にしか一兵士としては思えていないことが分かる。

でも戦った勝ったと言ったところで自分や梅ちゃん個人としての生活が良くなったわけではないし意味が無い、というあくまで個人単位の価値基準がそこにはあるけど、もし日露戦争で日本が負けていたら戦後の日本はまるで違う状況になっていただろうし、現在まで続くもっと不利で不便な生活が待っていたのだと思う。歴史にもしもと言ったところでどこまで行っても「もしも」でしかないのだろうけども。

私は戦争の勃発とそれに伴う徴兵制、あるいは兵士への需要の発生というのは究極の男性差別だと思っている。いや女性は女性で地獄を見ているし、女性兵士も世の中にはいるんだけど、母数と、常識という名の空気の問題で。
健康な男が戦地に送られ戦って殺して時には死ぬ。そして皆がそうした犠牲を払う時勢にあっては、健康上の問題で徴兵を免れた男が村八分にされたりもしたらしい事が津山事件の記述からもわかる。かといって勿論行けば地獄、送られる戦地は選べず、その先は旅順だったりレイテ島だったりする…逃げ場がない。端的に言ってその時代の青年はものすごくかわいそう。
でもこれは戦後70年、軍隊という組織が解体され自衛隊という組織に取って代わった専守防衛国家ネイティブの断絶した感覚なんだろうとも思う。国の為という言葉を言葉で用立てるだけの現代とは違い、肉体をもって資する役目がかつては明確に、身近にあって、役目の方から国民を迎えに来た。逃げることは特別な事由の無い限りできない。
国というものはものすごく強力に国民を守ってくれる。私は海外に行ったことが無いからパスポート持ってないけど、海外では後生大事に日本国発行のパスポートを持っていないと大変なことになるという。

何の話をしているかというと、私の倫理感覚の話です。手を汚す兵士と清いままの偶像、この差異の発生が理不尽だと主張する尾形の理屈を私が理不尽だと思えないのは何故なのか?という。
それはまず戦争に行かされる人間と行かされなくて済む人間、という差別がまずあって、そこの差別に関しては作中で言葉として明文化されてはいないけど、私はそこで既にちょっと申し訳ないという気持ちがある。何故なら戦争に行かされた人間の働きの恩恵を“国”は受けていて、そしてそこの国民である以上は私もその過去から連なる恩恵を受けている。差別の恩恵を受けているのでその差別を当然と看過することに咎める気持ちがある。単純な理屈だ。
そこの前提があるから、差別され戦場に隔離されて望まぬ罪人となる人間の中で、彼らをより多くの罪へと扇動しながら被差別側には収まらない“偶像”が特権階級として配置されるという更なる差別があるとしたら、酷い話だ、と思う。貧乏くじでも、同じ貧乏くじを引いた人間しかここにはいない、というある種の空間への信頼は、きっと拠り所であると思うし…。

ただ強調しておきたいのは尾形の言うことが尾形単体でわかるって話であって、単体で一理あったからといって対置された勇作やアシリパに理が無いとはならないということ。勇作も勇作で旗手と師団長の嫡子という宿命を背負っているし、アシリパアシリパでヤバい父親と民族的差別という宿命を背負っている。どっちかに正しさがあればそれはもう一方が間違っているからではないし、どっちかに瑕疵があってももう一方が正しいからではない。個別に語られるべきことだし、関連付けてはいても個別に語ってるつもりなんですよ。(弁解)

とにかく、この漫画の大きな主題には「差別」があると思っている。帰還兵差別(ところで私はランボーが好きです)、結核差別、敵兵差別、囚人差別、罪人差別、民族差別…主要キャラの誰しもが何らかの差別を“平等に”されている。
そんな中で妾の子やら山猫やら家族殺しやらコウモリ野郎やら後ろ指さされまくりの最底辺を孤高に往く尾形はやっぱり重要なキャラなんだろうなと思います。樺太編を振り返ると改めてそう思う。
だから個人的にはアシリパと尾形の三週ぐらいに渡って展開された一対一の問答は樺太編の総決算として相応しいものだったと。あれだけ双方対等に会話でボール投げ合った場面ってこの漫画では珍しいんじゃないだろうか?
考えてみれば対尾形でアシリパの対話フェーズは一旦クライマックスだったからこそ鶴見との対話は持ち越されたという側面もあるのかもしれない。
もう週替わりに尾形が頑張って話の辻褄合わせててすごかった。杉元や白石と俺は一緒の目的だ、俺にはくれないのか?アイヌのことはキロランケに任せておけばいい→ならなんでキロランケから離れたところで聞く?(=アイヌに使わせる気が無いからなんじゃないのか)→お前の父親が撃たれた時キロランケが指示していたからだ(指示されたのお前だけどね)だからとりあえずキロランケは信用できない、だが俺は杉元の頼みを叶えないといけない、あいつのためにも教えてくれ→なんでそのことを今まで黙ってた?→杉元が惚れた女についての頼みだったからだ、お前は聞きたくないだろうこんなこと…という一連の流れとかめっちゃ熱かったですよ。あっその手があったか~!?みたいな。絶え間ない矛盾レシーブ。頑張ってるう~!って感じだった。
そして最後は理屈ではなく感情から発された問い(そしてあるいは感情から発された答え)で敗北する、というのが皮肉が効いてていいですよね。カンカンカンカーン!という試合終了のゴングが聞こえた。
まあだからあそこで死ななかったのも道理で、祝福され度において最底辺の人間なりの納得いく結論に至るまでは尾形は退場しないのでしょう。

ところで差別といえば、アシリパと有古が会う時がひとつのターニングポイントだと思うんですよね。同じアイヌで、アイヌを守ろうと刺青人皮を追おうとした事は同じでも、二人の立場は異なっている。ロシアから来て少数民族全体を見据えた計画を画策していたウイルクとキロランケの遺志を背負うアシリパに対して、あくまで北海道アイヌとしての親の遺志を継ぐ立場の有古。金塊強奪事件において加害者とされているのっぺらぼうの娘であるアシリパと、被害者の一人の息子である有古。杉元と白石という仲間がいるアシリパに対して、鶴見と土方に利用されて親族を人質にとられ四面楚歌の孤独な有古…。目下ここの接触がどうなるのかが今後の展開として非常に気になる。
あと尾形は鍵奪取に失敗して一旦は完全に諦めての今、以前の目的から変化したのかどうか? 鶴見に捕まらなかったことだけは現状でも吉報だった様子ですが。

いやーそれにしても唐突な記事になりましたね。そうだ、男性差別のくだりでもう一つ考えたことがあるんだった。以前下記のようなツイートをしましたが↓

更に加えて、アシリパの位置が梅ちゃんやインカラマッのような女ッ…ていう感じの女性だったとしても尾形は同じように同じ問いをするのか?と考えると、全く同じように問う気がするんですよね。なんかその辺を全然問題にしない感じがある。何故だろう。
というわけで今後もノリ子みたいな色っぽい女性がたくさん出てきたらいいなという話でした。おしまい。