8番倉庫

長文置き場

金カム218話「砂金掘り師たち」感想

わりと面白いんですけどなんか集中出来ないので、今回も別に長文になるような感想はないかな…と思ったんですが、集中出来ない理由を自分なりに考えて整理しとこうと気が変わりました。(よくあること)
一応今週の話の感想としましたが厳密には「このタイミングで思ってる最近の漠然とした感想」みたいな感じで砂金の話はあんまりしてないです。そして主人公陣営(特にアシリパ)に厳しめな内容になってしまったので、マイナスな意見が我慢ならない方は閲覧をご遠慮ください。

北海道に戻って心機一転、まるで第一話からの展開に戻ったような砂金掘りのお話。なんかめちゃくちゃ不気味だしなんで? ゴースト?と話の先は普通に気になるんですが、それはそれとして端々の発言で頭を掠めるここまでの蓄積への引っ掛かりが私の心の川を汚しています。(別に元々清流じゃないだろ)
相変わらず一般人と見做した人間には「やさしい」と驚かれるほどの気遣いを見せる杉元。自分は死にかけるような傷を無数に負っていても、小さな傷に対して「大丈夫か?」と心配する度量を見せる。しかし敵と見做した人間には躊躇なく刺し貫く恐ろしい切り替えの早さがある、という一面が辺見や偽アイヌの“やさしさ”で繰り返し描かれてきました。
その“裏切りのような残酷さ”がなぜ心情として許せていたかというと、「1.相手が囚人で極悪人」かつ「2.金塊を追う譲れない目的が杉元にある」かつ「3.やられなければこちらがやられる」かつ「4.杉元がどれだけ残酷になろうとそれは“不死身の杉元”という個人が自分の意思で勝手に起こす行動に過ぎないから責任も罪過も彼一人に帰属するものでしかない」といういくつもの“道理”があったからです。
しかし仲間として長期間旅を共にし、かなり世話にもなった鯉登少尉がとうとうその“スイッチ”の餌食になった事が、今の杉元の立場への拭えない疑問を残している。
確かに“金塊を追う”立場上、鶴見側として目の前に立ちはだかった鯉登は敵と言えるでしょう。でも金銭面で多大な恩があるし、一理あることを言うような人間だとサーカスの時の会話で知っているし、彼は自分の立場に則った行動をしているだけだし、杉元が「だから構わないのだ」と言語化した「(どうせ死刑になる運命の)痛みすら感じないような極悪人」ではなかった。ここで先に挙げた1個目の道理は潰れる。
その上で、金塊という目的が譲れないからこそそういう欺瞞を引き合いに出す必要があった、しかしそもそもその金塊に対する動機自体が揺らいでいる…という事が白石に追及された際の反応で描かれた。二百円の事は頭にある、あるけども、という迷いが既に杉元の中には生じており、「カネカネうるせえんだよお前は!」と白石を責めてビンタする始末。カネが必要なんだ、と言ってどんな汚い事でもすると決意したあの日の杉元のなりふり構わぬ決意は既に彼の中に無い。いや、競馬場の「俺があの子にそんな事言うと思ってんのか」の時点で実は既になり振り構わないとは言えなくなっていたのかな。でも相棒としての義理を通す事で反面“宙に浮く”梅ちゃんの事情は、明文化されないが故にぼかされていた。その保留されていたどっち付かずの態度があの問答で浮き彫りになった。
金塊を追う目的が「考えてはいる」と先延ばしに出来るようなものでしかないのなら、それを叶える手段の正当化のために用いられていた欺瞞についても当然問われ直さなければならなくなる。
カネが絶対に必要で、自分のカネの使い道は親友の遺言と惚れた女のためで、だから私欲のために罪を犯して金塊争奪戦に関わっているような極悪人の皮なんかひん剥いたっていい、人間性が違う、気兼ねなく殺せる。その「誤魔化し」を許させていた、選択の余地のない動機の切迫性というものが最早形骸化しているのならば…。
これで2個目の道理も潰れる、で、あの時の鯉登は銃を構えながら不用意に近づいただけで、杉元は死んだと思っていただろうしアシリパに危害を加える立場でもないから、杉元自身が死にかけていたとしても鯉登という人間に限って言えばやられなければやられる状況だったと言えるほどの緊急性も無かった。
これで3個目の道理も消える、そして4つ目。これが現在進行形で判断をつけ兼ねてる問題です。
以下アシリパの話にシフトしますが、先週の発言で彼女が「土方陣営と鶴見陣営の刺青人皮を奪うしかないのでは?」と、“陣営”という単語を使った事が個人的にわりと衝撃でした。今までの彼女なら使わない単語だと思った。父が始めた争奪戦のキーとして大人の戦いに混じる中立の子供、ではもう明確にない。一つの陣営として金塊争奪戦に参加して、他の陣営を積極的に出し抜く意欲が無ければ出てこない言葉です。
だとして、改めて「自分は“盾”で杉元は“矛”となってこの争奪戦を勝ち抜こう(己のポジションは特例により変動可)」という考え方はちょっとひどいんじゃないかと思った。
さっさと鶴見に金塊渡しちまった方がアシリパさんのためだと一人で決めてかかっていた杉元に「恋人でも嫁でも娘でもねえのに」と白石がその行き過ぎた干渉を詰っていましたが、アシリパにとってもそれは同じことで、杉元は「恋人でも旦那でも父でもない」。二百円という目的が「俺たちだけで見つける」以外の道でも叶う望みがある以上、杉元がアシリパの道行きに付き合う事には少なからず「アシリパのため」という理由が入る。だとするとアシリパにも、アシリパ自身の目的に杉元を付き合わせている責任、というものが大なり小なり生じる筈だと思うんですよね。恋人でも旦那でも父でもないけど利害が一致しているために共に戦ってくれる杉元、そんなあくまで他人であるはずの杉元を、今のアシリパの考え方はあまりにも“利用しすぎ”ているものなんじゃないだろうか?
金塊の鍵は思い出したけど伝えないでいておけば杉元は私から離れられないから盾になれる。その間杉元に矛をやらせるわけですよね。こないだの感想で「それは杉元の命を守ることにはなるが心を守ることにはならない」と評しましたが、そもそも杉元が二百円にこだわっていたのも“罪滅ぼし”という側面が大きい。地獄行きだと開き直りつつも、それは開き直らざるを得ないような罪の意識があることの裏返しなわけで、究極的には「犯し続けている罪を打ち止めにしたい」から金塊で運命を変えようみたいな心理で杉元は動いてるんだと思うんですよね。そんな彼の存在を、戦い続けさせた上で「いざという時は共に地獄に落ちよう」という結論を出す事には、「最後まで使い切ろうとする」ような非道さがあるように感じられてならない。杉元が魂が抜けるまで戦う必要は二百円さえあれば本来無くなる筈なんですよ。
でもやっぱり俺たちだけで金塊を見つけよう!と再スタートした結果、杉元は恩人の鯉登を刺すという前述の道理の一線を越えた凶行に至るわ、シージャック犯になるわ、ヒグマのケツに銃を刺してかつての某囚人のような変態に成り下がるわギットギトに汚れていく一方じゃないですか。土方陣営と鶴見陣営から刺青人皮を奪うとして、それも結局杉元がやる事になるんでしょう?
で、今週一番引っかかったのは、「あの白いクマをちゃんと送ってあげる前に流されてしまったから、山の神様に嫌われたかな」という杉元の発言への「…どうだろう」というアシリパのリアクションの薄さなんですよ。
白いクマの事も「いいんだ」と率先してあっさり諦めたのはアシリパでした。確かに重症の杉元と凍死寸前の白石に引き換えられるものではない。でも「地獄に落ちる」ことも、本来丁重に送らなければならない筈のクマを「カネのために失礼な方法で殺した上できちんと送れなかった」ことも、アシリパにとっては「道理があれば仕方ない」と割り切れるようなものでしかないのだろうか?
「人を殺したくない、人を殺せば地獄に落ちる」というのも「カムイを丁重に送ってまたこの世に来てもらう」というのも、アイヌの信仰に則った考え方であるわけで、そこを疎かにする“忌避感が存在する”ってことが“信じている”って事だと思うんです。
杉元の「人を殺せばなんとかっていう地獄に落ちるって言ってたよね? 信心深くないアシリパさんはそれをどう解釈してる?」という問いかけは非常に良い質問でした、私も是非そこが聞きたかった。アシリパがこの争奪戦に参加する資格があるか、参加するべきでないかの分水嶺はそこだったと思うから。
その上でアシリパの出した答えは「道理があれば落ちる覚悟がある」だった。でもそうなると、そもそもの争奪戦に参加しようと決意したところの「アイヌの文化を守らなければ」という動機自体への疑問がわく。
アイヌという存在は守りたいけどアイヌという考え方は守らなくてもこの際仕方ないというのが今のアシリパのスタンスですよね。アイヌの思想を真実だと感じている“感覚”はそこには無いわけでしょ? だとすると地獄に落ちるかもしれない修羅道を進み、最悪杉元がいずれ手遅れになったとしても追うと決めた「アイヌを守りたい」というその思いの源というのはどこにあるの? 結局それは“アイヌとして”というよりはやはりウイルクの娘として、キロランケに託された立場として、杉元とのこの旅の帰結として…というような、個人的な関係の延長線上にあるものでしかないんじゃないの? 文化を残すとして、信仰を伴わない、実感を伴わない思想にどれほどの真実性があるのだろう? 確かに知識は教えられて備わっているけれども、アイヌの考え方への信仰心、という意味ではアシリパより杉元の方が余程強いように見える。トゥレンペの時からそういう描写はされていたけど、今回の白クマの件への言及といい。
少なくとも今の杉元はアシリパが「いざという時は地獄に落ちる覚悟だ」と“そこを犠牲にできる”と感じている、なんてことは全く想像してないわけでしょ。地獄に落ちるようなことはすべきでないというアイヌの信仰心(忌避感)は持ったままそこを守ろうとしているのだと信じてるわけで、そこのすれ違いってすごいでかいと思う。そこが最後の一線だと杉元は感じてるわけじゃん。そこ行っちゃったらもう戻れないから、って。そこを守ってくれることが、汚れに汚れて傷付いて魂抜けて終わるかもしれない危険を冒しても自分は構わないという杉元の覚悟にとっての必須条件なわけでしょ。ここ最近のアシリパの考え方と動向はその想いに報いているとは言えないと思うんだよ。で、その上で次々と杉元の手は実際汚れていってるから、良いんかいこれで? 思想は自由でも罪穢れは消えないのやで?とどうしても気になってしまうという。
尾形風に言うと「親たちの想いに応えて極東連邦国家の夢をもう一度か? 一発は不意打ちでブン殴れるかもしれんが和人相手に戦い続けられる見通しはあるのかい? 一矢報いるだけが目的じゃあアンタについていく杉元が可哀想じゃないか?」という感じ?
数週間前ぐらいにTwitter上に置いてある匿名質問ツールに「最近アンタ見当はずれなアシリパさんへの批判多すぎ!尾形が片目失くした恨みでアシリパさん叩いてるんでしょ!調子乗んじゃねえ!」という感じのアシリパ派の人らしき複数名からのポストが立て続けに届き私が袋叩きに遭うという惨劇が起きたんですが、私は強いて言えば“杉元が可哀想だから”アシリパへのツッコミどころを言語化していたんであって尾形は関係ないんですよね。尾形があの時言ってたことは一理あるという主張と、あの一連の流れでのアシリパの尾形に対する態度に関しては別におかしな所はなかったと思うという考えは両立するんですよ。
で、私のこの話が全く通じない、全然そう思わない、お前は何を言っているんだとマジで思って匿名で物申してくるような人間が少なくとも複数名確実にいるという事実が、「私が気になっている諸々の箇所は、実際原作でも今後否定するために敢えて描かれた露悪というわけではないのかもしれない」という懸念を急速に強めている。

ゴールデンカムイという作品がこうやって色々考える余地があって面白いのは、一人の人間の考え方があったとして、それを否定する考え方を提示する別のキャラクターが現れるところにあると思ってます。
そういう存在の筆頭が尾形だったんですよね。さっき例に挙げた土方への問いも、鶴見への「たらしめが…」も、杉元への「皆殺しにしやがった。おっかねえ野郎だ」も、谷垣への「色仕掛けで丸め込まれたか?」も、「大方金の使い道で揉めたんだろう」というウイルクとキロランケの決裂に関する身も蓋もない見方も、アシリパへの「自分は手を汚さない偶像に収まるつもりか」という問いも、勇作への怒りの発露も。
私が尾形に「やるじゃん」と思った数々の態度が“どういうものなのか”を一言で表すならば、要するに尾形は何かの“役目”が自分にあると思い込んで一部の他人にとっては不利益を齎すような何かをした、或いはしようとしている相手に「それって自己満じゃね?」という疑問を呈する男なんですよ。ことごとく。
お前の主張は分かったが周りの或る人間はそう思っていない、そいつから見たらそれは迷惑で勝手な行いに過ぎない場合もある、と突きつける。それは尾形自身がずっとその「爪弾きされたその他」側だった半生から来ている視点でもあるのでしょうが、私はその考え方ってけっこう同意出来るんです。それで幸せになるのはお前の贔屓してる一部の集団だけだろっていう冷えた視点が。
こないだ白石がキロランケの日露に参戦した想いを「少しでも多くのロシア人をぶっ殺してやろう」と思ったに違いないという解釈をぶち上げて物議を醸してましたが、あの発言における主眼は“実際そうだったかどうか”という事ではなくて、キロランケの革命に向かう姿勢がトータルで傍から見ると「(そういう推論すら出来てしまう程の)“行動を起こしている自分”になる事が目的なだけの自己満足」に過ぎない、という“キロランケの偶像化を否定する視点の提示”だったと解釈している。
実際私もキロランケがキャラとして「タイプではない」理由の一番大きな部分が、『革命』を“目指していた”のは事実だけどでは“実際に出した結果”はどういうものがあるの?と考えた時に、やってる事が甘すぎるという点にある。
皇帝殺しにビビッて失敗した若き日に始まり、ウイルクの容赦のない行動力に憧れながらも革命家としてはずっと二番手の補佐、決裂したウイルクを尾形の手を借りて殺しその娘を連れて樺太に赴き少数民族の現状を見せ自然とカギを思い出すことを待ちつつ、事故で刺してしまった女の怨恨から復讐され志半ばで死亡。そこで致命傷を負うことになったキッカケも、敵を殺す前の極度の緊張状態の中鳴いたアザラシの鳴き声にビビッて不意打ちに失敗したのが原因なので念が入っている。
強いて言えばアシリパが実際鍵を思い出せたことが“出せた結果”であり、この旅は無駄ではなかった=結果が出せたと満足して死んでいったんですが、杉元からしてみれば一連のキロランケの行動はまだ子供のアシリパさんを巻き込んで「戦わなければならない」という選択肢に追い込んだものでしかなく、アシリパが「道理があれば…」という結論を出してしまった今それは事実になってしまった。キロランケが連れて行きさえしなければアシリパは「干し柿を食べていつか杉元も戻れる」と願ってくれた無垢な少女のままだった。そういう違う側面で捉えられる余地のある結果が“集大成”となると、革命という観点から言えばかなりささやかな結果に終わったという印象を持たざるを得ない。「“キロランケは”満足して死んだ」という事実、残った結果はそれ以上でも以下でもない。
でもそれはそれでいいんですよ。御大層なこと言って結局自己満じゃねえかと突っ込める要素がそこにあったとしても、彼はそこに全力投球してその報いとして死んだ。死ぬ以上の責任の負い方は無いわけですから。
最近の展開で、漫画作品における群像劇というものの限界を勝手に感じています。主人公がキモいなんて新しい!とか言ってわりと杉元のツッコミどころのある考え方も悪役として肯定的に見てたけど、主人公側の面子全員共感できないとなるとキツい。何故かと言うと彼らは退場しないことが確定しているから。
色んな考えの登場人物が居て、お互い相反する関係性が出来て争う…それは群像劇の醍醐味だし実際見てて面白い。
しかし馬券が当たらない方がアナタにとっては良いのでは?と「杉元が必ずしもアシリパに付き合う必要は本来無いのだ」という視点を持ち込んだインカラマッは刺されて離脱したし、「お前は自分は殺人に関係ないみたいな顔してるが違うんじゃないか」という視点を持ち込んだ尾形は片目無くして離脱したし、「民族の一員である以上革命と無関係ではいられないんだ」という視点を持ち込んだキロランケは死んで退場した。他者とぶつかり合う個別の思想に殉じたところで、脇役ならばそうやって退場の可能性がある。
しかし主人公だとそれが無い。これが小説や映画なら完結と共に世に出るので主人公にも等しく他の登場人物と同じ“退場”の可能性があるけど、長期連載となるとそうはいかない。最後まで出演が確定している、つまり否が応でも“特別な語り部”としての役割を担う側面が主人公にはある。
やっぱりアシリパはヒロインというより主人公だったんだなと最近しみじみ思います。物語の“視点”を杉元と分担していた。殺しのブレーキのいまいち弱い杉元に対しそれはダメだと諫めつつ、殺し合ってまで求められる呪われた金塊という存在自体を問う、民族的文脈で言語化可能な善良な価値観を持った娘。しかしそうした抑止力、秤の担い手としての役割を彼女は既に下りた。
始まりの動機が父親の喪失で、その父親がのっぺらぼうなのが初めから決まっていた以上はこれは既定路線なのかなとは思いますが…しかし不動の一軍の語り手の思想が偏っているというのは物語を追う上でわりと辛いものがある。信頼できる語り手をくれぇ!という気持ちになる。画面上に「こいつは信用できるな」という登場人物が誰も出てくれない不安。
白石も一緒にいる理由がどこまで行っても最終的に成り行きでしかないのに最近妙に踏み込んだ発言するし、杉元とアシリパの劇場をかぶりつきで見たい人かなんかなのかな?という感じするけど、脱出に成功してからこっち「そんなんで金塊に手が届くかよ」とダメ出ししっ放しでどういう温度なのかよくわかんないし。
ヴァシリもマジで尾形に会いたい一心で一言も喋らずこんな所まで来ちゃって、そろそろ「正気かお前」という気持ちになってきた。モノローグすら無くなっちゃったけどちゃんと色々考えてるのかな? 大丈夫?
で、白石が調子よく「仲間」と称したそんな今の一味を「いや…『烏合の衆』」と訂正した杉元は、相変わらず自分たちの現状に対する認識に関しては矢鱈と冷静な男。白石のダメだしが尤もであること、自分はアシリパにとって金塊の鍵を教えられない立場でしかないこと、尾形を目的についてきているヴァシリを戦力として都合よく利用しているだけなこと。それらを分かっているのが分かるからこそ、そこに“甘んじている”その心情の根っこが分からない。いざという時の判断の予想がつかない。
そして金塊を追うに際して存在するそういった諸々の歪みを一旦置いておくような、砂金による一攫千金話が始まってしまったわけじゃないですか。50円稼いだ、とか言われると否が応でも×4で杉元はゴールじゃんという発想が浮かぶでしょ。そしたらもう誰も殺さなくていいんだよ。もうすごいモヤモヤする。すぐそこに破滅が迫っている気もするし全然迫ってない気もする。

尾形はまだ私の中では信頼できる男なので出てくると嬉しい。船長を銃で脅さざるを得なかった杉元一派に対し、尾形は棒鱈だけで無賃乗船できて船長は良いことしたという認識しか残らないWin-Winの方法(尾形が乗ろうが乗るまいが船は出るので誰も損をしない)で一人帰還した手腕に「やるじゃん」と見直したし。
それ自己満じゃないの?という、結果が出るのはまだ先な活動に邁進する面々の中で、尾形は良かれ悪しかれその都度必ず結果を出す男です。何かの状況を変えなければならないとして、一人で出せる最大限の結果を実際出してしまう。殺鼠剤盛れてしまうし弟は撃ててしまうし父親は殺せてしまう。兵が沢山無駄に死ぬだけで非効率だと感じれば実際狙撃部隊の編成を上申する積極性があるし、狙撃能力が必要なら実際最高レベルで身につけるし、もうなんかとにかく必要が生じたらトライアルアンドエラーで実際どんなことでもやってしまう。一人の意思で行動し、その道理に即した自分の行動の責任をとるためならば死んでもかまわないとマジで命を投げ出してしまう。ある意味尾形もバーサーカーみたいなもんかもしれない。
杉元はそういう不合理な状況に精神の面では流されて流されて、でも肉体はメチャクチャ強いので肉体が結果を出す。尾形は肉体は普通だけど精神がメチャクチャ強いので精神が結果を出す。本質的な性格は杉元は超ネガティブで尾形は超ポジティブという感じがする。
殺してみろ俺は不死身だと正当防衛的に皆殺しにする杉元と、殺される前に一人だけいきなり殺す尾形みたいな。尾形が殺す人間を杉元は絶対殺さないけど、杉元が殺す人間を尾形は絶対殺さない。殺害に至るプロセスが真逆。ただ出す結果は真逆なんだけどどっちも爪弾き者なので視点は共通している感じ。だから同じものが見えてる以上は案外気が合うような気もする。どちらかと言えば水と油になってるけど。

でもそうやって尾形が(個人的に)信用出来るキャラだったとしてもさ、前述の通り語り部たる主人公が中立から抜けて明確な一角の立場を持った以上、そこに疑問を差し挟んだ立場の登場人物の意見というのは今後否定されるだけのものでしかないのだろうか?
主人公の正義と真っ向からぶつかるような別の正義を持ち込む登場人物が初めから登場しない作品よりも、登場した上でその正義が正義と扱われずに終わる作品があるとしたら、それはともすれば期待・応援させない前者よりもある面では罪深いのでは…という考えが最近浮かんできて…面白いです。(結局面白いんか~い)

金カム217話「北海道にて」感想

アイヌの女の子? ああ泊まってたわよ。海軍がその女の子を追っかけて…」と答えてくれる女将さんの呼称に合わせ、「女の子は捕まった?」と聞き返す柔和な尾形にゃん。なにこれ流石バアちゃん子~~~語尾に絶妙な甘さをひと匙加えたテイスト~~~!
“女の子”は流氷に下りて鶴見から逃げおおせたらしいと知り、ニヤリと笑う。うまく逃げたか、という感じのフフン顔。今後どう動くにしろ、鶴見には確保されていて欲しくない様子。
満鉄という新キーワードで、鶴見の計画を邪魔したい明確な理由が尾形に存在する…?ということがうっすら匂ってきましたからね。やはり父親絡みの。

災難から脱した連絡船、忙しい船長の元へまた面倒ごとが舞い込む。
「年老いた両親の待つ北海道へ帰りたいのですが……船賃がありません」
尾形が「年老いた両親の待つ」とか言うと嘘は嘘でもハイパーブラックジョークになるな。
「船賃の代わりと言ってはなんですが…」ス……

「棒鱈です」(小首傾げ)

そのフォントもうギャグじゃん!!!!!!
絆された船長(いい人)、涙を堪え切れず乗船を許可。たらし込めている!!!? やっぱりあの時「たらしこんでみせましょう」とか自信満々に息巻いてたのは実績があったからなんじゃない!? 勇作殿は無理だったけどおじさんとかはすっごいたらし込めてたんじゃない!?
だって見て下さいよこのしおしおの哀れを誘う背中の丸まり具合…下がった眉尻…そして窺うように傾げられた首と上目遣いと共に差し出す「棒鱈です」…ああでもやっぱり獲ってきた獲物で話聞いてもらおうとする所は変わらないんだ…
はあ、なんとあざとい睫毛だ…顔が整ってて青白いから一層効果があるんだろうな…これは乗せる…これは乗せますわ…こんなしおらしい、多くを期待せずそれでいてじっと善意を待つような目で見つめられたら…

しかし表紙では「やった☆」とばかりに快晴の下船頭に立ってニンマリする尾形にゃん。ちゃっかり~~~~!!!!カワイイ~~~~~~~!!!!!!(ペンライトを振る)

ていうかマジでお金全然無いの? 大丈夫なの? ちょっとはあるけど船賃が結構高くて手が出なかったの? 棒鱈はどうやって調達したの? 船賃ほどは無かったけど棒鱈分くらいはお金があったの? それとも棒鱈も、捨てられたしおしおの猫ちゃんみたいな顔して誰かから貰ったの?

まあ何にせよ無賃乗船した上でまったく体力を使わず楽に、悠々と北海道に一人帰還するとはね…やるじゃない…
表紙含めてたった3ページで大盛り上がりしてしまった。やはり尾形は最高。(面白カワイイから)

杉元陣営の方は久々のヒグマによる人食いシーンでウワ~~と思ってたら何だかホラーな展開。

熊は神様で、自分から矢や銃に当たりに来る、というしばしば登場するアイヌの考え方がまた出ましたが…前回の白熊は自分からケツを掘られに来たとでも言うんですかねぇ…🤔

方陣営と鶴見陣営の刺青人皮を奪おう、二者をぶつけてその間に掠め取ろう、と金塊を自分たちで手に入れて使うとなれば発想に躊躇がない主人公勢。有古くんは掠め取ろうとしてその二者に挟まれてボッコボコにされましたぁ~~

さて平太という男は杉元とは違ったベクトルでの不死身なんでしょうか。ゾンビ? 気になりますね。
というか杉元も、あの傷もう全然治った感じなんですか? 怖…おばけ…

ジョーカー観たよ

※超ネタバレ注意

仕事で「え、それ問題なくない?」という事を「僕も問題ないと思うけど」と前置きしつつ、たまたま目にしたらしい全然内情知らない別の部署の管理者に注意されたという報告をすることで婉曲的に注意されるというしゃらくせえ一幕があって社会なんてクソだよォ!という気持ちが高まりジョーカーを観てきました。

ちょっとでも変わったことするとアウトなんだな? 一つとして“異常”な行動はするなって事なんだな? 言われたこと以外何も考えないのが“正常”って事か、そりゃあ模範的に生きるなんてさぞかし簡単な事なんだろうなあ!とクサクサしてたら、作中の“日記”で「普通のこと以外はしないこと…」みたいな感じでアーサーちゃんが同じようなこと言ってて笑った。おうゴッサム燃やそうぜ!!!

いや予告編とか全然見てなかったんですけど、なんかちらほら目にする感想的に大量殺戮犯のテロリストにも悲しい背景が…みたいな、いわゆる『無敵の人』の抱える悲哀、みたいなのを見せつけられちゃうのかな~と予想してて見るのを迷ってたんですよ。だってそんなの胸糞だろうから。
こないだ無敵の人というワードがバズった時に「一人で死ね」という批判意見が出て、そしてその発言は危険だという批判も集まってきててちょっとした論争になってるのをトゥイッターで見かけましたが、この二項対立に例えば「幸福に生きよ」という概念も加えますと、私の中では

幸福に生きよ≧不幸に生きよ>>>(越えられない壁)>>>一人で死ね>>>(越えてはいけない壁)>>>>巻き込んで生きろ≧巻き込んで死ね

という感じなんですよね。巻き込んでゾーンが無敵の人ゾーンね。
そりゃあ幸福に生きられるのが一番なんですが、生きる上で必ずしも幸福である必要は無いと思うんですよ。人は幸せになるために生きてるんだよ、なんてことを言う奴は不幸な奴の不幸に責任をとってくれる事は一切ないので耳を貸してはいけない。
人になるべく迷惑をかけずに生きよう、そういう志が“理性”ってもので、古代ギリシャ人も動物と人間を分ける人間の本性は理性であると言ってる事ですし、そういう“人間性”を私は愛する。

何故おれは失うものがもう何もねえ! 幸福な奴をぶっ殺してやる! あるいは巻き込んで死んでやるう!という気持ちが沸くのかというと、「自分の幸福を諦められていないから」だと思うんですよね。これは前にも無敵の人の話をした記事でちょろっと書いたような気もしますけど。損なわれた幸福を「代償させよう」、つまりまだ取り戻そうという気持ちが残っており、諦めきれていない。
幸福のない人生を生きればいい、という言葉はあまりに冷徹なように見えますが、幸福を一個の非分離な塊みたく考えるからそう思えてしまうんであって、しなければならないのは“幸福のレベルを下げる”努力をすることだと思う。
別に毎日生ゴミを食えとか言ってるんではない。例えば女に相手にされねえ!という理由は結構そういう無敵の人界隈では古くは津山三十人殺しの頃からメジャーな理由のようですが、相手にされないものは仕方ないじゃないですか。
そういう現実的に実現の難しいことを絶対に叶えなければならない目標に設定してしまう強迫観念から、拭われない不幸というのが始まるのであって。もっと言えば、女に限らず他人の自分への感情の種類、みたいな自分ではコントロール不可能な領域のものを望んでしまう時点で精神的リスクヘッジが出来ていない。
どれほど地べたでイヤイヤをしても手に入らないものは入らないし出来ないことは出来ない、そういう挫折を学ぶイヤイヤ期が子供にはあると言います。多分地べたに寝転がらなくなっても変わらずに大人になる事とはそういう、諦めて起き上がり家に帰って飯を食う…というプロセスの繰り返しであり。
そういう「自分にこれを手に入れる事はできないんだ」という諦め・消化・成長を放棄して、イヤイヤ期の子供が結局敵わないが故に従わざるを得なかった親ではなく、自分より弱い者に一方的に凶刃を向けることで欲望を一方的に充足する、見ず知らずの女子供等を疑似的な“親代わり”にして幸福を諦めきれない自分の鬱屈をぶつける…という“生きる能力の低い人間の醜い姿”を私は見苦しいと思っているので、あえてそこを肯定しちゃうような内容なら見たくないな~という迷いだったんですが、ムシャクシャするし観るかァ!台風来るし!と勢いで観た結果、良い意味で予想を裏切られて良かったです。

まず全然テロリストじゃなかったね。それが正当な恨みかどうかは置いといて私怨オンリーの殺ししかしてない。そしてもっと一杯人がじゃんじゃん死ぬのかな~と思ってたけど理由ある殺しだけなのでそんなでもない。無差別殺人の脅威が国内外問わず深刻な昨今、そこに人間性を付与するタイプの話ではなかったことは好印象でした。

ただ作品時間の七割ぐらいはずっと「早く終わってくれぇ…」ってマジで劇場を出たくなるほど辛かったけどね。かわいそうなんだもん。
アーサーの不幸というのも先の話の例に漏れず、幸福の設定場所を間違っていることから生じる悲劇が多くを占めていると思う。
どうして人の視線に傷付いている自分を自覚できる知能があるのに、人前にあえて出て行こうとするんだ? 選ぶ職業選択が不幸の始まりだよ。人から暖かい笑いを引き出して自分という存在を他者から肯定されたい…なんて大それた願いだ。私は自分の意思に拠らず笑い出してしまう病気も無ければ彼のように追い詰められた生活をしている訳でもないけど、そんなの自分には無理だと断言できるよ。
それさえあればいいんだとか、一番欠けているものだからこそ追ってしまうんだとか、夢だとか希望だとか、気持ちは分かるけど、ほんとそういう所なんですよね“希望”の功罪は。どうして最上の喜びを求めてしまうんだ? 実際得た事もないのに。
もっと挨拶以外喋らなくていい仕事とか無かったのかい…それで日記だけは続けてさ…毎日ご飯を食べて…クソガキに目をつけられてしまうような目立つ格好はせずにさ…そうやって静かにただ生きている内に、ノートに書き溜めたギャグの精度も上がってくるかもしれない…客としての勉強は続ければいいじゃないか…一人の部屋で踊ったりシミュレーションして練習するのも続ければいい…ただ他者という自分でコントロールできないブラックボックスが沢山ある環境はなるべく最小限にするんだ。そういう防衛策が絶対に必要だったと思うんだな…精神科に通って薬も飲んでるような人なんだからさあ…生きる上で大事なのは攻撃力より防御力なんだよ。

まあ誰しもがこんな吉良吉影的思想で生きているわけはないので、しゃあないと言えばしゃあないということも十分理解出来るんですけどお。かわいそうなのに実際厄介な男でしかないから見てる方も鬱憤が溜まるんですよ。悪いのは弱者への支援を打ち切った市長か?社会か? でもあのカウンセラーちょっと無能そうだったよね…そして始まりからしてもうアカンかったという事が分かってしまったからこそ最後のタガが外れてしまったわけだしね…もう何が悪かったという事を語れる段階ではない。今の、そしてこれからの変化しか彼はもう望んでいない。

だからそういう、もう勘弁してくれえ…という悲嘆の連続からのジワジワ解放されていくポジティブな狂気には、わりとカタルシスはあったね。
一番私的許せるポイントだったのは、自分がどういう存在としてテレビショーに呼ばれたのかを理解した上で、あのノック、ノック…のネタのオチは多分彼にとってギリギリまで「どっちでもよかった」んだろうなという事。生中継で自分の顎打ち抜きも相当な放送事故だし、確かに彼のネタの最高傑作になっただろう。それでも過去に自分が綴ったノートの、自分だけが分かる思いが篭った文字を目にして、結局ああした。その「どっちでもいいんだ俺は」感の嘘偽りなさが、いっそ応援してしまいたくなる吹っ切れ感があった。「あっそっちね~!オッケー!!!」と親指立てて許してしまいたくなる。
燃やされるゴッサムもヒャッハー燃えろ燃えろォ!!と心浮きたつ光景ではあった。
まあその後すぐに「これが何になるんだよ? 後のことを考えない破壊しか為さず、生産は何一つできない感情だけの群衆…虚しい…」とたちまち抑鬱モードになってしまったけど。

殺人シーンはどれも緊張感があって良かった。特に最初の殺人はすごく心臓の鼓動が早くなってしまった。銃社会こえ~。
何よりどこでも言われてますけど主演の方の演技が素晴らしいですね。台詞や動きもそうですが、私は彼の“沈黙”が物凄く印象に残りました。自分が晒し者にされているテレビを見上げる表情、じっと何かを見つめる時の眼差し、まるで目に見える一本の糸のように張り詰める沈黙。
あの孤独で悲しい沈黙が無ければ、この作品はそこまでの…そこまでのアレではなかったと思う(婉曲表現)

ただ私ダークナイトちゃんと見てなくてですね、家族が見てたのをほーんって横目で覗いていつかちゃんと見ようと思ってとっといてそのままなんですけど(でも僕インターステラー大好きです!!!!)
そういうバットマン超ニワカだからこそ一本の映画として楽しめてますが、確かチラ見したノーランバットマンのジョーカーってどっちかといえばノーカントリーの空気砲男みたいなヤベェ奴だった気がするので、これまでのジョーカーというキャラクターのファンには噴飯ものの映画なんだろうなというのは物凄く理解できる。
だってこのジョーカーかわいそうで、まず前提として優しくしたくなっちゃうもん。頑張ってるのにね?悪くないのにねえ、って庇いたくなっちゃう。絶対敵に回したくない強い悪役、では間違いなく無いよね。
ゴッサムを燃え上がらせたその悪事の動機も“義憤”って感じに近いしね。何と言うか下から目線なんですよ。ルサンチマンな怒りというか。
私の中で本当の異常な悪党というのは、俺が正しくてお前らはカスと臆面もなく言い切って実際カスのような扱いをするし出来るという傲慢さとセットなんですが。
行為が結果的に傲慢でも精神が傲慢になり切れないならそこにはかえって欺瞞が生じるように思う。

それに作品のカラー的になんというかミリオンダラーベイビーとかそれ系ですよね。重いよ~覚悟いるよ~知る人ぞ知るよ~という扱いをされるべきな話のように思うんですが、ジョーカーという大看板を背負わせてそういう話をやったことで、本当にそういうのを観たがる変人だけが観ていたジャンルの映画を普段そういうのに近付かない層が観ちゃって少なからぬ影響を受けている、という状況はどうなんだろうと思う。そんなに見せたがっていい映画かコレ?
まあ作中で「どうして監禁されたのか分かる?」という唐突な過去のショット、そしてどこから妄想だったのかを分からなくさせるようなダメ押しのラストで「これはただ偶然見た目が似てジョーカーという名前も被った一人のかわいそうな男の話に過ぎない」と解釈できる余地をメチャクチャ盛り込んではいるけども。だからこそより一層他人のふんどし感を感じなくもない。

まあ私はダークナイトまだ観てないんでどうでもいいんですけど~!
それにしても『おしん』とかと比較して、おしんの方が苦労してるのにジョーカーときたら…みたいなdisられ方してるの見かけて笑ったんですが、考えてみればこうやって弱者としての迫害に遭い、それでも加害や力での解決に頼らず社会の中で強く生きて行く…というストーリーを持つ話としてジョーカーと対比される物語、見た感じ“女主人公”の話ばかりだなあと考えさせられました。
限界中年男性の悲哀として現代の世に話題沸騰となっているこのジョーカーという作品が突きつけた一つの現実の問題点がここにあるようにも思う。
苦しくったって~悲しくったって~という状況でも諦めずに頑張ります!という「けなげな」話、多分女の子だと“画になる”んだろうね。
コーチとかに認められたり、優しくしてくれる男性の言葉に勇気づけられたり。そして見守られながら才能を開花させたり。
そういう文脈が、少女や女、そして少年ならば物語になる。主役になる。しかしいい歳した男が、善良さだけが取り柄の平凡な男が、かわいそうな状況から一生懸命努力して少しずつ成功体験を積んで、尊敬できる師、周りには信頼できる仲間、ライバル、みんないい人、みんなありがとう!みたいな話あまり思い浮かばない。リーマンもののBLとかならありそう。
多分男という精神性がそうした世界に生きられないという事では無いと思う。普通にそういう感受性は他の属性の人間と同じ比率で持っている男が存在する。ただ、架空といえども物語としてそこを用意されないことで、「かわいそうな男」の「キレない」ロールモデルが少ない、ということが問題だと思う。
不幸、絶望、そうした状況や人間関係を変えるために自分か対象のどちらかを破壊するという手段しか取れないのは、精神が身体性にガッチリと一致してしまっているからだ。物理的な変化でしか何かを変えられない。認識を変える、ということには必ずしも物理的な変化を伴わなくてもいい筈と思うが、その手続きを狂気に至らず健全に行うには、今の“男”という社会的概念では難しいのかもしれないというようなことを考える。
こう、「ウオオオ!」っていう再起しか認められないみたいな。マチズモというやつなんだろうか。
まあ何を言っても私は女なんで他人事の発言にしかならないんですが…でも可哀想がられて庇う人が出たり、クソザコヴィランとdisられたり、俺も同じだと同一化する人が出たり、なんかその構図とキャラクター性というのは従来の男性性というよりは女性性を感じる。守りたいこの笑顔。

いやーつらつら書いてたら長くなりました。ブログコンスタントに更新したいとか言っても、普段読んだり見たりしてるのが全部つまみ食いみたいな読み方で、最後まで読んでない限りは感想を言う段階でもないから結局止まりがちになるという。
その点映画はいいですね。見たら最後確実に二時間ちょいで完結するし。
ところで台風来ますが一体世界はどうなるんでしょうか? 私の部屋のガラスは果たして耐え凌ぐことが出来るのか…。皆さんもお気を付けください。

金カム215話「流氷の天使」感想

逃げたアシリパの今後について話し合う鶴見・宇佐美・菊田の三名。三人寄らば文殊の知恵ってね。
「網走の看守たちを皆殺しにするのとはわけが違う…罪のない婆さんを見せしめで殺すなんて俺は反対ですね」
せ、節度のある意見…(看守はセーフなのか?)
登別では「また鶴見中尉にお供するには…」とか何とか言ってましたが、やはり明らかにシンパという感じではないですね。スパイだとしても中央側なのかな~?
しかし一番分からないのは、菊田がきな臭いことなど百も承知だろうに、すんなり手駒に加えた鶴見の思惑です。泳がせて何か得があるのか、それとも泳がせざるを得ないのか?

「分かってますようるさいな~」この失礼さ好き~~~。「下手くそだなぁ~」とか、こういう目の前の相手との迷いない距離の取り方、めっちゃ鉄砲玉向きという感じがする。
でも窘められずとも、心労と孤独で塞ぎ込んでしまったフチの許を「信頼できる所」として稲妻・蝮夫妻の赤子を置いていった鶴見の行動からは、積極的な加害行為を選択しそうな感じはしないんですよね。まあ(なるべく迷惑かけたくないけど)虚偽の死亡広告程度はしゃーないみたいな心情のため息なのかな?
勿論やるとなったら何だってやるでしょうけど、でもなんかフチは丁重に扱いたそうな印象を受ける。お銀への態度的にも別段フェミニストってわけでもない気がするんですけど、なんだろう、鶴見もバアちゃん子なのかな(まさか)

「…こうするしかなかった。鶴見中尉に金塊が渡ればアイヌのためには使われない。そもそもアイヌが自分たちのために集めたアイヌの金塊なのに…そうだろ?杉元…」
ようやくアシリパは今、金塊について「“アイヌ”のために“使われる”べき」と考えている立場であることが明言されてちょっとスッキリ。
少なくともフチやマカナックルのように、集められた金塊という存在そのものをタブー視する立場でも、また私は金塊などどうでもいいので誰が手に入れようと構わないという立場でもなく、アイヌに所有権があると考えておりそれを守ろうという立場にいる。
まあ集めちゃったもんはしゃあないですからね。親の遺志を継ぐと、そう覚悟を決めたのならば結構なことなんじゃないかと。
有古も鶴見に「土方に唆されたのだろう?」って言われてたけど、煽られて感化されたとかじゃなくて、あくまでアイヌとしての己の意思だったんじゃないかなあ。

「実は昨日の夜…シライシは月島軍曹たちの会話をこっそり聞いてたんだとよ」
ええ…白石あの会話聞いてたんですか。あの月島さんが秘めに秘めていた激重独白を関係ない第三者がちゃっかり聞いてたとかなんかやだな…
ていうか白石スパイとして優秀すぎでは? 既刊を読み返しても私、白石が怪しくしか見えないんですよね。ここまで来たら絶対に土壇場で金塊に目が眩んで二人を裏切って欲しい(絶対に…?)

「キロランケニシパは、アイヌでも和人でもないのにどうして戦争なんかいったんだろうか」
どういう問いなんだろうと一瞬考えましたが、白石の言葉に対する反応を見ると何となく理解。キロランケの民族的アイデンティティがどこにあるかとかそんな複雑な疑問から発せられた問いというわけではなくて、まず「戦争なんて好き好んで行きたがるものじゃ絶対ないのに」という忌避感が先にあった上で、「和人でもアイヌでも本来ないキロランケニシパなら戦争に行かないという選択肢もとれたんじゃないか」=「あえて行こうという理由がもしあるのなら私には全く理解ができない」という戦争に参画する人間心理への疑問?
それに対して想像で返した白石の回答に、抵抗感を呑み込むように眉を寄せる子供らしいアシリパの顔。
もう完全に“殺し合いで解決”という手段に染まってしまった立場から杉元は、しかしアシリパがこれから見出してくれると信じている、武力行使に頼らない闘争と解決を夢見る。

まあ、戦争に拠らない問題解決ってのは人類の夢ですよね…私も人類の端くれとしてそうなったらいいなという気持ちは持っていますが…。
有史以来実現しているとは言い難い人類の業からの脱却にアシリパなら近づけると夢想する杉元の期待の重さは、親バカ感を感じなくもない。
実際、方向は真逆に進んでいると言っていい…

アシリパさん。あのとき…キロランケになんて言ったの? ひょっとして 暗号を解く方法がわかったんじゃないのか?」
核心を尋ねる杉元。アシリパは肯定する。しかし鍵の内容を問われると口を閉ざす。杉元は「その時が来たら教えてくれ」と、その秘密を許した。
杉元を見つめながらアシリパは考える、もし教えてしまえば杉元はとても優しい男だから一人で探しに行ってしまうに違いないと。
“魂が抜けるまで”と形容して思い返すのは、初めて目の当たりにした“狂人”不死身の杉元の顔。
これまで通り私だけが鍵を持っていれば、杉元は私のそばから離れられず、私は戦う杉元の強力な盾となってその身を守ることができる。
そしていざとなれば…そう…「道理」があれば、私は杉元佐一と一緒に地獄へ落ちる覚悟だ――

ええ~~~!?(シンクロ)
そういう方向なんだ…という個人的に斜め上の結論でした。故郷に帰って干し柿を食べたいと杉元は最期に望むんじゃないかと、それこそが杉元の未練なのではないかというのが信頼の“核”だったアシリパの中の杉元の存在は、様々な葛藤を経て、もう違うものに変わってしまったのですね…
どっちみち杉元はもう地獄行きを免れないと、あの姿を見て悟ってしまったのだろうか。
「弾避けとなってこの男を守れるのは私だけだ」それは杉元の命を守ることではあるが、杉元の心を守ることではない。

杉元自身が戦うことは避けられない。その中で杉元の魂はああやって抜けていくのかもしれない。それでも、何があっても私だけはずっとそばにいて杉元の身を守る盾となる。いざという時は私もこの手を汚し、共に地獄に落ちてもいい――

そうですか…。(なんだその感想は)
いや、結論は出すということが大事だからね。まあ良いんじゃないかな…。もう戻れないと杉元自身が自負してしまっているのは事実だからな。
殺さない紛争解決の可能性をアシリパに見出し、あれほど喜ぶくらいだから、杉元も本当はやっぱり戦わずにいられる生き方を人間の理想としているわけで…かわいそうにも思うけど。

そんな中待望の尾形百之助が再登場!
ムイムイというやけにかわいいオノマトペと共に、撃たれた兵士の服をネコババ
「あとで荷物取りに戻ったら足跡いっぱいあって荷物ぜんぶ無いの。服も靴もぜ~んぶ」
メコオヤシのこの話が回収されるとは思わなかった…。浜っちゃ浜だし。
でも足を撃てよ!撃ったか!?実はヘッドショットでした~みたいな軽いノリで失われた名も無き兵士の命は、このままヴァシリの存在の暗示としての意義しか果たさず過ぎ去っていくのかな…と思ったらこうして尾形の再登板に「死体」として重要な役割を果たしたのでなんか良かったなって。
聯隊ってそんなに人数いないし多分尾形とも顔見知りだった筈ですよね。お前の服と銃、山猫が持ってったぞ…あの世で憤慨してくれ…(良いことじゃなくない?)

でさあ、「だってもう使わないだろ?」「この銃だって…自分がブッ壊れるまで人を撃ちたいはずだ」と、例の「ところでよぉ…」フォントで物騒な台詞とともに全身バーンと登場して、のっけから全開のヤバさに面白くなっちゃったんですが、最初は「満鉄の時はわりと冷静に見えたけど復活後のテンションはところでよぉ系なのかな~」とか思ってたんですよ。フォントのニュアンス的に。でもあのフォント使われた時に言ってた内容思い出しててハッと思い至ったんですが、この尾形の言葉の“銃”って、“杉元”にかかってるのかもしんないなって。
隈あるし一見してヤク中っぽいのも相まって「“俺だって”ブッ壊れてえからよォ…」みたいなニュアンスの“だって”に見えなくもないですが、もう戻れない杉元に対して「“最強の矛”として“ブッ壊れるまで”人を殺して、アシリパの役に立ちたいよなァ?」という、この歪な相棒関係に対する超絶皮肉なのでは…

いきなり絶好調か? 相変わらずなんて嫌な所を突く野郎だ…再登場本当に嬉しいな…お前を待ってたんだよ…(万感の思い)
いや同じ話の流れで載っててメタ的にそう解釈できる余地があるというだけですけどね。可能性があるということに意義がある。
それにしても右利きで明らかに右が利き目だったし、三八式も沈んじゃったし、もう尾形のスナイパー生命は断たれてしまったんだあ😭と嘆いていたことを申し訳なく思うほどの余裕の左構えスタイルが鬼カッコイイ。いけるのか!?そっちでもスナイプできるのか!?どんだけタフなんです!?(人生ハードモードの威厳)
でもアシリパに対する偶像地雷です的なスタンスははっきりしてきたけど、偶像によって人を殺させられる兵士側、つまり杉元に対する尾形のスタンスってまだ謎だな。偶像のために自分を助けようとする杉元の言葉に口元で嗤っていたけど、あれはどういう感情だったのか…尾形は勇作の時もアシリパの時も、あくまで偶像を問うた側で、そこに集う兵士側ではなかったからな。
なんとなく同情的なものを感じなくもないですが。兵士代表として問うてたみたいなところもありましたしね。

ところで、私今回の話、杉元がメチャクチャ怖くて…
「ひょっとして 暗号を解く方法がわかったんじゃないのか?」って、とうとう核心に触れた問いかけをする表情にもヒエッてなったし、それ以上に「…!! ホントかよ…それは……何だったの?」という瞳に光が入った表情が超怖かった。尾形が逃げた!!の時の爛々とした目といい、最近の杉元は目がキラキラしてる時の方が怖いんだよな…

なんかただの私の印象なんですけど、刺青人皮が絡んだ時の杉元って、アシリパさんとか自分の命がかかってバーサーカー状態になる時とは全く別種の狂気があると思うんですよ。サイコキラー系の…
剥がした辺見の皮を船の上でじっと見る昏い目、ダンさんの牧場で怪しい男に「へえ~~~~~」と銃を準備する静けさ、鈴川からの囚人の情報に「…ほお」と関心を示した時の死んだ目、都丹の情報を聞いた時の「来た…!!」という顔…
なんか梅ちゃんの事とかともまた違う、本能的な…なんかまだ得体の知れない何かがある気がしてならないんですよ。本当にそういう一面があるのかどうかは分からないんですけど。白石じゃないですけど何だかんだ「こいつが一番おっかねえ」んですよね私にとっては…

今回アシリパが内心で杉元のために考えていたことを、口にされていない以上、杉元は全く知らないわけじゃないですか。金塊の鍵が何だったのかを問われて言い淀んだアシリパの姿は、杉元から見て「杉元が信用し切れないから言い淀んだ姿」以外の何物でもないと思うんですよ。
それを全くおくびにも出さずに「いや…アシリパさんに任せるよ。その時が来たら教えてくれ」と爽やかに微笑んで、アシリパが一人で「地獄に落ちる覚悟だ」ってモノローグしてる向こう側の、無表情な杉元の口元がめちゃくちゃ怖い。どういう認識で、どう考えているのか、アシリパに向ける笑顔の下には本当に何もないのか、安心し切れない所がある。
ここ最近杉元がアシリパを信仰しすぎ的な話になりがちでしたが、今回はアシリパが杉元を信用しすぎなのではという得体の知れない不安をとにかく覚えた。金塊の鍵を思い出したけど内容は明かさない、っていう態度をそんなに無警戒に、アッサリと示していい相手なのか…杉元佐一という男は…?
この怯えがあったんで、再登場した尾形のヤベー感じがなんかバランス取れてて安心しました。やっぱ抑止力って必要ですよね…ところで流氷の天使って尾形のことじゃないですよね?(錯乱)

金カム213話「樺太脱出」感想

えっ、待ってください、白石はやっぱり確変期なだけだったんですか?
復活した定期船の情報を聞きながら、「俺たちには専用の船の迎えが来るのよ特別待遇だから」と、言葉の上では鶴見一派に確保されて北海道に帰ることに前向きな様子。しかし(そう見えないが)白石にとってこれは半ば皮肉であり、内心は初めて知った定期船の存在に「え、それで帰ればよくね?」とちょっと気持ちが傾いたから、杉元を試すように絡んだ?
ただしアシリパに直接「アシリパちゃんは本当にこれでいいの?」とか改めて問うことは全くせずに?
まるで読者の代弁者のように杉元にかました説教はアシリパが逃げるつもりであることを知った上での助言などではなくて、本当にただイチ傍観者としてのやたら鋭いコメント?
アシリパが逃げる隙を作ってみせたあのゲロも、打ち合わせの上とかではなく本当にただ偶然タイミングよくゲロっただけ?
そしてアシリパは定期船があるということを偶然知り、「私はそれに乗って帰ろう」と杉元にも白石にも一言も言わずに決め、一人で船乗り場と経路を事前に確認し、誰にも相談しなかった以上は、最悪独りで定期船に乗り込み帰るつもりでいた?
そっかあ…(失望)
師団…ナメられすぎでは…? そして三人も、お互いがお互いをある意味ナメている。というより、軽んじている?
というかマジでお互い話し合わなさ過ぎでしょ。一応杉元・アシリパ・白石の三人はこれまでやってきた関係上ホームと呼んで差し支えない括りのはずだよね!?
なんで一言でも「自分は今こう思ってるんだけどそっちはどう思ってる?」という確認をしないの!? 結論出すのはその後でいいはずでしょ!? 確認したことで意図がバレて阻止されるとかそこまでの警戒を敷かなければならない間柄では少なくとも無いと思っていたんだけど!?
実際一人では絶対逃げれてなかったし、何も打ち合わせなく行動したせいで杉元死ぬとこだったじゃん!?
わかってもらえないということがわかった、もういい何も言わずに一人で帰る!って、手のかかる子供の思考以外の何物でもないぞ!?
相手の言うことも一理あると思ったからこそ自分の考えを押し付けることを遠慮した、そう言えば聞こえは良いが、それは言われた言葉に真っ向から反論する意気地が無かった事と同義では? 結局鶴見からだけじゃなく“父親”の杉元からも、“巻き込まれただけ”の白石からも逃げ出そうとしただけだ。それでよくも前向きだの何だの語れたもんだなァ!?オォ!?(柄の悪い読者)

船上で杉元が「俺は俺の事情で金塊が必要だから戦うんだ。全部覚悟の上だろ?」と自ら泥を被る道理を繰り返したことに、やはり沈黙で返すアシリパ。答えられる言葉は依然としてまだ持たないが、それではダメなのではないかという葛藤はある様子。
しかし殺傷能力のない矢による“逃げ”を選択したアシリパの姿に心の奥底で求めている“清さ”を見出した杉元は、自身の状態などどうでも良いのだと言わんばかりの完全に吹っ切れたキメ顔を見せて「アシリパさんなら自分の信じるやり方でアイヌを守る道を探してくれると、俺は信じることにした」とあれほど決然と告げたはずの懸念を引っ込める。お前は本当に気持ち悪いなあ!!!(ぶり返す)
そしてその杉元の心変わりにひどく嬉しそうな顔をするアシリパ。頼れる相棒が何も言わなくても勝手に自分とぶつからない考えに変わってくれたことがそんなに嬉しいか? 説得も対話も避けて何が人を殺さない戦いだ!? 何がリーダーシップだ!? 何も言わなくても分かってくれる、そんな男しか求めない女になるつもりなのかキミは!?(飛躍的悲観)
白石も威勢よく発破かけた割には「それはいいけどどうやって俺らだけで金塊を見つけんのよ?」とか妙にシビアなとこはシビアだしよお。何なんだお前は。酔って気が大きくなってただけか? 素面だと実現性が先に立つのか。

以前からこの三人を中心としてよく描かれる、引きの画で「アハハ…ウフフ…」と表現される“団欒”感、海に来たら必ず手をつないでジャンプする等の仲良しなノリが個人的に“上辺”という感じがずっとしていて、空気を軽くするためのそういうコミュニケーションは積極的にとるけど本当に大事なことは話し合わない…というウェイ系の大人数リア充グループみたいな印象を持っていたんですが、そしてこれは完全に陰キャマインドだなと自覚していたんですが、でもやっぱ“腹を割って話せる仲間”と言うにはどっか歪ですよね。この三人ですらも。
誰かが本当の“素”を言葉や態度に出したら途端に周りは引いて黙るみたいな。そういう本質的な部分の共有を全く出来てないのに、表層的な友好と、信頼ではなく信じたいという願望だけが肥大化して事実だけ積み上がっていく…というイメージ。
正直全然微笑ましくない。今回アシリパが誰にも言わずに単独で逃げようとしたみたいに、何かあればすぐに離れてしまえる距離がある。関係に、事実以上の“芯”がない…ような。いざという時はまた「巻き込めない」だの何だの言ってアッサリ誰かが誰かを置いていくと思う。そしてそれを100%善意のつもりでやる。自分がやられたら怒る行為だとしても…

そういえば白石、足撃ち抜かれてたけど走れるくらいには回復したんですね。よかったね。(優しい世界)
この車三人乗りなんだと置いていかれる谷垣がシュール。ちょっとかわいそう。仲間に入れてもらえないのね…もう末席はお絵かきロシア人で埋まってしまったからね…
「私が…フチにまた会う夢を見たと伝えて!! フチは信じて安心するかもしれないから」ナメてんのかフチを?(どうしてすぐそういう話になるの)
谷垣も頑張ってここまで来たんだぞ。それを碌に話も聞いてやらずにメッセンジャー扱いで済ますとは不義理な…まあいいか…勝手にやってることだし…(冷)
この役目さえ果たせばマタギに戻れる、というような通過儀礼としてアシリパをフチの元へ帰すことを捉えていた節があった谷垣。しかしアシリパにインカラマッのところに戻れと言われ、自分は自分にしか出来ない役があるという境地まで辿り着いたという事なのかどうなのか。
「俺はマタギです。マタギの谷垣です」なんて清々しい表情だ…。免罪符がなくても、もう戻れたんですね。戦場から帰ってこれたんだ。
でもインカラマッに会ったら確実に彼女が伝えた情報によるキロランケへの仇討ちの話になりますよね。その時に谷垣の復讐の話が再浮上しないわけはないと思う。大丈夫なのか谷垣お前…

ヴァシリは本格的に仲間入りですかー。頭巾ちゃんって呼ばれてるんだぁ~へぇ~~(半笑い)
敷香に居た時点で国境の問題はクリアしているのか? しかしマジで何もかも捨てて尾形を追ってきたな。「私は死ねなかったぞ、あの時の続きをしよう」だし、死ぬ以上のことはないわけだからまあ端からそのつもりなんだろうけど…もう結婚する気じゃんこんなん。どうすんだよ尾形(殺すか殺されるかだが尾形は既にあの時の戦闘力ではないし)
多分ヴァシリは獲物の生殺与奪を己が一方的に握る圧倒的支配者の側にしかあの勝負まで立ったことが無くて、だからこそキロランケの「撃ってみろ」と言わんばかりの態度すら気に食わず従うことを拒否したわけだから、獲物には絶対服従を望んでるんですよね。獲物が生きるも死ぬも俺のもの。
だから勝負に負けて支配される側になった、つまり自分が獲物側になった以上は、これまで自分が獲物に求めてきた全てを捧げる態度を尾形に捧げないわけにはいかないという道理なのではないかと。狙撃手に好かれるってたいへんだな。

それにしても追手に気付かれてヴァシリに「足だぞ!! 足を狙え」と何度もジェスチャーで注文するがおかまいなしにヴァシリはヘッドショットし(「獲物の生き死にを決めるのは狙撃手の私だ」の男)不安げにアシリパが「足に当てたか?」と真実を確認出来ないまま、なあなあに過ぎ去っていくシーンは今回のハイライトですね。
もう、アシリパの不殺を実行力を伴わない格好だけの茶番として描いている。
杉元はアシリパ自身の手が殺しさえしなければ周りの奴の殺人を結果的に止められようが止められまいがどうでもよく、白石は元々その辺の問題は傍観一方で我関せず。
死という絶対的な結果を前に欺瞞でしかないこの一連の流れをわざわざ描いたということは、作者はアシリパの不殺を尊いものとして扱う気はさらさらない、という事なのでは。
えっ怖い…。いや私も完全に考えとしては尾形派なんだけども。「ところでよぉ…」ってキレながら「(周りにばっか戦わせて)自分は清いままやり過ごすおつもりか?」と煽る方に属する人間なんだけども。
でも主人公でそういう、えっお前それは傲慢なんじゃない?と突き付けられる感じの構図を“正論”として完遂するつもりなんだとしたら、その思い切りの良さが怖い。
言うても主人公って特別ですからね。感情移入度が違うから。あとやっぱ作中で正義側っぽい扱いをされているキャラは、本当に正当性があるかどうかをしばしば問わずして実際に“偶像化”しがちだし。尾形をdisるのとアシリパ、勇作あたりをdisるのとでは返ってくる反感のガチさが段違いですからね。
人を殺すべきではないってのは“正義”ですが、他人に殺させて自分は清く正しいまま居ようなんて虫が良い話だってのは“正論”です。
正義と正論は異なるものですが、大きな違いとして正義ってのは相対的なものだけど正論ってのは絶対的なもんです。何故かというと対外的な正義というのは理屈でしか証明され得ないため。だから世の中は最終的には正論で動くし、戦争ってのは無くならないんですけども…
ゴールデンカムイはどちらに着地するんでしょうね。子供の綺麗事を大人の義務感がぶち壊すのか、大人の諦めを子供の万能感がぶち壊すのか?

金カム212話「怒り毛」感想

落差激しっ…
いや、前回確かにこんなんで上手くいくわけないよォ!とかそれでいいんかい!?とか色々思ったけど、それにしたって痛い目を見すぎでは!? 緩やかな登りに「ヌルゲ~」とか言ってたらいきなり直下降に入って「ッギャー!!」って絶叫する鬼畜ジェットコースターみたいだよ!

悲しきモンスター

逃走経路を事前に用意していた周到なアシリパさん。えっ、やっぱ前回推測した通り鶴見に一応面通ししたのは薦めた杉元の顔を立てるためで、どの道アシリパに鶴見陣営に下る意思は初めから無く、「杉元はどうするんだ?」と再三聞いていたアシリパはやはりあの場で“杉元がついてこない”という選択肢も用意していたつもりだった?
そして「(ついてくるならば=まだ相棒でいるつもりならば)するなと言うな」という文脈に繋がる?
だから事前に逃走経路を用意していたのに、杉元はそれを今初めて知った…

で、これ多分、アシリパが逃げるつもりであること、白石は事前に知っていたんですよね?
前回アシリパが矢を射る隙を作った白石のゲロの少し前のコマで、どうも白石が口をムッとして口内にゲロをためているっぽいなと思ってたんですよ。
でもただガマンしてるだけで大事な場面で満を持してゲロったと見えなくもないし、前半の説教があまりにも冴えてたんで、なんか確変期なのかな?って…
でも因果関係が逆だったんですね? 白石だけはアシリパの逃亡の意思を知ってたんだ。逃走経路の確保にも協力した。そして杉元の意向によってはアシリパは彼を置いていくつもりであることも知っていたから、「オウお前そんなんだからこのままじゃ置いていかれちまうぞ」と友人として忠告してやったのがあの説教なんだ。

えっ…杉元かわいそう…。ピエロじゃん…!?
確かにアイヌはどうなる?と聞かれて答えられなかったり、鶴見の計画で北海道がどうにかなろうが知ったこっちゃないという態度だったりと、アシリパの今向いてる方向と彼の考え方が既に離れてしまっているということはハッキリしてきていたけれど…それを理解したアシリパから、杉元はとっくに見限られていたということ? 説得や和解をもう、諦められてしまっていたということ…!? そんな…!?
た、たしかに杉元はハイパーエゴイストで、自分だけでこうだって判断したことしか信じないバーサーカーで、頑固で、傲慢で、独り善がりで、それでいてフィジカルがアホみたいに強くて、手に負えないところがあるよ?
でもさ、一生懸命アシリパのためになることをしようって頑張ってたのは本当じゃん…!
逃げなければならないが一人では難しい、誰かの助力が必要だ…そうなった時にアシリパが真っ先に頼んだり相談するのは、もう杉元じゃないの?
確かに白石は逃げることのプロフェッショナルだよ? でも杉元はわからずやだけどさあ、白石が誇張して揶揄したような、「自分のために嫌がってるアシリパを鶴見に引き渡す」なんてことをする男ではないでしょ? ちゃんと嫌がってることを理解したら助けてくれる男だと思うよ? 競馬場で「そんなこと俺があの子に言うと思ってんのかッ」って言葉を聞いた白石は、そう思ったから杉元に発破をかけたんじゃないの?
あの天に射た毒抜きの矢だってさあ、不死身の杉元がクソデカボイスで「毒矢だッ」つって叫んだからこそあんなに第七師団はビビッてくれたわけじゃん…この逃走だってアシリパだけなら撃たれてなかったとしても、杉元がいなけりゃ初手の宇佐美でアッサリ捕まって終わってたわけじゃん…すごく力を借りてるよ…ひとこと…ひとこと言ってくれたって良かったんじゃないのか…?

いやあ前回まで自分自身がこの父親気取りの主体性ゼロの軟弱野郎ォ!とか言って杉元をdisっていただけにダメージでかいわ。アシリパはもう、杉元から歪な偶像化をされていると知ったあの似顔絵大会の時から依存を少しずつ切り離す方へと心をシフトさせていたの?
いやわかるよ、私も自分の言うことに影響を受けすぎてるなって人にしばしばネットで出くわした時に「あの人油屋にいるからいけないの。あそこを出た方がいいんだよ」ってノリで親切心からブロックしようかなって思うことあるよ?でも思うだけだよ…!
確かに今の杉元の依存の形というのは少し歪んでいるし気持ち悪いよ、でもそれにしたってさあ、キモいならどこがどうキモいのか、自分にとってどこが受け付けないのか、せめてしっかり考えてハッキリ本人に言ってやるのが人情ってもんなんじゃないですか😭(アシリパは“キモいから”が理由じゃないことはわかってます)
あんなに守りたかった“相棒”から、挽回のチャンスも反省の機会も与えられずにただ放っとかれて置いていかれるなんてあんまりだ😭 コイツとは分かり合えないと判断したにしても「お前とは分かり合えない」とせめて一言、真っ向からぶつけてやるのが最後の礼儀だと私は…うう…
自分が強過ぎるから自分が自分で見えなくて…それでも自分以外の誰かの役に立とうという気持ちがあって頑張っているのは本当で…その鬼神のような強さにアシリパだって何度も助けられたじゃないか…? ならそんな見捨てるような…今までありがとうここでさよならだと線を引くような…その“存在”ではなく“気持ち”を軽んじるような向き合い方を、“アシリパさん”だけにはして欲しくなかった😭
言い合いになったら勝てないという、シビアなところで子供であるがゆえの不可抗力だろうか?
でもさあ、二人に必要なのは杉元からの一緒に「何かをしよう!」っていう前向きな言葉なんかじゃなくて、アシリパの方から杉元に「するな」と言い返すことだったと思うよ。正しくなくたっていいんだ。それでも伝われば、きっと杉元は聞いてくれたのに…。

もうなんかすごい胸が痛いわ…ボロボロになっても銃で撃たれても、強過ぎるがゆえに“死ねない”不死身の杉元。
あと少しだと励まされながら、何発も銃弾くらって普通なら致命傷の傷を負った状態で、血塗れで、アシリパに手を引かれて走る。痛々しいよお…。
矢傷を負ってしまったヤックルが「ダメだ待ってろ!」とアシタカに言われてもヨロヨロとついていこうとする図を思い出した。
もう杉元はそういう動物に近いものがある。アシリパを飼い主と決めた獣だよ。熱したアスファルトの上を散歩させられているんだよお…
しかし初めて不死身の杉元の“本気”を目の当たりにしたアシリパ、顔が強張ってドン引きしている。網走のニセのっぺらぼう以来じゃないですかこんな表情は。
分かり合えないと切り捨てようとした杉元の“地獄行きの道理”が、こうして目に見える形で示されることになったのは少し溜飲が下がりますが…この恐怖が今後どう転ぶか?

傀儡

鯉登おおおお! ど…どうなんだこの傷は!?明治で助かる傷なのか!?
でもここで退場なんてかわいそすぎるでしょ…今まで信じてたものが全部ウソだったって聞かされて…なんにも問い直せないまんま、一応一時の仲間として一緒にやってきた男から心神喪失状態で刺されて脱落なんて…そんな…そんな顛末…
「いつも感情的になって突っ走るなと注意していたでしょう…」もはや無気力に横たわる鯉登に、もはや悼むような静けさで言う月島。
日露戦争に間に合わず、「早く戦争にならないだろうか」と、“死”を恐れていた過去を取り返すように待ち望んでいた若き少尉が…日露戦争の“英雄”の本気の前に、なす術もなく散る。
所詮この世は弱肉強食、強ければ生き、弱ければ…😭
でも月島さんの(昨日は素直に聞いてくれたのに…)ってモノローグはしんみりする所なのかもしれないけどちょっと面白くて笑っちゃった。あれが月島さんにとっては“自分の言うことを鯉登が素直に聞いてくれた構図”なんだなっていう認知の歪みが。あの激重ドン引き月島劇場を“忠告”というくくりで片付けるつもりか?
鯉登は杉元の“妙案”を最後まで信じていたし、基本疑うということを知らない青年なんでしょうね。世間知らずのボンボンだけど…でもそれは美点でもあるからな…。裏切られっぱなしでかわいそうだ…。
それにしても「あの男が恩に報いるとでも思ってるのか?」と鯉登が“信じてはならない人間”と言う認識を唯一初めから持っていた尾形だけが鯉登に“本当のこと”を教えていったと思うと皮肉な話だな。

そして鯉登が誰よりも信じた鶴見、戦闘不能となった鯉登とそれを支える月島に“一瞥”をくれて悠々と歩き去る。よ…養豚場の豚を見る目だッ!
月島が軍帽の下からじっとりとそれを見据え、“鶴見劇場”を相変わらず注視しているのは、月島にも“鶴見がどんな人間なのか”がまだ分からないからだと思いました。
一度は信じた満州の土に眠る戦友たちへの弔いの言葉、それがどのぐらい本当だったのか、どのぐらい方便だったのか、我々にも分からないように月島にも分からない。
せめてそれを、“鶴見という人間”を見定めたいのではないかと。鶴見が何を成すかということよりも。

ところで鯉登誘拐時から“共犯者”だったと判明した菊田と月島は久々の再会だと思いますが、ぱっと見この二人全然仲が良くなさそうですね。もはや仲が悪いと称せるほどのコミュニケーションすらなさそう。お互いにお互いの人格がまったく眼中にないみたいな。案外尾形はこの二人に挟まれる構図でスン…ってしてたのかもしれない。
あの時鯉登を罠に嵌めた四人のうち三人が鯉登が瀕死となったこの場に集結し、うち二人があっさりと横目にしていったわけですが。尾形はわりと初めから“距離を置いた”同情は持っていて、月島は初めは特に何も思ってなかったけど身近で世話する内に情が移ったという感じかな。この四人の関係性もまだまだ謎に包まれている。

いやあしかし最後のコマの杉元かわいそう。過去最高の負傷じゃないですか?(ヘッドショットは負傷とかいう次元ではない)
先週ボロクソ言ってたのにめちゃくちゃ今週庇いたい。杉元なりに…杉元なりに一生懸命やってるんでさぁ…!堪忍してつかぁさい…!

金カム211話「怒りのシライシ」感想

アシリパの考えが最早自分が恐れていた方向に固まりつつある事実を目の当たりにし、朝焼けの中立ち尽くす杉元。そんな杉元へ、遊女と朝帰りの白石がここにきてオッどうしたどうしたとビックリするほど痛い所を突く説教をかましまくる。
よくよく思い返すとヴァシリに撃たれた時も「はなから助けなんか借りるつもりはねえよッ」と突っぱねてたし、基本彼は第七師団のことを全然快く思ってないんでしょうね。前に捕まったし、それに網走監獄の現役徒刑囚が第七師団によって皆殺しにされるのを目の当たりにした経験はやはり白石にとって大きかったり? 刺青入れなきゃ自分も殺される立場だったかもしれないし。
そんな第七師団と手を組んだまま、全然切る素振りも見せずに鶴見中尉と顔合わせ前夜まで来てしまった杉元にメチャクチャうっぷんが溜まってたんでしょう。
そして説教の内容が杉元をdisりキロランケをフォローするものだったのは、ただただ単純に、ウイルクを実は殺していたことやそれをアシリパに黙って少数民族の味方になってくれるようあれこれ教えていた事実を“加味しても”なお、それでも白石の中ではキロランケの方が杉元より“まし”だからかなと思いました。
実際瑕疵はありますが、そこを甘く採点して良いように言っちゃいたくなる程度にはキロランケは白石に親切だったし、何よりもうキロランケは死んじゃいましたからね。非業の死を遂げた人間の生前の人物評価はそりゃあ多少美化されるでしょう。
あとキロランケやべえっつって一度逃げようとした時にキロランケが言い逃れをせずアシリパの判断に委ね、アシリパが残ると言い、逃げたがった白石だけ逃げていいとキロランケが気遣った一連の流れが効いてるのかなと思う。あそこでもうアシリパは村人Aには戻れない人間なんだなと悟ったんじゃないかな。
だからあの後ソフィアを脱獄させて本格的にパルチザンと合流する後戻りのできない運びになっても、もう白石は異を唱えなかったし。金塊が見つかったとして、それが独立戦争のために使われるとして、白石はそこからおこぼれをもらう…というプランであの時は一旦納得していたんだと思う。それが先遣隊到着&キロランケの死によりひとまずご破算になって、また本来のBet先である杉元&アシリパコンビが金塊を手に入れる線に戻ろうとしたものの、は?それ悪手じゃねえの?という方向に二人が突き進むので、この瀬戸際に酔った勢いを借りて腑抜けた不死身の杉元に一言物申してやったと。
「夫婦喧嘩は犬も食わねえからほっとくけどよ、うまい鍋食って仲直りしようぜ」と気を利かせたあの時からずっと、シライシは二人の仲人おじさんですね…「おじゃま虫だぜ」とかね…白石にしか見えないものがあるんだろうな…恋のために脱獄王になった男だからな…

個人的に白石がキロランケを「真面目」と称したのは土方と比較しているのもあると思う。土方が新聞を使ってアシリパアイヌの偶像に仕立てようとしている目論見を、情報として啄木から掴んだのは白石だったじゃないですか。本人の与り知らぬところでそんな話を進めてる恐ろしいジイさんよりは、本人の意思がそこに向くように焦らず成長を促し実際効果を上げたキロランケの方針は十分真面目、あるいは誠実と称するに足るものだったんじゃないか。
まあ私はこういう考えだったんですが↓

実際鶴見を拒否って金塊を見つけたところで、現状土方かソフィアか、どっちかと組まない限りはアイヌの役に立つことも出来ないと思う。金だけあっても使わないと意味が無い、そして大きなお金であればあるほど動かすには組織が必要でしょう。
それが分かっているからアシリパ樺太に連れていかれても土方陣営は余裕があり、マイペースに刺青人皮探しを続行していたのでは? 鍵を思い出す=セットで父の遺志を知る事になるのだから、アイヌのためを考えれば必ずそこで八方塞がりになり、契約の隙が出来るはずと。

まあその辺は今後の話だから一旦置いておきましょう。私今回の話読んで非常にモヤったんですよ。テンション上がんないし今週の感想はスルーするか…と思ってたんですが今日仕事がたまたまメチャクチャ暇だったので、何がこんなにモヤるんだろう?と真面目に考えて結論が出たのでせっかくだからこうして書いてます。
で、考えたところやはり杉元が気持ち悪いという結論に至りました。いやだからダメだとかそういう話ではないんです。尾形が逃げた!!と目を爛々と輝かせてる所とか元々気持ち悪かったし、気持ち悪い主人公なんて新しい!と以前肯定した気持ちは変わってないんですよ。これでキャラクター全員が気持ち悪かったら作品の問題ですが、そんなことは無いから。
ただ今回の杉元の気持ち悪さというのはこれまで見せてきたものとまた違う、新しい気持ち悪さだったんで、その新しさを言語化しとかないとモヤりが取れないなと…そういう今週の感想と捉えて頂きたい。

アシリパの「どんな男かはひと目見ればわかる」という発言も結構「ま~~~~たwwwwww^^」って感じでしたけどね。これまでのあれこれを思い浮かべて失笑してしまいました。でもまあ鶴見中尉がヤバいのは確かだし、“ひと目見てわかった”アシリパに対し鶴見一派に下ることを「アシリパさんのためになる選択だ」と本気で前向きに考えていた杉元の手前、自分の目で一度は判断して、勧めてきた杉元の顔を立てたと考えれば、わざわざ面通し→逃げろーッ!という茶番を演じる必要性があったこともまあ納得がいく。
鶴見と会ったら“杉元は”どうするんだ?と前日までアシリパは繰り返し尋ね、目的が異なるようなら(ここで道が分かれても)仕方がないという態度を一応示してはいましたしね。
そして杉元は、「私のことは私が決める」と鶴見をひと目見て下したアシリパの判断に、“迷わず”ついてきた。

でも杉元は結局さ、アシリパの今の考え方、目的、思想にまだちっとも納得してないじゃん?
冷たい表情で矢を引き出したアシリパに、杉元がかつてない恐怖の表情を浮かべたのは、覚悟を決めて遠くに行ってしまったようなアシリパが目の前の第七師団を“殺す”んじゃないかとビビったんでしょ?
でも矢じりに毒が付いていないことを目視して、「『逃げる気だ』ってすぐにピンときたぜ」=殺意はない、とホッとしたんだ。
何ホッとしてんの?
偶像問題何も解決してねえ。逃げるアシリパに並走しながら、アシリパの意思が攻撃ではなかったことに言及して、とっても嬉しそうな杉元さん。よかったアシリパさんはやっぱりそんなことする人じゃない、って安心したんだよね?
気持ち悪いんだよ!
この気持ち悪さっていうのは碌に話した事もないのに告白してくる知らない人間の得体の知れなさに似ている。そんな大胆な行動に出るほど思い詰めるまでの理想的なイメージを、会話すら交わさないまま“完全に個人の中だけで”創り上げたのだ、目の前の本人の生の姿はその偶像を証明するための後発的な実在に過ぎない!

アシリパが人に矢を向けて戦うことは依然として受け入れられない、「北海道をどうたら」って計画なんぞ知ったこっちゃない、でも杉元は他の選択肢などまるで無いかのようにアシリパについてきた。
そこには“選択の主体者がアシリパだから”という理由以外の理由は一切存在しない。アシリパの思想と杉元自身の考え方との合致、とか欠片も無い。アシリパがそう選ぶのなら、“無条件に”共に行動することを杉元は選択する。
その無批判性、非自立性を、私は肯定的に見ることが出来ない。その盲目さは“愛”とか“絆”とかいう言葉で形容できる、理屈不要の動機の形態なのかもしれないが、私にとってはそれは“依存”と呼べるものに過ぎないっ…!

金塊を見つけるとしたら鶴見よりアシリパだと思っていて、アシリパが鶴見と別の道を選ぶなら、金塊を狙う杉元個人としてもアシリパにつくのが道理…それは理屈としてわかるよ。
アシリパにはアシリパの意思がある、止められないと今回で実感した。守るなんておこがましかったって気付いた。「よし、“俺たちだけで”金塊を見つけよう」この“とりあえずの”結論は、久しぶりに杉元を心からの晴れやかな笑顔にした。それなら梅ちゃんや寅次を裏切ることにもならないし、そもそも杉元は誰のことも信用してないのは変わらない、自分しか信用してないから、結局誰とも心からの協力なんて出来ない。(杉元が鶴見に拾われたのは不可抗力であるから、背いてもそれは恩を仇で返すだけだとして)
だから“絶対に信じられるアシリパさん”と“不死身である俺”の二人きり、この相棒関係だけが安心できるコミュニティのすべて。
俺だけはアシリパさんを裏切らないから。その誓約の役割を改めて果たすものが、今回の“俺たちだけで”という結論だった。
でも迷いを吹っ切ったきっかけは“アシリパが戦わずに逃げた”からなんだよね。やっぱりアシリパさんは平和的な人だと信じられた、その清さを今後損なわなければならない道へアシリパが進もうとしていること、そこに対する杉元の拒絶反応っていうのは、本能レベルでまだ全く変化せずあるわけじゃないですか。
アシリパはもう北海道アイヌのために行動するつもりで、金塊を見つけることはアシリパ自身の目的に力を与えることで、アシリパさんがそう決めたなら、よし一緒に金塊を見つけよう。でも杉元はアシリパの矢じりに毒が付いてなかったことを喜んでるんだ。欺瞞だ!(頭を抱える)
まだ頭に心がついていってないだけ、というとそれはそうかもしれないですが…
このエゴだよそれは!という感覚に既視感があると思ったらアレだ、アシリパが金塊の鍵を思い出したが尾形には渡さないと決めた理由が“故郷に帰りたいという杉元の遺言の内容に疑わしい点があったため”だった時だ。
アシリパは杉元が“戦場から帰れない”ことをとても痛ましく思っていて、故郷に帰って好物の干し柿を食べたら戻れるのかなという他愛ない思い付きはアシリパの中で最早“祈り”になっており、だからこそそこをハズした尾形に即刻NOを突き付けたのであるが、しかし帰れないまま杉元が現在進行形で手を汚し続けているのは「二百円(=金塊)という免罪符があれば帰れる」という自己暗示があるからであり、それを叶えたいという“想いの強さ”を信じられるものの支柱に据える心理が、金塊争奪戦の相棒として結果的に杉元に手を汚させている立場であるアシリパにあることは、自家撞着でありエゴである…というあの時感じた気持ちと似ている(長いわ)似た者夫婦ということなのか?

私の考えは私が決める、そう宣言して攪乱のための矢を放ち走り出した横を、杉元は迷わずについてきた。
アシリパは「“杉元は”どうするんだ?」と曲がりなりにも聞いていた以上は付いてこない選択肢も与えているつもりだったのではないか。真正面から金塊争奪戦から下りて欲しいと言われ、それに応えられない代わりに離れる自由を作ろうとした。
でもやっぱりついてくるのかと、それならば、相棒でいる気ならば「するな」と言うな、何かを「一緒にしよう!」って前向きな言葉が私は聞きたいんだ。
お前は金が欲しい、私はアイヌのために金塊を見つける気でいる、ならばお前は自分のことだけ考えていればいいんだ、お互いの目的に役立ちあう、それが一緒に何かをするってことだ。ああ、言う事はわかるさ。
でも杉元にはその“自分”がないんだよ! 谷垣もそうだけど“女”のために奴らの“役目”はブレブレよ!
何がギラギラした一匹狼だよシライシィ…! あっでも一匹でいる狼は問題のある個体だって作中で解説が成されていたんだった。そういうこと? “群れる”という行為に適応した個体であればあるほど美しいという通底した価値観? なんてこった、もうお前のかつて目にしたギラギラした一匹狼は戻ってこないの? それは善なの? いいことなの? この「先のことや、難しいことは分かんないけど、ふたり一緒なら!」みたいな、ハッピーに愚かになっていく感じが…
そこまで依存するならさあ、せめて何かになれって話じゃないですか? 白石が言ったように恋人でも嫁でも娘でもねえのに…“相棒”って言葉便利すぎない? 排他的だけど将来を定義しないじゃん。後先を考えろよ。天気の子か? いやでもこれからなるのか? 金カムはラブストーリー?
先週ヒェ~wwwwってはしゃぎまくってさ、今回の方が私にはよっぽど地獄だったよ。でも何より残念なのはこの構図を気持ち悪いと思ってしまう私の価値観だよお! やめろォ! 私を照らさないでくれぇ!