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長文置き場

金カム187話『罪穢れ』感想

 「トメ」の部分で、ゴールデンカムイ今まで読んできて一番の爆笑を持っていかれた。く、悔しい…!!!おま…お前…!!ずるいわこんなん…!!この流れで一世一代のボケをかましてくるとか…!!!!

大草原不可避

先週とんちを効かせた表現で乗り切った尾形にゃん、謎テレパシーで着実に近づく杉元の気配を察知したのか、今度こそなりふり構わぬ大ウソへ!!
「俺は杉元に頼まれた」
嘘が派手ッ!!!!!!
やるとなったら一番効果的など真ん中を狙いに行く男・尾形! 時間も無いしね!? でも頭カッチカチやなキミは本当に!!!?
もうここからのシミュレーション杉元とシミュレーション尾形劇場が面白すぎて死ぬかと思った。
「杉元…!!」「俺の親友は旅順で死んだ…アイツの嫁さんに金塊を…(中略)頼む…尾形…」「(コクン)」
ベタ過ぎない!!!??
想像力が貧困!!!!! しかし今までそんなこと言ってなかった、ともっともな異を唱えるアシリパに「アイツが最後に話したのは故郷にいる親友の未亡人の事だったからだ」となぜならば文法で応戦。
もうこのさあ、理屈も通ってて、記憶力もあって、確実に頭はいいんだけど、根本的に何かが抜け落ちてる感じがザ・尾形…!
でもいいとこ突いてるのでアシリパにちゃんと効いてるのも含めてシュールすぎる。何のコントを見せられているんだ…この二人がカワイイのはやはり尾形の精神年齢がアシリパと同じかそれ以下だからかな…。

「アイツとは仲良くなれなかったが、道中助けられたこともあった」
この顔~~~~!!!!! 何この顔~~~~~~!!!! かわいこぶりやがって貴様ーッ!!!!!!(顔を覆って倒れ伏す)
「仲良くなれなかった」って表現よ!!! たまに語彙がキッズなのやめてくれる!!? どう反応すればいいの!? 一ミリも思ってなかったとしても発想として“なかよし”が出てくるの!!? 孤高で避けているがゆえに人付き合いのイメージがキッズレベルで止まっているの!?
それと道中助けられたこともあった、って「お前が好きで助けたわけじゃねえよコウモリ野郎」部分のことをゆってる!? やだやっぱりすごい印象に食い込んでる…! それされた時おまえは血の混じった唾をペッてしてたけど…! ようやく完全にその内心が分かったよ! その後律儀に助けてチャラにしてたのは「なんで助けたの?キモ…」って心境でめっっっちゃモヤモヤしたからなんだな!?
そして自分が撃っときながら、この想像上の杉元の果てしなくナメくさった創作ぶり…! なんか尾形の中の杉元という男がどういうかんじなのか、ってことがハッキリ分かってめちゃくちゃスッキリした。
何だろう、あえて言葉にするなら「キモい」っていうかんじ…!? ゴリラみたいに強いし…! 死なないし…! アシリパ教だし…! 馬鹿だし…! 銃下手くそだし…! うるせえし…!
杉元が尾形に構ってた謎が読み返して何となくしっくり来ただけに、それに引き摺られて実は尾形も杉元にわりと懐いてたのでは?とか最近思ってたんだけどごめん勘違いだった、くそくそナメ散らかしてたわ。全然懐いてなかった。いやでも尾形の人生でこんだけ最大の恐怖&ある種めっちゃ身近に感じる奴なんて他に居ないだろうから、尾形にとって“スギモト”という存在が唯一無二のニンゲンであるのは確かだけど…

そして惚れた女云々の話はエッセンス程度で、スギモトの最期の望みを託された友情路線で行こうと目論んでいた尾形、恋する乙女アシリパに「そのひとの名前は聞けたのか?」と遮られ一瞬フリーズする。この沈黙が最高すぎる。
尾形にゃんキミ「こいつはこいつに惚れてんだな」とかいう因果関係は社会通念上の概念として理解出来るけどそれがどういう感情かはさっぱり実感として分からないから、なんでそこで遮ってまで名前訊かれたのか一ミリも分かんないでしょ!!? 「えっ…?名前…?なんで…?それが何…?今それ重要になるの…?」みたいな未曽有の混乱を経て、
「トメ…トメに…」
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
笑い死ぬわこんなん!!!!!!!!!!!!!!
唇カッサカサの杉元図と、顔死んだまま例の「(コクリ)」やってる尾形の横顔(雑イメージ)も相まって私の中でゴールデンカムイNo.1爆笑コマが決定した。これを越えるコマが今後現れることはきっと無いんじゃないか…。
しかも地味に惜しいとこがまた笑いを誘う。でもこの後のあんこう鍋といい、もしかしてバアちゃんの名前だったらなんかちょっとしんみりしちゃうな…人生で持ち得た少ない思い出の中から引っ張り出してきた印象強いアイテムを総動員した結果がこのズタボロ大嘘劇場なんだと思うと…。

「俺にはそう聞こえたが…軍に問い合わせれば杉元の育った地元はわかるからすぐ見つけ出せる」
痛ましい表情を作ってしおらしく言うけど、多分アシリパが名前訊いた心理っていうのはそんな実務上の手掛かりがちゃんと聞けたかどうかとかそういう事を気にしてるわけじゃないんだよなあ~~~~!!!! ほんとになあ~~~!!! わかるよ頑張ってアシリパの考えてること考えたんだよねえ~~~~!!!!
「ほかには?何を言っていた?」
感極まりながらわんこそばの如く想い人の最期の様子を欲しがるアシリパに、嘘をつき慣れない尾形の頭はフットー寸前。「まだきかれる…」って感じで口を引き結んでる尾形のはわわ顔かわいいよおおお!!!!
「故郷へ帰りたい」すぎもとがwwwwww泣いてwwwwww手をwwwwww
唇を噛み締めてるのと次の表情はあれなの? 笑いを堪えてるの? もはやヤケクソ感が出てきたものの、流石テレパシー相手なだけに惜しいところを突くので、記念すべき100話の干し柿会話に掠る尾形にゃん。しかしそれが悲劇を生むのであった…。
あんこう鍋が食べたい…」一ページ丸々使って不正解ドーンするのやめたげてよお!!!!!!!!!!!
涙の流し方がスポ根劇画のようなイマジナリー杉元。想像上とはいえ杉元と尾形が手つないでるのシュール過ぎてじわじわくる。
もうこれ途中からちょっとあかんわこれって自分でも思ってたでしょ? でも最後までね…よくチャレンジしたと思うわ…忘れないぜお前の煌めき…
「お前はなにひとつ信用できないッ」あれっ、やっぱなんかインカラマッと被らな~い? どうして尾形とインカラマッが…教えて谷垣ニシパ…(そんなこと訊かれても谷垣も困るよ)

そして静かに潮時を悟る尾形。
「あーあ…時間切れかな」「やっぱり俺では駄目か。うまくいかんもんだな」
う…つくしい…。
何これ切ない。少なくともアシリパに対しては出来る限り穏便にたらし込もうとしてたっすけどねえ…。
この“やっぱり”は勇作さんへの失敗を思い返してのやっぱりなんだろうなと思うと胸が痛すぎますよ。
そういう顔見せちゃうからアシリパの弓も震えてしまう。
北海道出てからこっち、ずっと大人しかった尾形にゃん「ところでよぉ…」と久方ぶりの上等兵モード全開で、初対面から目についていたアシリパの“善”を問う。
「やれよ。俺を殺してみろ。清い人間なんてこの世にいるはずがない」
「自分の中に殺す道理さえあれば“罪悪感”なんぞに苦しまない」
サマの人、やっぱりお祓い出来てないじゃないですかァ!!!!!!

道理をやろうか

「お前の父親を殺したのは俺だ」。
満を持して堂々と自供。この瞬間のために尾形はキロランケに手を貸したのだろうか?
尾形がアシリパに与えたこの“道理”は、父に勇作殿の最期を告げた時に描かれた鳥と同質のものなのかなという気がしました。
あの父との会話、その中で「祝福された道が俺にもあったのか…」と問うページは尾形という人間を象徴するような印象強いものですが、あれは尾形が求めているのが“祝福ではない”と明示された場面だと思っているんですよ。
祝福…要するに世界から彼に無条件で与えられるもの。無償の肯定とか、許しとか、自然な善とそれによる安寧とか、そういうもの。それが“無い”んだって言い切って欲しくて、言い切るための"道理"を、己に対し後ろめたさを持つ父に駄目押しで与えるための勇作の最期の情報だと。本当に父の祝福が欲しかったらあのタイミングで自分が殺しましたって言うわけがない。むしろ祝福されないために言ったものとしか思われない。
その透けて見えていた絶望の心理が、164話と165話で輪郭を掴みかけて、そして今回ではっきりとした形をとったような…。
つまり尾形のしてきたことは、自傷行為なんだろうなと。一応前向きなことも、色々やってはみるんだけど。でも選んではいけない方法を選んではいけない相手にしてしまった子供の日以来、究極的には、なんていうか…言ってみればその方法をとったことが“仕方ない”って思える日が来ることだけを、尾形は望んでるんじゃないでしょうか。
そう思えるなら命すら要らない。誰に許されたくもない。ただ、己が己を許す事だけを望んでいる。だから他人の許しなどはむしろ邪魔で、尾形が欲しいのは"本当は皆許されない"のだという証明。原罪を背負い死ぬ神など要らない。救いなど本当は無いのだと知りたい。
何故かと言えば、自分に救われる権利があるとは端から思っていないから。ただその権利が己に与えられていないことが、“偶々”だって思いたい。思わなきゃやってられないんじゃないのかな。勇作殿と最後に会話したあの時から。
だから同じだけの罪を犯したのに自分だけ罰されるとか、そういう不合理に関しては尾形は全然構わないんだと思う。同じだけ罪を犯している、ってことが知れれば。

「道理があれば罪悪感なんぞに苦しまない」ということは、尾形は「自分は罪悪感なんか感じていない」と思っていて(もちろん思いたいだけで実際死ぬほど苦しんでいる)、そしてそれは「道理があるから」だと。勇作みたいなのは殺す道理が無いから殺さずに済んでるだけなんだと。つまり、しゃあないんだと思いたいんですよね。理由があれば殺すし理由が無ければ殺さない、そういうフラットな理屈に持っていきたい。ここで対ヴァシリの時に言った「すべての事には理由がある」に繋がってくるわけだ。
殺す理由は、尾形にとってはあった。尾形なりに何とかしようとした。
どんどんおかしくなっていく母親、鳥をたくさん獲ってきたけど諦められない?、会えなくて生きられないより会えて死ねた方がまだ、…そう判断して踏み切ったあの子供の行為を、仕方ないと思えるかどうかは人によるんだと思う。
当たり前ですが人は殺しちゃいけない、親も殺しちゃいけない。サイコパスとかおかしいとかマジキチとか色々言われているのも見かけました。その上で、あの環境でやっちゃった件の殺害を、私はまあ仕方ないんじゃないかなと思う側の人間です。
だってそこには欺瞞が無かったから…。それがいいと思って、そうすることが何かを生むと思って為した子供の閉鎖的凶行を、誰も正しさを教えなかったが故のその過ちを、許されざるものと定義することが私には出来ない。そもそもあらかじめ備わった、いわば天賦の善なんてものが存在して欲しくはない。
マナーが人間を作るんだという、最近映画で有名になった英国の諺がありますが、本当にそうだと思っていて。マナー…つまり後天的に獲得する躾こそが人間を人間たらしめるのであり、それ抜きでは“人”と規定できない未完成のものなのだと。
子供は可能性の生き物で、白紙であり、故に尊い。善というものも可能性に過ぎない。天賦というならそれを備えるに足る環境に生まれつく事こそが天賦であり、与えられるものなしに子供は何物をも得ない。
この感覚は北原白秋の『神童の死』のごとく、純粋さが招く悲劇すらも賛美してしまうような極端な感覚なのかもしれないですが。
しかし例えば小さな子供がナチ式敬礼をする有名な写真は現代の我々に“おぞましい”という感覚を抱かせるものかもしれないけれど、ではその子供は悪童なのかというと違いますよね。我々は歴史によって知り得る戦争犯罪や、その一葉の写真が出来上がるまでの形成過程に対して罪悪を感じるのであって、被写体であるその子供が贖うべき罪がどれほどあるというのか。
今しているのは社会的制裁の話ではないのです。そんなのは社会が決めることで、つまり勝手に決まるものです。
制裁という観点でいえば、尾形はそもそも大人になっても殺しているので、子供の罪云々の審議すら必要ない。大人になってからの行動があの世界でどう裁かれるのか…法的に考えれば尊属殺で死刑だろうし、今みたいにバレなきゃ生きてるだろうし、何らかの取引によって働いたおおきなちからで罪に問われないかもしれない。第七師団に戻れば殺した戦友三名?負傷させた戦友いっぱい?に対する、報復に遭う可能性もある。
同じ罪でも時代によって執行猶予がついたり八つ裂きだったりします。絶対的な罰というものは存在しない、相対でしか有り得ない。そして罪もまた然りです。罰の話は、罪の話よりもどうでもいい。ここでは重要じゃない。必要ならば打ち首なり八つ裂きなりすればいい。
私が言いたいのは、尾形は自分を許してもいいんじゃないかっていうことです。尾形が必要としているのはそれだけで、そしてそれだけが尾形には無く、苦しんでいるのだから。

死刑の囚人たちがこれまで沢山出てきました。彼らは社会的には許されていない。死刑ですからね。でも皆、自分を許していた。開き直って彼らなりの自己肯定を得ていた。
人を殺しちゃダメですし、人を食べちゃダメですし、人を殴っちゃダメです。あと無理やり人や動物とヤッたらダメです。全部悪いことです。しかし彼らにとってそれは社会的悪だったが、絶対的悪ではなかった。
もちろんそんなにハッキリと二元的に分けられるものではなく、犯した後その事実を受け容れられずに対象を切り刻む姉畑とか、挑戦するかのように裁きを待っていた関谷とか、妻に救われながら申し訳ないと思い続けた用一郎のような、微細な葛藤がそれぞれにはありますが。
彼らには自分なりにそれを“仕方ない”と思い切れる、道理があったのだと思います。
尾形は罪悪感など無いと、道理があるならばと言いつつ、実際は自分を許せていない。杉元もそうですね。それはきっと、犯した罪の理由が、本当に自分自身の納得する理由ではないままだからなのでしょう。
自分は間違っていたんじゃないか? 他に方法があったんじゃないか? だとして、もう取り返しがつかないんじゃないか? そういう迷いが彼らを苦しめ、絶望させる。自分を傷付けさせる。

杉元の場合、根本的な自己評価の低さがあります。結核により村八分状態で、村を出て、好きな女と添えず、代わりにその女と添った親友は自分よりも嫁を大事にすると、立派に夫をやっていて…。基本的に負け組であるのに、持って生まれた肉体の強度がチートであるがために生き残り続け、戦争で英雄的な活躍をした結果、こんな俺のために多くの人間が死んだという罪悪感を抱えている。明言されたことは無いものの、杉元の行動原理の根本として登場する死んだ寅次の存在は、杉元にずっとこう思わせていたのでしょう。「俺じゃなくあいつが生き残るべきだったのに」。
でも死んだ鹿はお前の血肉となって生きると教えたアシリパ、許してやりなさい頑張ってるじゃないですかと微笑んだガンソク等との出会いによって、杉元は少しずつ己を許せるようになってきているのだと思います。その分アシリパ教への信仰心がやばいことになってそうですが、しかし良いことです。

でも尾形の場合は…。まだ多くのことが分からない子供の時分に、話通じない母親相手の“助ける方法”を完全に間違ってしまった上に、そもそも件の行動が完全に無駄だったと、父親の無為が突き付けてしまったこと。
“山猫の子”とトラウマをほじくり返されながら従軍し上等兵にまでなり、歴史に残る死傷者が出た作戦の参謀長を務める父の指揮下で、同じように戦う兵士らの中に混じって優秀に敵を殺し続けたこと。…どういう心情でもって第七師団に所属していたのかはまったく分かりませんが、でもあれだけ真面目に兵隊やってるからには何某かの意志をもって参加していたんじゃないでしょうか。手を汚しながら…“意義のある穢れ”を負いながら、命を賭して戦うことで、何か…贖えるのではないかというような。
それなのに、父は嫡子に向けて“誰も殺すな”と命令していたこと。
そして、それだけでも心折れるのに、その足掻きを「そんな人間居ていい筈がない」と“正しい”嫡子に全否定されてしまったこと。
せっかく殺しても、その勇作殿をいいやつだったと認めてしまうこと。忘れられないこと。
父親も殺してしまったこと。もう誰も残っていないこと。
近しかった鶴見の、よくやったという言葉に、何も満たされないこと。
…どれもこれも取り返しがつかない。かといってどうすれば良かったのだろう? 取り返しがきいたのはいつまで? 許して良かったのはどのタイミング? どこの間違いまでが仕方ない? 仕方ないと思えなくて、取り返しがつかないところまで頑張ってしまったことは、罪なのか?
俺と同じはずだと乞う。俺は許されない、だがお前らも許されない。聖人がいなければ、罪人もいない。
低きに誘うようなその救済、慰めに過ぎないそれを浅はかだと言うことは出来ない…だって尾形の許には蜘蛛の糸すら垂れては来ないのだから、何も齎されないのだから。上がれないなら下ろすしかない。
あるいは金塊こそが、尾形の蜘蛛の糸になり得るものだったのか?
しかしそれを諦める尾形の様子は奇妙に静かで、潔く…。
「やっぱり俺では駄目か。うまくいかんもんだな」

…どうしてだろう;;どうしてだろうね;;どうすればよかったんだろうね;;;;うまくいかないもんだね;;;;
すみません。長々と、とりとめもなく書いてきた結論がトートロジーに堕してしまって。
これが、尾形の人生の結論なのか…。
人生ってクソだな。もういい死のう死のう!(伍長はそんなこと言わない)
だってもう自供する顔すごい清々しいよ。吹き抜ける風が尾形の帽子をさらい素顔を露わにする様子はいっそ爽やかですらあるよ。
多分最後まで全力で足掻いて、何でもやってみるのは、辺見理論なんじゃないでしょうか。煌めくことが、すべてを出し切ることがどちらにせよ必要なんじゃないですかね。その上でダメになりたい…勿論当たれば儲けものですけど。
せめて思いつく限りのことをやったんだと思って終わらなければ。自分を赦したいわけですしね。
でも、頑張ってるじゃないですか…そんなにボロボロになるまで…。

あーあ…時間切れかな

個人的には、この「あーあ…」のページだけが100%素のページだと思うんですよね。「あんこう鍋」までコントモードで、「落ち着けアシリパ」まで樺太モードで、「ところでよぉ…」からチンピラ上等兵モードにシフトした感じがある。
ていうか本当に潔すぎない? 駄目か…って理解してから「よし!殺せよ」って決断するまでコンマ一秒もかかってなくない? お前はもっと心をもて。
もうあとがないしせっかくだから楽しみにとっといたイベントここでや~ろお!みたいな軽さ感じる。自由って最高だな。
しかしアシリパぐぬぬってなってからフゥ…って弓下ろすまで早いですね。尾形にゃんがヤケクソで手札ぼーんした今、アシリパの方が謎に包まれているな。樺太篇、尾形に負けず劣らず内心を喋ってなかったと思うんですよ。
でもこの冷静な感じだと、アチャへの愛は変わらないけども、今は前よりも比較的距離を置いて父という人間を見ているのかな。で、尾形は父から自立し始めたアシリパのその内面変化を察知できなかったんでしょう。
ていうかこれ、勇作さんにも言えることだと思うんですよね。尾形にとっての父上と勇作さんにとっての父上って全然違うものだと思う。勇作は父という存在が生育過程で普通に存在した上に、大人になった今は神の如き上官であるわけで、親子というよりは完全なる逆らえない相手、その命令としての不殺命令であり、そんなウェットなもんじゃなかったのではと。自立した親子関係ってドライだし、むしろ距離のあるものだと思う。つまり勇作もアシリパも、尾形ほどファザコンじゃないんですよ。ファザコンの尾形にゃんはその辺の機微が読めんのです。だから「えっこれ平気なの!?」みたいな齟齬が生まれてしまうんすよ。幸次郎と食事にでも行ってまずはファザコンを治してきなさい(鬼畜ジョーク)

「…お前達のような奴らがいて良いはずがないんだ」
勇作は大変なものを盗んでいきました…尾形の心です。
いやもう本当、あの言葉をめちゃくちゃ真に受けてしまったんだな。かわいそうに。勇作貴様のせいだぞ!死んで詫びろ!(鬼畜ジョーク)
夢の中の勇作と現実のアシリパが重なった伏線が回収されましたね。ウテナが時子に見えてる御影草時みたいなやつだな。電子計算機のような男…。
殺してって言ったのに殺さないとかムカつく…殺す…!とか新しいタイプのヤンデレ過ぎるでしょ。お前の人間関係デッドオアアライブしか無いのか。無いっぽいな。
自分を犠牲にしなかったらキレるとか、自分を助けた悟飯に「オレを助けるヒマがあったらなんでヤツに攻撃しなかった…!」とキレるリクーム戦のベジータのようでもある。地球人に混じってしまった戦闘民族の孤独よ。
茨戸で見せた滅多にない怒り、「テメエみたいな意気地の無い奴が一番むかつくんだ」という伏線もこれで回収された…ふええ総決算だよお…。
そんな尾形総決算の話のタイトルが『罪穢れ』とかマジで重すぎる。尾形が何をしたってんだよ…(色々しました)
今の尾形にゃんの存在はお前が殺してもいいし俺が殺してもいい、最終的にはなんか死ぬ、みたいなタナトスの化身的な感じだから妖怪として退治する必要があるのはめちゃくちゃわかる。でもそれはそれとして杉元怖すぎない? よりヤバいタイプの妖怪やんけ。やべえよ。多分今度は骨折どころか腕を引きちぎられると思う、いやマジで冗談でなしに。殺し屋イチで見たもん。
白石と「やっと逢えたね☆」からの尾形と「やっと逢えたな。」で、着々と前回の表紙の大雪山メンバーが集まってるのはちょっと再結集って感じでワクワクしますけど。こうなってくると俄然あの広告の下の尾形の表情が気になってくるな。
いや~でもエノノカちゃんなのに「アシリパさん!!!!」つって誘拐犯にマジギレしたり、アシリパさんのためだ…!つって切腹しようとしたり、着実に描かれてきた狂信者ぶりでもう待ち受ける惨劇への前フリはバッチリですからね。
来てしまうのか…リョナ展開…。心の準備をしないと…。尾形は基本ヘッドショットだから痛そうじゃないけど、杉元のは…ううっ…。せめて…せめて銃の腕だけは…。銃を撃てなくして放り出すくらいなら一思いに…一思いに殺してつかあさい…。
あとはそうだな、暴力受ける尾形がこう…イイ感じだといいな。(は?)時間切れと悟っていたし、尾形が背後の杉元に気付いてるのかどうかは分かりませんが。気付いていたとして、ならばこのアシリパに向いた銃口は、杉元へ贈る“道理”なのか。
ていうか杉元いつからそこに居たんだろう? 前半のトンデモ仲良し劇場をもし聞いてたなら、それはそれでキレるのもやむなし。いや、あのギャグ想像に対してこの表情だとは思ってませんけどね。だってすげえ怖いよ…こんな“憤怒”の顔なかなか無いわ…。

何にせよ、これからがほんとうの地獄だ…! 命の時間切れまで…頑張れ尾形…!!