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長文置き場

樺太編の尾形を振り返る

今週の感想書こうと思ったら尾形の話になってきたんで開き直って、突然ですが樺太編の尾形について振り返ろうと思います。(どうして????)

改めて尾形の目的について考える。
まずこないだの鶴見とアシリパが初めて会った時の話ですが、あの時点でアシリパは「自分がどうなるか」よりも「アイヌを守る、キロランケの意思を継ぐ」という価値観で既に動いていた。その上で鶴見という人間の信用度を確かめる(=信用できる可能性が僅かでもあるかもしれないのでわざわざ会って確かめる必要がある)としたら、彼らにとって本筋ではないこちらの目的を尊重してくれる人間かどうか、いわばビジネスパートナーとして信用できる男かどうかみたいな判断基準になると思われる。その結果鶴見は一目見て信用できない(=こちらの意思は尊重されない、尊重する素振りを見せたとしてもいずれ裏切るだろう)と判断された。
その“人を見る目”がある程度確かだとして、そうなると気になるのは鶴見と同じように「信用できない」と判断された尾形の目的も、やはりアイヌに不利益を及ぼすようなものだったのか?ということ。
キロランケの耳に入らない所で鍵の話を持ち出した点からも、谷垣が評したように少数民族の行く末が彼の目的の射程に入ってくるとは思えない。そして「自分が一人で豊かに暮らせる程度の金がもらえれば構わない」という本人の言った言葉もまあ嘘なのだろう、それが本当ならキロランケに交渉すればいい話だから。
つまりそれだけでは済まない、鍵をひとたび渡してしまえば大変なことになる気配をアシリパは尾形から察知し、実際尾形は個人の範疇では収まらない規模の何らかの目的があって樺太に同行し、鍵を聞き出そうとしたと思われる。
だとして、気になるのはもし仮に「それが本当にアイヌのためになるのか?」と、アシリパが尾形の前で(かつての)父やキロランケの意思に同調して金塊を明確に「アイヌのために使う」意思を示さなかったら、つまり尾形が寝込んでる間にアシリパが考えていた「殺し合う原因となる呪われた金塊は葬り去るべきなのか」という考えのまま、金塊の鍵だけを思い出していたならば、その時でも尾形は嘘をつく必要があったのか? その状況でもやはり正直に言えないような目的だったのだろうか?ということ。

何故そんな疑問を抱くかというと、交渉に失敗し「やっぱり俺じゃ駄目か」と諦め、ヤケクソになって言った内容が「手を汚す人間と汚さない人間に分かれる理不尽」を問うものだったから。
おう殺してみろよとまで言ってのけたあの流れで問いかけたのだから、その気持ちは本音なんじゃないかと思っている。(谷垣狩りの時の「俺はここだぜ」といいヴァシリ戦の捨て身作戦といい元々命を投げ出しがちな男ではあるが)
そしてそれが本音だとして、“周りは殺してるのに自分は殺しを避けようという態度”を悪とするその価値観の裏にあるのは「殺さずにいられるなら誰だってそれが一番いい」というさらに前提の価値観(羨望のような感情)、翻って「殺すのは罪なんてことはわかってるが仕方ないだろ兵士は殺したいんじゃなくて殺させられてんだよ」という特権階級(偶像)へのルサンチマン的怒りなのではないだろうか。

何故そう思うかというとヴァシリ戦での「狙撃手論」が間に挟まっているから。
狙撃手に向いているやつ、と称したヴァシリをどこか自嘲的にも見える笑みを浮かべながら「仲間のうめき声を一晩中聞いたって平気で自分の位置を気取らせない事のできる男だろう」と分析し、実際ヴァシリはそういう男だった。その流れから嫌でも思い出させられるのは、まるで真逆の行動をとったvs谷垣時の尾形の振舞い。
つまりあのヴァシリ戦で描かれたのは、尾形はそこに定義されたような「冷血で、殺人に強い興味がある」狙撃手の適格には本当の意味では当てはまらない男であるという暗示だったと解釈している。
尾形は殺しそのものを楽しむような性格では(実は)ない。だから勇作の言った通り、罪悪感もないと思っていただけで(実は)あった。分からなかっただけで。勇作はまとわりついていたというぐらいなので、そういう尾形の根っこの人柄が分かっていたんだと思われる。

しかし殺さなければ戦争にならず、戦争である以上は殺さなければならないのが事実なわけで、そこに実際参画してしまっている以上は罪悪感なんてないんだと思い込んでしまう気持ちもよくわかる。
杉元は罪悪感を感じる必要のない相手だと客体を歪めることでそこに適応した、尾形は道理があれば人間は罪悪感なんて感じないものなのだと主体を歪めることでそこに適応した。アプローチが真逆なだけで、どちらも心の奥底で(そう思わなければ狂ってしまうような)罪に苛まれている。

で、そういう背景があるとして、そもそも何故そうやって罪を負わされる人間と負わされざる人間の差異が出来てしまうのかという諸悪の根源は“戦争という状況”なわけで、もしその理不尽をポジティブに解決しようとするならば“戦争そのものの回避”ということになるんじゃないかな?と考えたので、以前「尾形の目的は金塊を葬り去る(=金塊を使って戦争を起こそうとする派閥に渡さない)ことなんじゃないか」と予想したわけです。また同時にそれは「争いの元になるようなら金塊は葬り去るべきなんじゃないのか」というあの時抱いたアシリパの考えとなら、もしかしたら相反しない方向性だったのではないかと。

そう思った根拠はもう一つあって、仮にその理不尽を“ネガティブに”解決しようというエネルギーに発露した場合、鶴見中尉の目的になるんじゃないかと思って。
北海道独立して軍国主義化、そんな事をすれば(土方の目的以上に)内地との戦争は必至だし、勿論その軍国化の主眼は他国との戦争を想定したもの、そんな対外的状況に併せて内部では豊かな土地を利用した芥子栽培と武器工場による雇用の創出を促す、そうすることによって戦争からの需要が生活を支え、生活のために戦争への需要が生まれる。その構図を月島は「戦争中毒」と称したが、消極的参画から積極的参画へと転換するその革命は、“戦場とそれ以外”という境界を消失させることにも繋がるのではないだろうか。戦場と生活が地続きになる、つまりそこに生きるすべての人間の戦争への参画、とも言える展望なのでは?
そして尾形はそんな鶴見の所から袂を分かったわけなので、“そっちのベクトルではない”という事なのかなって。まあこの二人はどっちもまだ得体のしれない所あるし、大穴で実は鶴見の方が戦争を回避しようとしてる、なんてことも考えられなくはないですが。
でも網走監獄襲撃の様子を見てもやっぱり鶴見は戦争GOGO派と見なしていて良いんじゃないかな。あの囚人皆殺しの阿鼻叫喚の図は、鶴見にとってロシア兵から死刑囚にキャスト変更されただけの旅順なんじゃないだろうか。鶴見にとっての日露戦争延長戦は“ああいうの”で、尾形にとっての日露戦争延長戦はああいうの(心身を削って辛くも勝利した後人知れず膝をつくような)みたいな。まあここの対比はまだ情報が出てきそうなのでこの辺で置いときます。

ただ戦場で周りは殺し合ってるのに自分は殺さないなんて態度俺は認めねーみたいな思想?意地?感情?が尾形にあったとして、それをこれからそうなろうとしている、かもしれない…という段階に過ぎないアシリパに問いかけたって答えられるわけもないから、ところでよぉ…以降はほぼほぼあの世へ言い逃げする気満々の八つ当たりであるし(かもしれないが現実になりつつあるのが今ですが)、
何より汚れる手と汚れない手、その問いの主体が彼個人ではなく“兵士という立場”にあることは“アイヌの偶像”というキーワードによってアシリパが対比されたのが“兵にとっての偶像”を担った勇作であることによってわかるわけですが(そうして一般化された問いだからこそ、手を汚しているのは杉元であって自分ではないのに同じ兵士側の立場としてアシリパの立場を問う道理があるわけですが)、そうやって純粋に「どうしようもない理由(道理)によって罪を負う兵士」としての立場でその不条理を問う資格が尾形には無いんですよね。

すべては子供の時にやらかしてしまった最大級の過ちから。そこの個人的な事情が無ければ勇作を殺してしまうまでには至らなかったような気もするし(罪悪を上から問うた勇作本人が母を殺すような過ちを尾形に犯させた因果に無関係ではないという事実が引き金を引かせた要因のプラスαにならなかったとは思わない)、勇作の件が無ければ父を自身の手で殺すにも至らなかったような気がするんですけど、とにかく尾形には“戦場の外に”個人としての拭えない罪がある。だからこその「やっぱり俺じゃ駄目か」という台詞でもあったのではないかなと。
目的と、目的を持つ己の間に、そもそもそれを追う己という存在への、「やっぱり」と言えてしまうような疑念があったとしたら、あーわかったよ悪いのは全部俺俺!言いたいこと言ってもういい死のう死のう!みたいなやけっぱちさで勢いよく諦めてしまえた気持ちも納得がいく。
まあそれでもいきなり善悪問答ふっかけたんじゃなくて、初めは一応出来うる限り穏便に、アシリパに危害が及ばない形でネコババしようとはしてたと思うよ…という感じの話を以前したんですが↓

でもあと一歩何か、尾形の偶像理論に関して言語化できていない善悪の境みたいなものというか、周囲とのズレというかが自分の考えにはある気がして、それはどこにあるんだろう?という事を、今週のノリ子のエロさについて考えていた時に掴めたんですよ(嫌な今週の感想への導入)

女性キャラの少ない漫画ですが、その分梅子とインカラマッと、あと今週のノリ子あたりのキャラクターは強烈に「女ッ…」て感じがしてドキドキします。物凄く女性らしい人物像ってなんか普通に異性のような意識をしてしまう。
今週はノリ子の唇がエロかったですね…「一山当てたら東京に…」というテンプレな台詞を言う嵩さんと向き合って口元だけがアップになってるコマの淫靡さがすごい。お銀といい、女性キャラはたまに出る分たまに出るとすごいエロいという印象。(その後の平太師匠のコマから目を逸らしながら)

でもこの漫画で一番“女”の象徴なのは梅ちゃんだなあということをぼんやり考えていたんです。待つ女、戦場と遠く離れた場所で男の持ち帰った殺戮の匂いを恐れる女、自分のものにはならない女、遠い女…男という存在からの“女”という存在の究極は、遠さの象徴、みたいなイメージが私の中にはある。

「あなた…どなた?」の時、杉元は怒れれば良かったんですよね。梅ちゃんに向けてじゃなくても、自分の中に起こる感情として。
国の要請で徴兵されて、地獄のような戦地で生きる為に戦って手を血に染めてきた、そこに自発性なんてものは欠片もなかったのだし、望んで行った地獄なんかじゃ間違ってもない、だからそんな彼を“変わり果てたもの”として忌避してしまうようなあの言葉は“ひどい言葉”なんですよ。悪意がなくても理不尽だった。
でもそこで俺だって、という気持ちにはなれずに杉元は傷付いて、落ち込んで、トラウマにしてしまった。それは寅次をみすみす死なせて俺だけ生き残ってしまった、という負い目があるからこそでもある。
杉元は自分をお先真っ暗な手遅れの死にぞこないと思っている。過去の清算をとにかくしたいという気持ちばかりで、未来をどう生きていけばいいかという事は全く考えられないでいる。
一巻で「兄ちゃんたちが戦ってくれたから日本は南樺太を取り戻せた、おかげでこの港町はこれからもっと栄えるだろう、本当に御苦労様でした」と拝むおっちゃんに対し「…儲かるのは商人だけだろ」と返したように、戦争が“必要だった”のは国にとってであって俺ではない、だから良いことをしたとかそういう問題じゃない、という風にしか一兵士としては思えていないことが分かる。

でも戦った勝ったと言ったところで自分や梅ちゃん個人としての生活が良くなったわけではないし意味が無い、というあくまで個人単位の価値基準がそこにはあるけど、もし日露戦争で日本が負けていたら戦後の日本はまるで違う状況になっていただろうし、現在まで続くもっと不利で不便な生活が待っていたのだと思う。歴史にもしもと言ったところでどこまで行っても「もしも」でしかないのだろうけども。

私は戦争の勃発とそれに伴う徴兵制、あるいは兵士への需要の発生というのは究極の男性差別だと思っている。いや女性は女性で地獄を見ているし、女性兵士も世の中にはいるんだけど、母数と、常識という名の空気の問題で。
健康な男が戦地に送られ戦って殺して時には死ぬ。そして皆がそうした犠牲を払う時勢にあっては、健康上の問題で徴兵を免れた男が村八分にされたりもしたらしい事が津山事件の記述からもわかる。かといって勿論行けば地獄、送られる戦地は選べず、その先は旅順だったりレイテ島だったりする…逃げ場がない。端的に言ってその時代の青年はものすごくかわいそう。
でもこれは戦後70年、軍隊という組織が解体され自衛隊という組織に取って代わった専守防衛国家ネイティブの断絶した感覚なんだろうとも思う。国の為という言葉を言葉で用立てるだけの現代とは違い、肉体をもって資する役目がかつては明確に、身近にあって、役目の方から国民を迎えに来た。逃げることは特別な事由の無い限りできない。
国というものはものすごく強力に国民を守ってくれる。私は海外に行ったことが無いからパスポート持ってないけど、海外では後生大事に日本国発行のパスポートを持っていないと大変なことになるという。

何の話をしているかというと、私の倫理感覚の話です。手を汚す兵士と清いままの偶像、この差異の発生が理不尽だと主張する尾形の理屈を私が理不尽だと思えないのは何故なのか?という。
それはまず戦争に行かされる人間と行かされなくて済む人間、という差別がまずあって、そこの差別に関しては作中で言葉として明文化されてはいないけど、私はそこで既にちょっと申し訳ないという気持ちがある。何故なら戦争に行かされた人間の働きの恩恵を“国”は受けていて、そしてそこの国民である以上は私もその過去から連なる恩恵を受けている。差別の恩恵を受けているのでその差別を当然と看過することに咎める気持ちがある。単純な理屈だ。
そこの前提があるから、差別され戦場に隔離されて望まぬ罪人となる人間の中で、彼らをより多くの罪へと扇動しながら被差別側には収まらない“偶像”が特権階級として配置されるという更なる差別があるとしたら、酷い話だ、と思う。貧乏くじでも、同じ貧乏くじを引いた人間しかここにはいない、というある種の空間への信頼は、きっと拠り所であると思うし…。

ただ強調しておきたいのは尾形の言うことが尾形単体でわかるって話であって、単体で一理あったからといって対置された勇作やアシリパに理が無いとはならないということ。勇作も勇作で旗手と師団長の嫡子という宿命を背負っているし、アシリパアシリパでヤバい父親と民族的差別という宿命を背負っている。どっちかに正しさがあればそれはもう一方が間違っているからではないし、どっちかに瑕疵があってももう一方が正しいからではない。個別に語られるべきことだし、関連付けてはいても個別に語ってるつもりなんですよ。(弁解)

とにかく、この漫画の大きな主題には「差別」があると思っている。帰還兵差別(ところで私はランボーが好きです)、結核差別、敵兵差別、囚人差別、罪人差別、民族差別…主要キャラの誰しもが何らかの差別を“平等に”されている。
そんな中で妾の子やら山猫やら家族殺しやらコウモリ野郎やら後ろ指さされまくりの最底辺を孤高に往く尾形はやっぱり重要なキャラなんだろうなと思います。樺太編を振り返ると改めてそう思う。
だから個人的にはアシリパと尾形の三週ぐらいに渡って展開された一対一の問答は樺太編の総決算として相応しいものだったと。あれだけ双方対等に会話でボール投げ合った場面ってこの漫画では珍しいんじゃないだろうか?
考えてみれば対尾形でアシリパの対話フェーズは一旦クライマックスだったからこそ鶴見との対話は持ち越されたという側面もあるのかもしれない。
もう週替わりに尾形が頑張って話の辻褄合わせててすごかった。杉元や白石と俺は一緒の目的だ、俺にはくれないのか?アイヌのことはキロランケに任せておけばいい→ならなんでキロランケから離れたところで聞く?(=アイヌに使わせる気が無いからなんじゃないのか)→お前の父親が撃たれた時キロランケが指示していたからだ(指示されたのお前だけどね)だからとりあえずキロランケは信用できない、だが俺は杉元の頼みを叶えないといけない、あいつのためにも教えてくれ→なんでそのことを今まで黙ってた?→杉元が惚れた女についての頼みだったからだ、お前は聞きたくないだろうこんなこと…という一連の流れとかめっちゃ熱かったですよ。あっその手があったか~!?みたいな。絶え間ない矛盾レシーブ。頑張ってるう~!って感じだった。
そして最後は理屈ではなく感情から発された問い(そしてあるいは感情から発された答え)で敗北する、というのが皮肉が効いてていいですよね。カンカンカンカーン!という試合終了のゴングが聞こえた。
まあだからあそこで死ななかったのも道理で、祝福され度において最底辺の人間なりの納得いく結論に至るまでは尾形は退場しないのでしょう。

ところで差別といえば、アシリパと有古が会う時がひとつのターニングポイントだと思うんですよね。同じアイヌで、アイヌを守ろうと刺青人皮を追おうとした事は同じでも、二人の立場は異なっている。ロシアから来て少数民族全体を見据えた計画を画策していたウイルクとキロランケの遺志を背負うアシリパに対して、あくまで北海道アイヌとしての親の遺志を継ぐ立場の有古。金塊強奪事件において加害者とされているのっぺらぼうの娘であるアシリパと、被害者の一人の息子である有古。杉元と白石という仲間がいるアシリパに対して、鶴見と土方に利用されて親族を人質にとられ四面楚歌の孤独な有古…。目下ここの接触がどうなるのかが今後の展開として非常に気になる。
あと尾形は鍵奪取に失敗して一旦は完全に諦めての今、以前の目的から変化したのかどうか? 鶴見に捕まらなかったことだけは現状でも吉報だった様子ですが。

いやーそれにしても唐突な記事になりましたね。そうだ、男性差別のくだりでもう一つ考えたことがあるんだった。以前下記のようなツイートをしましたが↓

更に加えて、アシリパの位置が梅ちゃんやインカラマッのような女ッ…ていう感じの女性だったとしても尾形は同じように同じ問いをするのか?と考えると、全く同じように問う気がするんですよね。なんかその辺を全然問題にしない感じがある。何故だろう。
というわけで今後もノリ子みたいな色っぽい女性がたくさん出てきたらいいなという話でした。おしまい。