8番倉庫

長文置き場

金カム220話「毛皮」感想

グロい話

遠目とはいえ頭にググ…っと圧がかけられ脳みそパーン(物理)に至る流れがナウに描かれたのは幻とはいえかなりトガった描写ですね!!
でも考えてみると「中身が出る」ことには変わりがないのに部位によってグロ度が違う気がするのは何故だろう。臓器としての重要度かな? 脳は特にグロいという気がする。やっぱり損傷・即・死というイメージがあるから?
でも杉元じゃないけど、現実にも掠るどころじゃなく脳をしっかり撃たれたのに一命をとりとめた人の例があるから必ずしも不可侵のデリケートさではないと分かってはいるし、それに命は助かるとしても目玉くりぬきも脳に負けないくらいエグく感じる。しかし同じ頭部でも舌を抜かれるのは脳とか目よりは少しランクが下がる。そして舌よりは鼻を削ぐ方がエグく感じる。…なんか位置的に上に行くほどグロいと思ってるんじゃないかという気がしてきた。なんなんだろう(自分の感覚が)
野間・寅次・親分あたりがドチャドチャドチャッと内臓毀れ落としてたのもヒエ~絶対助からないよお~~><という痛ましさがありましたが、頭部と意識への影響という面では少し距離がある損傷のためグロというより悲惨さの方が上を行くかな。寅次は内臓出てる云々の問題よりは、健吉と同じく腰から下そのものが無くなっているという一目見てわかる手遅れさの方が描写として深刻な気もしますが。

野間の時の、まるで弄ぶかのように何度も獲物を投げ上げて地面に叩き落す習性がヒグマにはあるという解説と描写(あんだけ木に引っかかってたら中身なくなってそう…)、そして今回の、生きて意識のあるまま食われながら念仏を唱えるしかない人間の描写…野生動物かつ特有の強靭な身体能力ゆえに人間同士では有り得ないような無惨な行為を成し得る羆の恐ろしさ、そしてそういった理屈の通じなさを持つ天災に近い生物と間近に共存していかなければならないからこその畏怖と信仰の発生という側面。

しかし三毛別事件そのものの熊の行動もそうだし、三毛別羆事件の生き残りである大川春義さんのエピソードとかも、実際こう、ただの獣と考えるだけでは説明のつかない何かがあるような気がする生き物ですよね…

1985年12月9日、三毛別羆事件の70回忌の法要が行なわれた。大川は町立三渓小学校 (のちに廃校) の講演の壇上に立ち、「えー、みなさん……」と話し始めると同時に倒れ、同日に死去した。大川は酒も煙草もやらずに、当日も朝から三平汁を3杯平らげ、健康そのもののはずであった。その大川が事件の仇討ちとしてヒグマを狩り続けた末、事件同日に急死したことに、周囲の人々は因縁を感じずにはいられなかったという。

もっとも大川自身は、犠牲者たちの仇だけを考えてヒグマ狩りを続けたものの、100頭を達成した後には、本当に悪いのはヒグマではなく、その住処を荒らした自分たち人間の方ではないかと考えたともいう。

 エロい話

平太は通常おっさん顔なのに、ノリ子に相対している時の顔は心なしか若返って描かれている。若いどころか子供? 実際にノリ子という女性の存在が身近にいたとして、それは子供の頃の話だったのだろうか。
薄く開いた艶やかな唇を舌ごと味わっている描写と迷いなく両手で着物を剥ぎにかかっている手つきがエロい、描写の湿度がすごい。
そして悶々とさせられた所に次のページでいきなりのこれまた激グロ展開はわわ~!!
もうこの一連のノリ子が遭う仕打ち、全て幻であるからこそ“犯したい・壊したい”というストレートすぎる性欲と破壊欲と加害欲と劣等感が発露していて、(違う方向にも)グロい。
その見開いた目で美しいノリ子姉さんの顔をじっと見つめる裏には舐めたいほど魅かれる羨望とグチャグチャに引き裂きたいほど台無しにしたい(そして自分だけのものにしたい)衝動が蒸されて発酵して充満していたんだろうなあ…気持ち悪いなあ…
そして見た目がノリ子の時は口開けてることしか分かんないよう描かれた、まだ綺麗さのあるキスシーンだったのに、オールキャスト平太のネタばらし回想の同一シーンでは同じ顔同士でめっちゃ舌絡ませてネッチョネチョしてて視覚に鬼畜すぎる。
「うおおおお!!」ってなったラッキースケベシーンの目をここぞとばかりに離れさせるのはやめてよぉ!!!

キモい話

他の面子の動向には目もくれず一心不乱にガリガリ絵を描いている言葉の通じないヴァシリのスケッチを白石が覗き込むと、そこには…という見開き、超ゾッとするう~!
服の上からじゃ厚着でわかんないけど身体バッキバキじゃないですか。なんだその力こぶのボリュームは。最後の一撃で腕にビキビキ浮かんでる血管といい、なんか殺し屋イチのジジイみたい…頭と体がつながってなくて異様な印象を受ける。
つながっていないといえば、

今回幻のヒグマに平太(理性)が殺されたのも首からベキンッですし、首にまつわる何かが過去にあったのでしょうか。
それにしても今までどちらかといえば杉元が頭おかしい側の状況ばっかりだったから、マジのやべーやつを前にちょっと慎重になってる引き気味の様子が新鮮ですね。
まさかとは思いますが、この「ウェンカムイ」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか?(by林先生)
囚人であるということは収監されるような何かをしたという事なんでしょうけど。一体何をやらかした男なのか…

コワい話

今週を読んで恐ろしい想像がよぎったのですが、砂金取りに獲物の土饅頭に顔を剥がされる殺され方にウェンカムイ、そして折られた腕…北海道に戻って心機一転金塊を追い始めた状況とリンクするように一巻をなぞるような描写が展開される一方で、キャストの立ち位置だけが変わっている。
そんな中でこれまで何だかんだ戦闘不能にだけはならなかった杉元がいきなり片腕使用不能になる展開を見て、もしかしてこれから杉元は、これまで他の人間に対して加えた傷害(命を落とさない程度の)が全部自分に返ってくる羽目になるのでは…と震えあがりました。に、二階堂…
相手も攻撃してきて戦闘になった結果なわけだから勘弁してぇ~!と完全な思いつきなのにフォローしたくなってしまった。しかしマジでどうするの杉元。砂金とれるどころか病院行く金あるの? 木の枝をこう、縛ってアレするのかな…

しかし獲物の命は私たちを生かすことで無駄にはならない理論に救われたり、地獄理論で逆に自分の手段に関して吹っ切れてしまったり、カムイの話をすべて真に受けたりと、アシリパの齎すアイヌの考え方・信仰にどっぷり影響されて“偶像崇拝”も絶好調の杉元ですが、やはりその信心深さというのはどこか歪。
杉元が今真っ先に気にしなければならないのは白い熊の祟りじゃなくて鯉登の祟りじゃないだろうか? 生きてたことを彼らは知らないから普通に考えたら十分死んでると思える状況だし。
結局杉元は“敵”を同じ人間と見做さずモノのように思うことで思考から排除し罪悪感に蓋をする思考形態から一貫して抜け出せていない。ひとたび目を向ければ呑み込まれてしまうその自己欺瞞から逃避するためにも、非人間的な存在への信仰にのめり込む必要がある。考えないために信じなければならない。

しかし「するなと言うな」という頼もしい言葉で迷える杉元に発破をかけてくれて、「わからないことをカムイのせいにして考えることをやめるのは良くないことだ」と今回も冷静な示唆を与えてくれたアシリパさんもアシリパさんで“自分の考えを信用しすぎ”というここ最近の印象がある。
「ふたりの距離」でアシリパのとるべき今後の選択の核心に迫る杉元の問いがあって、その後「アイヌはどうなる?」と杉元のエゴの核心に迫るアシリパの問いがあって、そこまでは来た来たぁ!!と盛り上がっていたのに、その後の逃避行で何故あれほどの戸惑いと躊躇いを覚えてしまったのか?それ以降の不信感は何なのか?というその理由を性懲りもなく考えていた結果、「迷いが無さすぎ」という結論に至りました。
結論を出すのはいい、ただ出す前に迷って欲しかったし、出した後もこれで良かったのかと迷って欲しかった。杉元の問いは杉元自身の精神と経験と人生の根幹に関わる深刻な問いかけだったし、逃亡時の杉元に起こったことも起こしたことも甚大な惨事であったし、下した今後の決意は杉元にいつか引導を渡すかもしれない重大な選択だった。そして谷垣に託したフチのことや、金塊を追うということ、父のした事がどうなのか等も。
指名手配書に描かれた父の顔を見てどう思ったのか、皇帝殺しや狼のように仲間にも容赦のない昔話を聞いてどう思ったのか、極東連邦国家思想についてどう感じたのか、以前は考えた呪われた金塊を葬るべきなのかどうかという問いを今は完全に切り捨てたのか。
それらが分かる時を、その内心を覗ける時を知らず待っていたんだと思います。いつか来ると思っていた、だって傍から見ていると「どうなんだそれ」思うことばかりだったし。それらをどう感じて、どう整理をつける子なんだろう?という彼女自身から見てのありなしを決める価値基準の核が。
でもどうやら“全部アリ”だった…?と立ち尽くしての今、という感じです。銃で定期船の船室を脅す杉元を汗一つかかず見守っているのも、土方陣営と鶴見陣営から刺青人皮奪うしかないのでは?という大真面目な提案も、えっそれでいいの? 苦渋の決断というわけでもないの? 迷…わないの?という戸惑いがあったんだな~と。仮に仕方なくても、そうせざるを得ない苦悩があって欲しかった。
でも元々あまり迷ったりはしない子だったんですよね。後悔もしないし。以前は目的も選択も無害だったから頼もしさとがんばれという気持ちしかそこには抱かなかったけども。
状況が変わっても一貫している性格がただ悪い方に出ているだけなのならば、それは人道的にどうこうの問題ではなくてやはりどこまで行っても性格の問題でしかないのかもしれない…という結論が出てちょっとスッキリしました。

でもその分いつかアシリパさんが「やっちまった…!」と本気で思うような時が来るとしたら、それが一体どんな状況なのかと考えると怖い。
唯一、ウイルクから託された金塊の鍵を忘れていた事に対しては悔いや不甲斐なさのような感情が見える気がしましたが…アシリパにとってのウイルクは、そして彼の残した金塊は、彼女にとって今、正しい、道を照らす、信じられるもの…なのだろうか。それともウイルクよりもキロランケの方が? キロランケがウイルクを殺したという事実に心に残る疑念を抱かされたとすれば、それはキロランケに殺されるようなウイルク、ウイルクを殺すようなキロランケ、どちらに対して?
カムイレンカイネを信じない彼女は、であれば何を信じるのだろう。すべての出来事には理由があるはずだという、理性…?