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長文置き場

金カム190話「明日のために」感想

今まさに相手を屠らんと殺し合う二人の人間に「カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム(天から役目なしに降ろされた物はひとつもない)」の"呪文"が添えられる皮肉な表紙がいいですね。そしてタイトルが『明日のために』…。
もうさあ、前回カメラワークの問題でマジで首に刺さったのかどうか分かんない引きで終わったけど、正解は「手で庇うのには間に合ったが貫通して防ぎきれず、結局首に刺さっていた」だったとか最悪の答え合わせですよ!! なんでそうやりきれない描写にするかなあ!!!(褒めてる)
あっこれ動脈…? 動脈いっちゃってない…? っていう位置への損傷から、案の定ざっくりではないけど太い血管が傷ついたのであろうと分かる量の血がごぽ、って溢れてきてアッもうこれ駄目じゃない!? 駄目なやつじゃない!?って頭を抱えたくなる無慈悲な演出がとても秀逸だと思います。サドだな〜〜〜(褒めてる)
それでもまだ死ねない、まだ終われないってしぶとく足掻くキロランケがもうね。悲惨だけども、辺見も納得の煌めきで…。
キロさんガタイいいし体力ありそうだもんな。致命傷を負ってもまだ動けるキロランケに、追いついた月島と谷垣が二人がかりで二発の銃弾を打ち込む。もう害獣駆除の様相ですね。すっこんでろよ!! 尾形なら頭に当ててたよ!?(今尾形の話してないです)
それでも諦めずに爆弾を投げるキロちゃんかっこいい。これが十代の頃から半勢力ゲリラで活動してきた男の底力だ。しかしコイトも学習したのか、というよりも二度同じ手でやられはせんというプライドのなせる技か、再び牙を剥いてきた手投げ弾を華麗に一刀両断。やるやんと感心すればいいのか絶望すればいいのか分からないよお!
「谷垣撃て!!」
あっ村田銃ですかコレ!? 無事だったんですね!? よかったねリュウ! 銃に罪は無いからな。(含みのある言い方)
そこにギリギリのタイミングで、再会を終えたアシリパたちが合流。「待ってくれ!」じゃなくて「待って!」なのがいいですね。いっぱいいっぱいな感じで。
「どけッそいつは手負いの猛獣だ!!」
さすが軍曹うまいこと言う〜(虚無)
「聞かなきゃいけないことがある!! 撃つな!!」「離れてッ殺したらわからなくなる!!」
ほんとだよな。杉元はキロランケに関しては殺されかけてるならまあ仕方ないというスタンスのようですし、白石は成り行きに関しては何とも言えない感じでしょうし、一人で間に立って庇わなきゃいけないアシリパは大変だ…。
しかしやっぱり杉元が尾形を負ぶってきましたか。飛んだはずの帽子も被せて…。ようやるわ。(どんな感想?)
いや、あの救命行為そのものにはそれを"善行"と捉えるには欺瞞があると感じたんで色々グダグダ言いましたけど、しかしどうして欲しいとかいう願望を持って物語を追ってるわけでもないので(供された物語に食レポしてるだけの畜生です)、助かっちまったもんはしょうがないと思って読んでる今は「助けちまったもんはしょうがねえ」とばかりにしっかり面倒見てる杉元に普通に感心してます。偉いなコイツと。
それにしても尾形、さすがに目玉を抉られて痛みで気絶したんだなって思うとなんかニコニコしちゃう。努めて内心を表に出さないだけに、その強靭な理性のキャパを越えて何かに負けてる様子を見るとグッとくるのかな。(セルフ精神鑑定)


あああ頑張ってる頑張ってる!っていう健気さを感じてキュンときちゃうのかもしれない。私は尾形の健気なところが好きだからな。その健気さっていうのはキロランケのような正義のための不屈の闘志ではなくて、落ちないように踏ん張るかよわい努力なんですよ。
そう考えるとこれが正しい道のはずだと信じて歩むキロランケと、正しくなくてもこの道しかないと覚悟して歩む尾形、似てるようで正反対のふたりだったのかもしれない。
駆け寄ってきたアシリパの姿を目にして、ようやくずっと追いかけてきたはずの“役目”を思い出したのか、ハッと我に返った顔をする谷垣。
アシリパ確保が目的とはいえ、重要参考人であるはずのキロランケを有無を言わさず寄ってたかってお前ら…というこのハードな展開、何が発端だったかと考えれば初めに谷垣が問答無用で殺しに行ったことだと思うので、もうやだこいつという気分。感情的な人間ってやっぱ怖いわ。キロランケの死に背を向ける、その内心がどういうものなのか私には分からない。悔恨なのか、捨てきれぬ憎悪なのか、蘇った悲哀なのか?
自分を制御できなければいつか取り返しのつかないことになる、と月島は言いました。それこそが先遣隊に課されたテーマだったのだろうと今は分かります。ただ、結局隊のうち誰が制御できて、誰が制御できなかったのだろう? そして取り返しがつかないとは、何に対してなのだろう?
これは彼らにとって反省すべき失敗なの? 辛くも掴んだ勝利なの? それは自分たちが死にそうになったからなの? それともキロランケを死なせたからなの?
今回の流れを見てると、やっぱ私刑って禁じないと駄目だなって思わされる。罪の在り処なんて一面からでは絶対に測れないのだから。

天から役目なしに降ろされたものはひとつも

尾形がなけなしのプライドを打ち砕かされる形で生かされ、キロランケへの三人がかりのリンチが始まってからというもの、私はこの物語がどういう結論に向かっていくのかちょっと不信感を募らせていたのですが。

正義=エゴだと思うんですよね。「あの子が幸せに暮らせるように」も「子供たちが幸せに暮らせるように」も、「国のために」も「国のために散った戦友のために」も、すべて美しい願いであり、同時にすべて自分勝手な願いです。何故なら世界中の人が一斉に幸せになれはしないから。誰かが何かを得ようとする時、同時に何かを犠牲にしているから。(みんなの願いは同時には叶わない by宇多田ヒカル
「殺し合いの末に金塊を見つけてその先は? その金塊を使って更に殺し合うのか?」
尾形が罪悪感という名の亡霊を見ている一方で発したアシリパの問いは、この金塊争奪戦そのものの悪性を突いていたと思います。己の正義のためと、他を殺してでも金塊を求める人々。そしてどこかの正義が金塊を手にすれば、今度は金塊を使った“敵”との戦争が起きる。ずっと人が死ぬ。人殺しを忌避するアシリパにとって全く望ましくない穢れきった世界。
考えてみれば、アシリパが他人に手を汚させて自分は清いままでいる偽善者なのではないかという疑惑が尾形の中で明確な形をとったのは、キロランケの話に「それが本当にアイヌのためになるのか?」とアシリパが尋ねたあの瞬間だったのかもしれません。
金塊を使う意思がある。ならばそれを使った殺し合いも許容するという事になる。しかし、殺しを拒絶する様子はあの人を彷彿とさせる。このままでは"あれ"になる。
キロランケは本当にアイヌのためになると実際に信じて戦い、手を汚してきた。その過程で犠牲にしたものが原因で、こうして凄惨に殺されてしまった。殺される理由は分かっている、それでも死ねないと、傷を負っても足掻いて苦しんだ。
彼はいい人でした。このままでは死んでしまうと分かっているものを放っておけない人の良さがあった。その一面が偽物だったから彼の手が汚れていたわけじゃない。向いていなくてもすべきだと感じたから戦っていた。ここで止まれば多くの人が間違った道理で暮らしを壊され死んでいく、そう思ったからこそ“敵”を自分の手で打ち倒し、誰も助けてくれない人々を助けようとした。
キロランケの負った咎は、何も抵抗する術を持たない未だ無力な子供たちの代わりに負った咎だった。その中には彼の息子たちや、アシリパたちも含まれるはずだと、少なくとも彼はそう思っていた。ならば刺され、撃たれ、血塗れで死んでいった彼の苦痛は、アシリパの代わりに負ったものでもあったのかもしれない。
しかし彼にも欺瞞がある。アシリパのためになると言いながら、その正義はアシリパの最愛の父親を奪って成り立たせようとする正義で、そしてそのことを彼女に隠していた。例え理想は立派でも、その矛盾はどうにもならない。

尾形は今まで各陣営を転々として、それぞれの正義に対してまるで“それってエゴじゃないか?”と批判するような言葉を残しています。
土方に対しては「一発は不意打ちでブン殴れるかもしれんが政府相手に戦い続けられる見通しはあるのかい? 一矢報いるだけが目的じゃあアンタについていく人間が可哀想じゃないか?」
つまり、あんたの都合で戦争起こしといて、その後の責任は取れないだろ?ってことですよね。尾形が夕張でジジイ呼ばわりしていたように、土方は先が長い若者ではない。あと百年生きるつもりだ、なんていう冗談がただの欺瞞であることは土方自身にも十分わかっていることです。国を作って、これでうまくやっていける筈だと自己満足して、そして頭だけさっさといなくなる…そんなんじゃ、ついていく人間が可哀想じゃないか?と。
鶴見に対しては「仲間だの戦友だの…くさい台詞で若者を乗せるのがお上手ですね」「鶴見中尉という死神に関わったのが運の尽きだ」
つまり嘘ついて若者たちを上手く乗せて死に向かわせて、ひどいおっさんだと。(言い方)
実際月島は「私の戦友だから…」「お前たちの骨を守るために我々は狂ったように走り続けるぞ」という台詞で乗せられて、自分で目指したわけでもない正義に向かって付き従っている。いご草ちゃんの件は退路を断たれるきっかけに過ぎません。
ああ、今考えれば自刃工作後の車中での会話、鶴見は尾形をたらし込もうと“親と同じこと”を知らずにやろうとして、とんだ地雷を踏んだわけですね。偶像として他と差をつけて祀り上げられた勇作の姿に、尾形は不平等と欺瞞を見た。尾形は兵がもっと死なずに済むやり方がある筈だと自主的に狙撃部隊の編成を上申していたような真面目な男です。自分が贔屓されることじゃなくて、誰も贔屓しない平等な在り方を頭としての父に求めていた。今わの際の会話は、贔屓してた嫡子が居なくなったら今度は俺を贔屓したくなりましたか?っていう皮肉でしょう。思想の面ではとっくに親を巣立っていたんですね(感情の面では知りませんが)。
まあ贔屓の上に成り立つシステムっていうのも当然考えられるわけで、その代表的なものこそが親の庇護なんですけど、そういう私的な贔屓のシステムを多くの人間の生死が関わる公的な“正義”に持ち込むなってところでしょうか。
とにかく手遅れな自身の咎も相まって勇作を殺人という形で全否定してしまった以上、特別に自己の価値が認められて許されたような気になる鶴見の人心掌握術というものも、むしろ尾形の中で否定しなければならないものになったので見限った。
そして「戦うのはあの子じゃなくたっていいだろう、平和に暮らしていて欲しいんだ」と実の父親に詰め寄り、アシリパの“もう一人の父親”になろうとする杉元を実の父親諸共撃ったことで、想いがあるだけで俺は役立たずだと泣かせることになった(?)んですが、まあこれはただ尾形は問答無用で排除しようとしただけで自主的に杉元が悔いただけなのでノーカンでしょうか。二百円しか要らないと言いつつ、見つけちゃった莫大な残りの金塊の責任を取る気は無い杉元が邪魔だったのかどうか。
色々考えると死に場所を求めているとかではなく、本気で子供たちの今後のためにと行動するキロランケの正義っていうのは尾形の中で一番“まし”だったのかなという感じもしてくる。尾形の行動っていうのはただただ消去法の結果であり、転々とするのは居心地のいい陣営を探してるだけなのでは?という予想も立てていたんですが…アシリパに対するキロランケの欺瞞をばらしてキロランケからも離れ、金塊を何とか手に入れようとした以上、今後どうするつもりだったのか俄然気になるところです。言ってることはわりとまともなだけに、尾形も認める“正義”がどんなものなのか。あるいは全部認められなかっただけなのか?

まあそれは置いといて、各陣営のエゴを指摘してきた尾形が総仕上げとばかりにアシリパの欺瞞についても指摘し、父親殺したのは俺だと自白して退場しようとした消去法的正義が、蘇った父親として登場した杉元に負けた感じの構図が嫌だったんですよ。
この世で一番大切な人を守りたい的な、そういう卑近な情が結局一番尊いのかなって…。天から役目なしに降ろされたものはひとつもないとか言って、じゃあ尾形の役目って何? 失敗例? というか役目って何? 世界にとって役立つかどうかなんて、人間が主観でしか世界を見られない以上絶対に偏見を免れなくない?
というような、物語の善悪の理屈に対する信用…?みたいなものが揺らいでいたんですけど。でも今回の話読んで、やっぱりこの物語めちゃめちゃ信用できると思った。(前フリなっっが)

明らかにもう無理なのに、アシリパに逃げるぞと…ソフィアと、ウイルクの話をして金塊の鍵を思い出さなければならないと、まだ諦めないキロランケ。
痛ましい表情をするアシリパと白石。しかし、おかげで鍵を思い出した…ありがとうと伝えたアシリパに、一気にキロランケの表情が和らぐ。そうか…良かったと。
ウイルクの足跡を追うこの旅は決して無駄ではなかった。蘇る思い出。忘れられない罪。子供たちの顔…すべてが懐かしく思い返される。そして「あとは頼んだぞアシリパ…!!」と言い残して…キロランケは満足して死んだ。
自分は役目を果たしたと“思い込んで”
キロランケの中ではもう、金塊の鍵を思い出したアシリパは、必ず少数民族並びにアイヌの未来のためにそれを使ってくれる筈だという確信が生まれているのでしょう。共に同じものを見てきたこの樺太の旅で、そう思ってくれるようになったと信じている。思い込みです。理想主義者らしい…。
そして同じものを見ているように見えて、見方が変われば180度変わるのだと証明するような、怒涛のように明かされる樺太の旅の記憶たち。
まず冒頭のフレップからそれが突き付けられます。これはエノノカが「元気ない。とてもとても悲しそう。何も話さなかった。でも…フレップの塩漬け出したら食べた。フレップいっぱい食べたらちょっと元気になった。ちょっと笑って『ヒンナ』って言った」っていう、あの後ろ姿で表情が見えなかったアシリパさんの“答え合わせ”ですよ。あっわりとゆるい感じだ!?っていうね。
アシリパさんだ、間違いなくアシリパさんだぜ…と目を潤ませる杉元のテンションがもはやミスリードでした。あれを読んだ読者はもっとこう、けなげな、身を引き裂かれるようにつらいけど美味しいものを食べて曇り空にちょっと晴れ間を覗かせる…みたいな感傷的なアシリパさんを想像してアシリパさん可哀想~!尾形とキロランケ死ね!とか言ってたわけですよ。
そして樺太の旅のあいだずっと、修学旅行みたいで楽しそうな先遣隊に比べてアシリパ陣営は暗いし裏がありそうで怖~い!白石だけが救い!アシリパさん可哀想~!とか言われてたわけですよ。
でも本筋の目的に関係なかったというか、無駄に終わったから描かれなかっただけで、アシリパ陣営もみんなで犬橇乗ってたしスチェンカやってたしバーニャしてたんですよ!!! そしてしっかりエンジョイしてたわけですよ!!! ウウッ(感極まって泣く)
ていうかスチェンカの尾形がめっちゃボコボコにされてて超笑ったんですけど。スト2の負け顔かよ。やっぱり接近戦が…? 鼻血だけ出てる多分一発KOしたんであろう白石はむしろよく出場したなって感じだし、パンチ食らってるキロさんも頑張ってるパパ感がすごい。そしてかつての馬券の当たりで味を占めてしまったのか白熱して金を賭けているアシリパ。もうすっごい楽しそう…;;
バーニャも普通にサウナ入ってあったまってるだけの皆さん。こんな健康的な尾形の姿を見るのはきっと最後だろうな! ありがとうございます! アシリパのフッて感じの表情の貫禄は何なの笑
地味にツボなのが杉元たちがアシリパのこと尋ねて「知らねー」って言ってたガキンチョどもが普通にアシリパ達と会ってること。お前ら知っとったんやんけ!!
子供たちの記憶が多くて、子供好きだったんだなあ、と分かる。ささやかなそれぞれの少数民族の生活、その中で大事に育てられる赤子。そうだよな、キロランケが頑張ってたのはオソマちゃんのためでもあったんだぞ…谷垣見てるか…(見れません)

とにかく杉元とアシリパも無事再会したしもうこういう描写しても許されるだろ、という絶妙のタイミングで明かされる“実はけっこう楽しかった旅の記憶”で、改めてこの作者筋金入りのサドだなってことが実感できて恐れ入った。めちゃくちゃ偏った一方に入れ込ませた上で、その梯子をパッと離す、そういう物語構成をやっちゃえる人なんだなと…。
そしてキロランケの死に様によって、『天から役目なしに降ろされたものはひとつもない』というこの作品の大きなテーマにされた言葉があくまで“祈り”みたいなもので、決して事実を規定するような踏み入った意図では使われないってことが分かってとてもスッキリした。
主観と客観の分離がきちんとしてるというか、エゴをエゴとして貫いて描くつもりがあるんだと安心したというか。
カムイへの信仰はカムイのためという構図をとった自分のためのもの。信仰によって生まれる社会秩序はその結果に過ぎない。そして信仰とは結果のためにするものではない…そういうクレバーさをきっと最後まで保ってくれるだろうという気がしてきたので、どこが正しいとかではなく、どこの梯子もきっとこれから外されるだろうと信頼して(?)私の中でセーフな公平さを期待しつつ楽しみに読んでいきたいと思います。
あともう下手に他の人の感想とか気にしないで自分の感想だけを信じることにするわ。なんか自分の意見が人と違いすぎて疲れる(器の小さい女)

狼に追いつく

アシリパには悪いんだけども、これで役目を果たせたと満足して死にゆくキロランケが「キロランケニシパがアチャを殺したというのは本当か?」というアシリパの問いかけが耳に入る前に事切れていればいいなってちょっと思った…。
最後ウイルクを見つめるソフィアの横顔を思い返しているのが、横恋慕という表現のものだったのかってことにはちょっと疑問があるんですよね。ソフィアへの想いそのものに関しては、ウイルクも俺も憧れたよ、っていうかつて語った言葉だけで十分じゃないのかなって。憧れも恋も似たようなもんじゃないですか。
どちらかと言えば二人が憧れたソフィアという女性が、ウイルクの方だけを見ていたっていうことが重要なんじゃないかと。
「『俺たち』のために…ソフィアと…」という言葉が「俺たち(俺とウイルク)のためにソフィアと協力して…」と言いたかったのか、それとも「俺たち(ソフィアとウイルクと俺)のためにもお前が…」と言いたかったのかは分かりませんが、どちらにせよあの瞬間おそらくキロランケは“ウイルクの不在”を意識した。
自分の信じる正義から離れていった男。愛していた親友。その裏切った相手に心酔する女傑の横顔…それが浮かんで発した「ソフィア…!!」という呼びかけがどういう心理のものなのか、単に愛してたんだね~と片付けるには複雑すぎて一口では言い表せない。
不安、だったかもしれませんよね。ソフィアも結局ウイルクを愛している女である以上は、信用に足る仲間でいてくれるのかという…お前は俺を裏切ってくれるな、という祈りの呼びかけだったかもしれない。
そして横顔を見て険しい顔をしていた若きキロランケの内にあったのは、劣等感、だったかもしれないなって。二人並んだ同じ歳の男、優れた女は優れた男の方を選ぶ…。せやろな、っていうようなもう一人の男の虚しさ。
まあどちらにせよ彼はもう死んでしまった。何もできない。だからせめて、アシリパもウイルクを選ぶ、という絶望を最後に味わわずに死んでいて欲しいなって…。なんか逃げ切りみたいな形だとも思うんですが。

それにしても尾形はアシリパに対し、ウイルクと杉元が死んだ時キロランケがどこかに“合図していた”と形容し、父親を“殺した”のは俺だ、と伝えてあくまで実行犯=殺人者、という定義で伝えていたんですけど、アシリパが「キロランケニシパがアチャを“殺した”というのは本当か?」と言ったことにおっ、と思いました。アシリパの中では“殺させた”ことは“殺した”ことになるんですね。
偶像向きの性格じゃないなあ…。(偶像向きとは)
アシリパの中でアチャが今どういう存在になっているのか、ってことがマジで分からないんですよね。アチャが死んで以来心を閉ざしていたのが、杉元に会って笑顔を見せるようになった…とマカナックルは言っていましたが。そもそもその“杉元への想い”自体に相当な割合で“アチャと似ている”って要素が絡んでいると思うんですよ。
初め杉元を認めた時も「他にそんなことが出来た勇気のある男はアチャしか知らない」という感じのことを言って褒めてましたし。手先が器用だったから父は女にもモテたとか、基本的に男を見る基準がウイルクですよね。
そして「傷が増える前の顔が気に入ってたのかな?」と微笑んだキロランケはそのことを察していそうな雰囲気がありましたが。
この旅でアシリパが見てきたウイルクのかつての姿が、一体どうアシリパの中のアチャ観に影響を与えたのか。
アイヌを殺したのは私じゃない、という言葉を杉元が伝えたら、きっとアシリパは喜ぶだろうけども…アチャは本当にアイヌのために金塊を使う気があった、と分かった時にアシリパはそれでも金塊を葬ろうと思うだろうか?
人を殺したくないという善性、民族を守りたいという正義、それらが矛盾する時にアシリパは何を基準にするのだろう。
もし杉元とアチャの存在、その思想が対立したら、アシリパはどっちを選ぶのかなあと考えた時に、ウイルクの存在はまだ相当アシリパの中で大きいんじゃないかな…ということをキロランケの最期にアチャのことを尋ねる姿から思ったりもしました。
まーしかし金塊争奪戦に関わる女性は三人とも見事にウイルクに心を囚われてますね。それでキーワードが「狼に追いつく」とか皮肉すぎでしょ。お前みてーな男いねーよ!!!
でもとりあえず今後杉元と顔を合わせたソフィアが「ウイルクと似ている」とか言うシーンが来ることにスチェンカ一回分賭ける。

「キロランケニシパ…キロランケニシパ…」ともう反応しないキロランケに呼びかけるアシリパが本当に切ないな。キロランケの死も悲しいしアシリパも可哀想だ。恨めもしないしどうすりゃいいのって感じだよな。殺したの俺だぜほら仇を討てよって煽ってくる尾形のド直球さが恋しい(?)
おんぶしてるコマ見るとえっ杉元それ持って帰んの?とイジりたくなってきますが、とうとう合流してしまった面々、月島が尾形をどう扱うと決めるのかが気になるところです。コイトが黙ってなさそうな気もしますが。
あとは目覚めた時の本人のリアクションですよ。気を強く持て尾形。(漠然とした応援)