8番倉庫

長文置き場

金カム193話「登別温泉」感想

悪の恥

表紙、アシリパが照準を合わせ引き金だけ杉元が引くこの相棒契約の“強み”が一目で分かる図でヒュ~おぞましい~ッ^^
悪の所在、許されざる者を決める“目”と、引き金だけ引く“手”…それぞれのもう一方は無為に、盲目に、相手へと預けられる。うーん罪悪感軽減システム。
尾形という存在が問題提起したからには、その権力分立型正義には悪性があるという論理で話が展開されていくのだと思いたいのですが…それが問題であると疑問視する倫理観以上に、それがどういう事態を引き寄せるかという演出の匙加減というのはもはや倫理ですらない考え方の個人差になってくるだろうと思うので、どうなるのかなあという気持ち。もしかしたらこのまま“尾形という男が個人的に抱えていた問題意識”として処理されて完結してしまうのかもしれないとも思うし。それも群像劇というものの一形態と言われればまあそうかもしれないし…。
ただ、キロランケがウイルクを殺して過去の計画だけ受け取ってたこととか、それをアシリパに黙ってたこととか、理想に反する性格の甘さで要領が悪かったとことか、そういう“正義そのものの瑕疵”を彼自身が突き付けられることのないまま信じた理想に殉じて一人勝手に満足して退場したのは、変な言い方ですが“彼が死んだから許されること”だと思うんですよ。
もう彼の存在は止まってしまって、この先何も他者と関わることはないし、何を感じることもない。永遠の沈黙に沈んだ彼の正義にどんな綻びがあったところで、すべて今更のことなのだから、もはやそこに罪はない。この先何も傷付けることのない存在のどこに悪性があるだろう?
しかし、生きている人間は問い続けなければならない。ものを感じ、ものに影響を与え苟も人間として生きるのならば、在り方を問わなければ人間たる資格がない。
問われない正義はそれだけで罪深いと思うのです。正義というのは許されるという確信です。迷いなく行われるそれが、少しでも他者への暴力を含むものであるならば尚の事、疑われなければならない。正義なんてただの言葉です、それは愛や神と同じようにあやふやなものなのですから。
だから私の納得いく展開というのはどういうものなのかなあと考えてみると、しいて定義すれば“それぞれの正義に投げかけられた問題点を、その正義に所属している者自身が自覚すること”が腑に落ちる要件なのだろうと思います。
どの正義も問題点が指摘できるように描かれていて、その多角的な描き方こそ私がこの漫画に感じている魅力です。しかし後半の、そうして投げかけられた問題に対する“所属者の自覚”というところがまだ一度も描かれていないので、もしかしたらそこは描かれない可能性もあるな、と。そうなったら残念だと思うからこそ、その期待というものが私の個人的な感覚に過ぎないのだという事実を確認してクールになろうとしているわけです。
こないだインカラマッの目的についてわざわざ追記を書いたのは、今思えばそこが描かれてくれないかなあという期待の表れでした。キロランケはインカラマッの件に関してはその瑕疵を既に自覚していたとして、キロランケを罰した“正義”である谷垣の“情という道理”が問われてくれなければ、その情の独善性を谷垣自身が知らなければ、谷垣という人間はひどく見苦しい存在になりはしないか?と私は思うんですよ。
前回「この男が少数民族の独立に共感するとはおもえないが」と言った谷垣は、キロランケがそういう信念を持って行動していた男だと知っている。話の通じる男であることも過去に行動を共にしたのだから知っている。その上で問答無用で言葉もなく襲い掛かり刺した、彼自身の“理屈なき道理”への疑いなさが問われなければ、そんなの理性のない獣と変わらないように思う。
月島とコイトは鶴見の話に進展がなければ何とも言えない。まあ従うことを正義にはそもそも数えたくないんで、たぶん彼らが正義云々というよりは鶴見の正義を問うのが彼らなんじゃないかな。判断を預けた先の判断に亀裂が走れば従属者も勝手に瓦解するでしょう。これは杉元にも言えることです。
で、アシリパの正義を問う者が尾形だったんだと思うんですが。既に自分の正義がぶっ壊れて、問いそれ自体の概念のようになっていた男。
「悪いことをするやつは…自分を見られるのが怖い」と教訓を口にするアシリパの後ろで眠っている姿。
悪いことだという自覚があって、そこに開き直れない"良心"があるという事は、恥ずべきことではないと思うんですよ。悪事を働いてしまったという事実そのものとは別の次元で、人間は恥を持たなければならないと思う。つまり自分への疑いを。
何故尾形の想起する勇作の目が見えないのかの解答。尾形は母親を殺したことが悪いことだったと葬式が終わってから知った。例えみんながやっていても殺しという行為そのものが悪いことなのだと沢山殺してから教えられた。そして勇作を殺してから、それが本当に悪いことだったと分からされた。殺すのを正当化する道理など本当は無いのだと、認めたくはないけれど、もう悟っている。尾形には理性があるから。
勇作への殺意それ自体は私は今も否定したくないんですよ。何が偶像だ、何がいていい筈がないだ、何様だ貴様という気持ちは今もある。けどその正義の瑕疵を彼に自覚させる機会を、問い合う機会を永遠に絶ったのは尾形自身です。その尾形自身も心の底で罪と認めている取り返しのつかない過ちは、諦めはしても決して許されるべきではないし、そもそも殺すっていうことは償えるものでも報えるものでもないと思う。
キロランケが自分を疑わないまま勝ち逃げることを“死”が強制的に許させるのと同じように、勇作は死んでしまったので、もうその正義に矛盾があっても問えない。許されてしまう。尾形自身が彼を偶像にしてしまった。
だから勇作の正義はもういい、完結している…けれど彼と同じ矛盾した正義を持ち、彼と違ってこれからも生きていくが故に新たな影響をこれからも世界に与えていく存在、それを前にして問わないことが尾形には出来なかった。
悪い人間の中で、自分だけは悪いことをしていないから堂々とそこに立てる。悪いことをするやつを見つめて平然としている。悪いやつが、その目に安心して、怖くなくなる。もっと悪いことが出来る。
悪いことをしていなくても、悪いことをさせることは悪いことなんじゃないのか?
その問いそのものは正義だと思ったので、いっそあの時死んでも良かったと思ったのですが。キロランケみたいに勝ち逃げしてもいいなって。
しかし問うた正義の問題点を覆い隠すように助けられた以上は、尾形自身もそのヤケクソさをまだ問われなければならないし、アシリパの欺瞞も問い直さなければならない。
白石が裏切った時、「殺さなくていい人間は殺すな」って言って止めちゃいけなかったと思うんだ。始まりの時みたいに、殺すなら私は協力しないってキッパリと言わなければ、周囲の殺しを許すことになる。殺していい人間を許容することになる。それがいつからかアシリパは出来なくなっていた。出来ていたらとっくにこの争奪戦から、杉元から離れているはずなんだ。
それが出来なくなったのはいつからか?と振り返ると…尾形が「よく覚えてる」と言った、尾形を杉元が殺しかけた初対面の時からだろうなと思うので、まあ、因果ですよね〜〜。
とにかく構図として、尾形って杉元を問う存在ではない。アシリパを問う存在だ。
その上で、今回の目を見れない話、アシリパは別に尾形の目を見れなくなったりはして欲しくないと思った。そういう問われ方は中途半端だと思うし、実際アシリパはやろうと思ってやったわけじゃないから。
殺ろうと思って殺られないと尾形の問い的にも意味はないんじゃないかな? それが失敗した以上は、そんなショック療法みたいなやり方じゃなくて、もっと建設的に問題点は指摘されないといけないと思う。
罪の自覚という理性があるのは良いとして、尾形は生き残った以上、もう俺の手は血みどろなんだよ…(月光殺人事件)って罪を犯し続けるのを良しとする、その"罪を犯させてる目的"ってものがやっぱり問われなければならないと思うし。
何にしても目覚めた時尾形がどう振る舞うかだな。
これ「悪いことをするやつは…」以降のくだり必要あった?(雑談苦手なタイプ)

暗中模索

特務曹長殿わりと人望ありそうなのに置いてけぼり食らっちゃってるのは、鶴見的にどっか信用できないポイントがあるからなのでしょうか。
今回見ると、尾形がいた玉井伍長率いる造反組とは特に関わりはなかったのかな?という感じですけど。あぶれちゃってる感じ。
でも眼帯してる兵士見かけて暗闇に目を慣らしとくことを思いつく機転、それで一人で乗り込んで二丁拳銃ぶっ放す度胸など、デキる男感がすごい。真面目さしか見えない有古と共に、どう話に関わっていくのか期待感高まるぅ。
ところでトニさんのスカーフおしゃれですよね(どうでもいい話)
占い女と人食いジジィっていう呼称シンプルすぎて笑った。そうだよな、戻るまで死ぬのは許さんって言っても網走戻るまでにインカラマッがそこに居られるのかという問題がある…会えるのか?
マッサージはマッサージでも心臓マッサージみたいにドスドス突かれてる宇佐美面白すぎる。盗人から按摩に転身したのはおそらく最近だから><

さて、私にしてはあっさり感想が終わったので(?)先週の感想以降の考察ツイート貼って終わります。