8番倉庫

長文置き場

ゴールデンカムイ160話時点の考察(主に尾形について)

※単行本未収録分ネタバレ注意


1.それぞれの勢力の疑問点

・鶴見
奉天会戦時点で「例の計画を実行に移す」と言っていたということは、まだ終戦する前から金塊ありきのクーデター計画は練っていた。
奉天は日露でも最後の方の戦闘なので、203高地の戦いは既に終えている。一応四巻時点では、そこでの壊滅的被害が鶴見中尉の動機ということになっていたけども…
甚大な被害を出した作戦の不備を何度も訴えたが淀川中佐に揉み消されたこと、は流石に嘘ではないと思う。ただその結果、兵たちを大量に死なせてしまったこと、そのことで抱いた某かの感情が、鶴見の行動理由に多少なりとも関与していると思っていいのかどうか?
谷垣が語ったことは鶴見中尉が部下用に話した内容であって、クーデターの発端である第七師団の不遇を引き起こした師団長の自刃自体が鶴見の手引きだったのだから、動機なんて特に信用がならない。
月島軍曹が回想した、夥しい兵士たちの屍を前にして「満州が日本である限り、お前たちの骨は日本の土に眠っているのだ」と語った中尉の言葉は嘘ではないという印象ですが…今わの際に頭をよぎったその記憶が、月島軍曹に鶴見中尉を信じさせていたのだと思うと泣けてきますね。狂ったように走り続けるという意思に従って尽くしてきた果てに、鶴見の言う“戦友”、“仲間”に決定的な齟齬があると理解してしまっても、最早引き返す場所は無く…日露戦争の勝利によって作中時点で満州は日本の領土となっていますが、今も軍曹は鶴見中尉の言った「阿鼻叫喚の地獄」に身を投じて付き従っているのですよね…あれ…おかしいな、いつの間にか月島軍曹の話してた…

まあ目的は置いといて、少なくとも五年前に遺留品を入手した時点で既に、鶴見中尉と金塊の接点はあるわけですが。
キロランケが五年前ウイルクを殺した人間だと、指紋を証拠としてインカラマッに教えた。ウイルクは実際には生きていた、その上で杉元に言った「私はアイヌを殺していない」という彼の言葉が本当なら、ではアイヌを殺したのは指紋が残っていたというキロランケなのか?
ただ、キロランケは出会った当初からのっぺらぼうがウイルクだとアシリパに伝えながらも、網走ではアシリパにその目で「本当にウイルクか?」と確かめさせていた。犬童が用意した“非常報知器”も居ましたから、あくまで網走監獄内に居るかもしれない偽物かどうかを判断させたのだという見方もできますが…もし、生きて監獄に入れられた“のっぺらぼう”がウイルクかどうか実際確かめるまでキロランケにも分からなかったのだとすれば、少なくとも、あんな判別のつかない顔にしたのはキロランケではないということは言える?
のっぺら坊の容姿は、耳と鼻を削ぎ落されていた。アイヌの刑罰には、耳と鼻を削ぎ落して追放というのがある。その顔はアイヌにやられたのか…もしや他の七人に? ただ、この刑罰の内容が誰の口から紹介されたかというと、鶴見中尉なんですよね。
五年前の遺留品には傷がついており、それはアイヌが葬式で行う風習によるものであると尾形は聞き知っていた。何処で知ったのかというと、これも鶴見中尉だと思われる。
いごねり回で、証拠や証言のねつ造といった工作は鶴見中尉にとってお手の物だということも証明された。
鶴見中尉は怪しくない部分を探す方がムズい。中尉こわい。
あと、のっぺらぼうが五年前の逃走の際に持ちだしたとされる少量の金塊、そのせいで丸木舟は転覆して金塊は支笏湖に沈んでしまったんだという話でしたが、その時に金塊は沈んでしまったから確認できないとも谷垣は言ってましたよね。鶴見中尉はその“少量の金塊”の存在、どこで知ったんだろう? 鶴見中尉しかこの少量の金塊ってワード出してなくないですか。追っていた人間が目撃して証言したのか? それとも鶴見中尉自身が追っていて、その目で見たのか?
のっぺら坊、焼かれてもいますよね…七人の殺害現場は苫小牧、そこからのっぺら坊が捕まる支笏湖までの間にああなったのか? 少なくとも囚人たちは顔を知らないから、投獄までにはあの状態だった。
あるいは金塊のありかを吐かせようと拷問した跡だったりして。二階堂にやったみたいに。ハハッ

それと気になるのは、軍事国家を作るとして、どこと戦う気なんでしょうか。160話でどうやら鶴見中尉はキロランケの行方を追っていたらしいということが分かりました。写真を弄ぶあの嬉しそうな様子…
ウイルクが生きているという事を、「のっぺらぼうとアシリパを確保せよ」なんて網走で指示している以上知っていただろうに、何故インカラマッに「ウイルクは既に死んでいて、殺したのはキロランケ」なんて情報を教えたのかと思っていたんですが、キロランケをあぶり出すためだったんですね多分。ウイルクへのインカラマッの執着を利用して。まんまと揉めた二人は、どちらも怪しいと睨んだ杉元と土方の協力により写真を撮られ、その写真は鶴見中尉の所に舞い込んだ。キロランケが写真を断れなかったのは、断ればインカラマッの言う事を認めることになってしまうからか。
だとしたら用済みになったインカラマッを鶴見中尉がどう扱うのかが怖いところですが。そうまで鶴見中尉が帝政ロシアに恩を売りたかったのはどういう意図があるのか? あるいは情勢を混乱させるためか。第七師団に配属された鶴見中尉はロシアに派遣されたと言っていましたから、その辺で何か色々あるんだろうと思いますが…
あと英国から武器を買い付け、同盟あるから協力しますネなんて武器商人と話していましたが、鶴見中尉がこれから北海道でしようとしているのは芥子栽培で英国から阿片の需要を奪い取ることなわけです。英国は当然怒るでしょうね。
ニシン御殿で優雅にピアノを奏でながら、「戦争なんて意図的に起こすことが出来るものなんですよ」と宣っていた鶴見中尉…どこまでの規模で起こすつもりなのか。案外鶴見中尉は戦争が出来ればそれで良くて、あとは自身が成り上がれれば満足だったりするのだろうか?

・土方
こちらも戦争を起こしたそう。三巻の早い段階から「老い先短いこの歳になって戦争を起こそうだなんて、正気の沙汰とは思えません」と永倉さんに言われていましたが…新聞で世論を煽りアイヌによる北海道独立戦争を起こす腹積もりの様子。鶴見中尉は国家間で、土方は内戦を狙ってて、日本は大変なことになりそうですね。
でもなんか他の陣営の目的って土方陣営の目的に吸収できそうじゃないですか? まあそれだけ土方の目論見が悪く言えば漠然としているということかもしれませんが。
国として戦争を継続する国力が日本にはなかった。勝ったところでロシアの南下は止まらないし、明治政府の主導ではない、新たな体制が必要なのだと。それはかつての賊軍として、官軍の成れの果てである現明治政府にリベンジしたいだけなのでは…という感じもしますけど、しかし本気は本気です。
移民を募り北海道を多民族国家として独立させ、北方の守りを担わせる。そうすることで本州は国内発展に注力できる。
北方の守りを一手に担う独立国家北海道…それは北海道を手に入れ、軍事政権を樹立し、武器製造工場や芥子農場で経済を回しつつ戦争をし続けたいという鶴見中尉の目的に適うモデルなのでは?
鶴見中尉が言うのはあくまで軍人による支配ですが、土方がアイヌによる独立に拘るのはそれがのっぺらぼうが金塊を寄越す条件だからであって、土方が本当にこだわっているのは打倒明治の筈。北海道の占領と独立と運営を鶴見に任せて、国内発展を土方が賄って、二大ラスボス勢で日本運営しちゃえばあ~~?と無責任に思ったんですが。
まあそうなるとキロランケの目的とは反しますが。鶴見中尉と手を組む案ナシにしたとして、「北海道のアイヌもいずれこうなる」と言ったキロランケの極東ロシアの少数民族を守るという目的とも、土方は手を組めなくはないと思うんですけど。土方がキロランケと二人きりの時、アムール川もそうやって渡ったのかね?とパルチザンの話を持ちかけたのは、喧嘩を売ったんじゃなくてその可能性があるからこそだったと思うんですが…

気になるのは、土方も鶴見も「のっぺら坊はかつての仲間に接触しようとして捕まった」と発言していること。
でも苫小牧で事件が起こり、支笏湖で捕まったのっぺら坊の逃走経路を、「樺太に向かう途中で捕まった」と言うのは違和感がある。どう見てもその延長線上の小樽、つまりアシリパのところへ行こうとしている気がする。
金塊の規模が2万貫であることを「目的の一致する私にだけ伝えてきた」と土方は言っていました。のっぺら坊は日本のアイヌではなくパルチザンだ、というのは脱獄後の今、土方が推理として話したものです。つまり獄中でのっぺら坊が土方に伝えた“目的”の中にパルチザンは含まれていなかった。あくまでアイヌによる北海道独立が目的と話していた…のを、牛山が「あんたこれっぽっちものっぺらぼうを信じてなかったんだな」と言う通り、土方は信じていなかった。そして少なくとも8巻時点までは、のっぺらぼうはその目的のままに、これからパルチザンの仲間に接触しようとしているとみなしていた。
しかし網走まで来ると、土方はアシリパとさえ一緒に行けばのっぺら坊は必ず金塊のありかを話すと踏んでいた。「これで信用させるしかないか…」と、アシリパと土方が一緒に映った写真を見せるだけでも信用させられるのではないかとまで。
実際ウイルクは、アシリパのマキリを持って、アシリパさんについての思いを伝えた杉元に金塊のことを伝えようとした。ウイルクがそこまで絶対的にアシリパに金塊を託すことに拘って、どうさせようとしているのか、土方は知っているからこそああいう行動をとったのか?
あと話は戻って、全部の目的ごっちゃにできそうという話。サトル先生は「最後は大団円になる」とインタビューで仰ってましたが、その大団円が“全員の目的がかなう”という大団円の可能性はあったりするかな。目的が叶っても死なないとは限らないみたいな。だってなんか…誰かは絶対死にそうだから…

・キロランケ
「あいつが…変わってしまったんだ。金塊の情報を古い仲間たちに伝えに行くはずだったのに…」と言っていましたが、キロランケの言う“変わった”タイミングとはいつのことなのか?
漠然と読んでると五年前の事件の時点で「変わってしまった」と言ってるようにも読めますが、そうではなく純粋にパルチザンの仲間としてアシリパと一緒にウイルクの所へ約束を果たしに行くつもりで行動していたのが、裏切られたとキロランケが感じる何かが旅の途中にあった…という風に解釈してみる。
とすると一番怪しいのは、やはり土方と二人で白石追ってた時の会話。
キロランケがウイルクの裏切りを確信するようなことを、あの時土方が伝えた可能性…
ただ網走でキロランケが「あやしいぜあのジイさん」と言っていたので、少なくともあやしい止まりの認識しかキロランケは持ってないということになりますが。
160話で想像を遥かに超えたとんでもない男だということが明らかになったキロランケ…自分の正義を信じ切ってるがゆえにその為なら何でもしてのけるタイプの悪人なので、情には厚いところがある。それがどう転ぶか? このままラスボスになるのか?(ラスボスとは)

・杉元
二百円くれ、残りはアンタらの好きにすればいい。というスタンスながらも、あの刺青人皮への常軌を逸した執着を「梅ちゃんの治療費ため、寅次との約束のため」という理由だけで説明し切れるものなのだろうか。たとえ罪滅ぼしとか負い目とか色んな付加価値をそこに付けてるんだとしても、それにしても描かれ方が特異な気がしますが…金塊への執着はむしろ薄いっぽいんですよね。酔って忘れたり、のっぺらぼうとの会話でも二の次だったり。でも皮には執着がすごい…どういう心理なんだ…
あと地味にすごい気になってるのが、顔の傷がいつ付いたのか?ということなんですよね。
アシリパさんを人質にとった時の、杉元の怒りの投げ軍刀でついた傷が未だに消えていない谷垣に比べると、杉元は顔に関してはどんなダメージでも全部傷跡残らず治ってる。刺し傷って治りにくいのにね。
だからこそ、その杉元でもこれほどはっきりと残るその傷が、どういった経緯でついたものなのか?ってことが“強い思いの籠った刀傷は消えない”というるろ剣理論に基づいて非常に気になります。
初対面のインカラマッに「私傷のある男性にとても弱いんです。そちらの兵隊さんもとても男前ですね」と言われて気まずげに「そりゃどうも」と言ったのは、よせやぁいの恥じらいもあるでしょうけど、傷について触れられたからだったのでは?
梅ちゃんの結婚式の時、村に一度戻ってきた時にはまだ無かったですよね。戦時中の回想にはどの時点でも既についている。戦中回想で一番古いのは、今の所谷垣が見た、白襷隊から生き残った杉元の姿…ただその時点でも、既に数か月前から戦っていた兵だと谷垣が述べている。傷がついたのは出征後か?出征前か?出征前だとしたら…どこで?
最初の殺人で付いた、とかなのかな。

…今思いつく各陣営のきな臭いところはこんな感じです。まとめると…全員怪しい、ということです。(ズコー)
「金塊なんぞに目の眩んだ人と人との殺し合いだ。獣を殺す方がまだ罪悪感がある」と言い切っていち早く満足して退場した二瓶の潔さが胸にしみます。でも二瓶の発言ってわりとこの作品のテーマに重要なことばかりの気がする。
まあどんどん壮大な話になってきて、金塊争奪戦の行方はもはや見当もつかないので今後の展開を待つとして、以下現状一番の謎である尾形百之助とは一体何なのか? 何考えてるのか?ということをつらつら考えてみました。実際当たってるかどうかはこの際置いといて。

2.尾形の「欠けているもの」

尾形という人物は目的云々の前に、とにかく“希望”というものを口にしません。何がしたいこうして欲しいあれが欲しいというような。
こんなにグルメ漫画なのに何が食べたいとか、何がおいしいとかも言わないし。「好きな食べ物ならヒンナできるか? 尾形の好きな食べ物はなんだ?」とアシリパ先生にシパシパ問われても沈黙。
そもそも好きな食べ物が「あんこう鍋」の男です。“父がおいしいと言った食べ物”で、母親が毎日自分ではない相手のために作り続けた食べ物。「俺“も”好きで、食べてました」自分以外のワンクッションを置いた感情…“好き”とは…?
“提案”は普通にするんですがね。こうしようぜ、こうしたらいいだろ、と。でもそれは尾形自身が“そうしたい”ことではなくてあくまで相手の意志を問う言葉です。
何故かいつも火鉢やストーブの傍にいるとか、チョウチョに手伸ばしてたところなんかは尾形だけの意思ですけどそれは希望というより本能なんで…猫の…

思うのは、尾形というのは消去法の男なんじゃないかと。
尾形が何を望んでいるか、という視点で見ていてもよくわかりません。どの陣営にも属していながらどの思想にも属さない。言動からも行動からも何を求めているのか読めない。
それは隠されていて分からないのではなくて、“端からそんなものは無い”から見えないのだとしたら? 目指すゴールが見えないのではなくて、ゴールを目指していない。そこで、尾形が“したがっている事”ではなくて、単に“していること”だけを追ってみると、そこにあるのはただただ確認・判断の繰り返しです。

ひとつの仮定として、彼にはそもそも何かを選び取る源、いうなれば願望とか欲とかいったものが無い。ただ、判断ならばできる。だから「知りたい」という気持ちはある。
どの辺でそう思うかと言えば、やはり103話のあんこう鍋です。失血して死を待つ父の横での陳述には恐ろしく“温度”がない。物語る半生には状況と理解と判断と結論だけがあり、恨みつらみも、後悔も、未練もない。それこそが「欠けている何か」なのでは?
家族皆殺しというとんでもない所業ですが、母も弟も父も、憎んではいない。父の問いを肯定しなかった尾形は、母を疎んでいなかったし、弟を妬んでいなかったし、父を恨んでもいなかった。

母毒殺の動機である「母は最後に愛した人に会えるだろう」という発言は独特です。よくこの動機の類似にサイコパス診断テストの設問が挙げられますが、あれは肉親の葬式に来た人に“自分が”会えるから肉親を殺した、という話でした。けど尾形は、あくまで“母自身が”会えるように、と言っている。
生命活動が続いているか否かは、会う会わないに関係ない。そういう行動と事実が起こったということが重要であり、死んだ者にとって意味があるという考え方は、“儀礼”ですよね。

作中ではアイヌの宗教観が再三提示されます。アイヌは力の及ばないものや、身の回りの役に立つものすべてをカムイとして敬い、感謝の儀礼を行って良い関係を保ってきた。つまり、人間に限らずこの世のすべてのものに魂、意思があるのだとみなす。そうした宗教観をアニミズムと言います。
なんかの本で読みましたが、人間の認識過程はみなアニミズムから出発するのだと。自然現象や物に過ぎない、人間ではないものに“あえて魂を想定する”のではなく、初めはみな“自分と同じように”そこに魂があると想定する。それが成長するにつれて、“人間ではないから魂を想定する必要はないのだ”という認識を獲得していくのだそうです。自我が確立することで相対的に世界が対象化していくのでしょうね。
それをどこまで広げていくかは個々人で差があり、宗教はある程度それを定義づけるシステムであるわけですが…結局どういう意思を想定するのであれ、そう見做すのはあくまで孤立した人間の意識です。
例えば蝗害の発生を、キラウシニシパは姉畑先生の行為に怒り収まらぬカムイたちの意思とみなし、アシリパさんはシペシペッキがインカラマッと話す機会をくれたとみなした。目に映るすべては己を起点に位置づけられる。

己の意思とは関係なく、既に起こっていること、もの…人がこの世に生を受けることもその一つです。
「子供は親を選べません」と言った尾形は、「愛という言葉は神と同じくらい存在があやふやなものですが」と続けます。選ばずに生まれてきた己という子、その現象に意思があるとして、その主体に“神”を据えるようなことが尾形にはできなかった。そもそも宗教って基本的に家についてくるもんですしね。
だとすれば、“親”の意思しかない。子が生まれ得る親の意思は確かに“愛”と定義されるものでしょう。しかし父上にそれはなかったことが証明された。

人が長ずるにつれて、己以外の意思を己の思考から排除していくのは、それだけ己の意思や感情、ひっくるめて“自我”が肥大していくからだと思います。実際この世の現象は理不尽なもので、どこかでそこに意思なんかないと見限る必要がある。というか、自我が強くなるから見限ることが出来るようになる。己を殺そうとする相手は皆悪人で、悪人は人の心がないから痛みをそれほど感じない筈だと信じることにより生き残った杉元のように、際限なく。
しかし己の中で大きくなっていくはずのそれが、欠けた人間は? 
“祝福”という言い回し。己の存在を望む、他者の意思。
母親の葬式に父親が来なかった時点で、一度尾形は納得したのか、それとも納得し切れていないから軍属になったのか。
いずれにせよ尾形の目の前には“成功例”が現れました。同じ種から生まれていながら、愛を持ち、喜びを抱き、それを己に向けて来る満たされた男。「一人っ子育ちでずっと兄弟が欲しかった」と、己の存在が望まれている。しかしそれを尾形は望めない。その元となるものを付与されていないから…始まりが欠けているから。そして、それさえ有ればこう在れたのだと、証明される。純粋な好意とともに。

尾形には殺した家族三人のことを、どこか敬っているような雰囲気すらあります。弟のことも「高潔」と評して、人柄を褒めている。妬んでいたわけではないと言っている通り、そこには相手を貶めて自己肯定や自己憐憫を図るような“欲求”がない。
祝福して欲しい、のではない。だって弟殺したの自分ですって正直に言っちゃうんだもん。母親の死の詳細も言っちゃうし。しかもそれらは恨み言でも嫌がらせでもない。
儀礼”という感じです。要求ではなくて、問うという行為を捧げている。だから正直に言わないと意味がない。返答を想定して祈ったりしないように、一方向で完結している行為。
多分尾形にはそれ以外のやり方が分からない。鳥があるのにあんこう鍋を作り続ける心が、執着が、欲求が尾形には分からないから、儀式化するしかない。
食されることもなく積み上げられ続けた鳥の死骸。届かない供物…

ただ、勇作さんを撃った行為についてなんですが…読み返してる内に他にもひとつ、理由としてこじつけられる箇所があることに気付きました。
第七師団に甚大な被害を出した旅順攻囲戦、その作戦の参謀長だった花沢中将は手柄を立てようと無謀な作戦を強いたとして非難され、責任を問われた。その後の自刃の真相はアレだったとして、鯉登少将宛てに花沢中将が自刃前送ったという手紙…本人が本当に書いたものかどうかはちょっと怪しいところですが、船上で少将が語ったその内容。
息子である勇作が最前線で戦死したことで「愚かな父の面目を保ってくれた」とは、作戦が結果的に無謀な愚策であったにしても、失った息子の存在が、その過失に対するひとつの禊になってくれた…という意味ですよね?
仮に手紙が偽物だったとしても、対外的に勇作さんの死がそういう構図を持ったことは事実なわけで。
えっ…そのため…だったりすることある? マジで生贄だったりした? 父上のためのハント? 父上の鳥?
203高地の回想では「この無謀な攻略を命令させた連中に機関銃の音を間近で聞かせてやりたい」と鶴見中尉が言っていました。一斉掃射される兵士達は皆が身をもって、絶望とともに作戦の無謀さを理解していたでしょう。
そうだったらどうしよう、程度の話ではありますが。頭抱えちゃうね。ごんぎつねかお前は? こうなってくると谷垣狩りの時の「遠距離狙撃の戦術的効果はいつも上官に言っていたのだがね。俺のような精密射撃を得意とする部隊を作っておけばあんなに死なずに済んだはずだ。今となってはどうでもいいが」という発言も、父上が参謀長だし作戦成功するようにと思って何度も言ってたけどいまはもういい。みたいな意味に思えてきてしまうな。
飼い主がどう思うかは関係なく、枕元にせっせと鼠や雀の死骸を置いていく猫は、別に喜んで欲しいわけではない。そういう存在だから猫はそうする。
普通は、結果的に殺しちゃってんだから名誉も何も関係ないんじゃんという話で否定出来るんですが、「母上は最後に愛した人に会えるだろう(自分の葬式で)」の男なんでわかんないすわ…。子供の時分であったが故の、未分化な世界認識と思うじゃん? でも感覚を分化する自我が欠けているとしたら、尾形にとって死とは、存在とは、意思とは…。生と死は等価値なんだ、尾形にとってはね。生は死の始まり、死は現実の続き…(すぐエヴァの話するオタク)
「失った軍神」は失われたからこそ軍神として祀れるようになった。悲劇は人を英雄化する。中尉がそうさせたのは今後の計略に生かす為でしかない。先しか見据えていない。だから自分の未来のために巣立ちを成就させた尾形を称賛し、後の栄達を約束した。でも多分、尾形はそんなことのために父を殺したのではなかった。

観念的な話ばかりになってしまったのでシンプルに言い直すと、尾形はいわゆるサイコパスとかソシオパス、とかいう社会的な定義とはまた違うパーソナリティだと思うんですよね。鶴見中尉が「巣が歪んでいるから君は歪んで大きくなった」と江渡貝くぅんに巣立ちを促していましたが、それ以前の状態で大きくなってすらいないまま保持されているような…巣から落ちているような…
他者の意思と自己の意思との接続がないから、利己的、ですらない。自分に向かう矢印を与えられなかったがゆえに、自分から向かっていく矢印を持たない。だから殺すのも与えるのも、自分のためですらない。愛がないゆえに無償…
まあこればかりは答えの出ない問題なので言葉遊びに過ぎないんですが、ただ雷蝮夫婦の赤ちゃんにフチが歌う子守唄で眠る尾形が大写しになってたので、尾形が"そういう存在"と対比して描かれているのは確か。赤ちゃん…キッズですらない…そこから既に躓いてるってこと、なのかな…ハハッ…

雷蝮夫婦がもしこの赤子を育てたら、どんな人間に育ったのか興味があったな、と鶴見中尉は言いました。
ところで鶴見中尉こそサイコパスの定義ドンピシャって感じですよね。嘘つきで共感性がなく利己的だけども非常に口が上手く魅力的。元々そういう要因があった所に前頭葉の負傷(サイコパス前頭葉の器質的な問題が原因とされる)が加わってフルコンボだドン!って感じなんでしょうか。
話を戻しまして、鶴見中尉は「子供は親を選べない。あの夫婦は凶悪だったが、愛があった」とも言った。少なくとも尾形みたいにはならなかったってことですね(白目)
そんなどこまで知っていて何を考えているやらな鶴見中尉の言葉に、にべもなく「生粋の凶悪な殺人者でしょう」とバッサリの月島軍曹。
月島軍曹は尾形と同じ父親殺しの男ですが、殺害に至る経緯が真逆です。己の中に抱き続けてきた憎しみが溢れて、一人の男として父を殺した人です。
愛する女性を持ち、それを失い、諦めを抱いて、感情を抑圧しながら今は余生を忠義に尽くしている大人の中の大人。
そんな激シブ月島軍曹が尾形のnullな気持ちを理解できるとは思えないので、江渡貝邸で言った「わかっているぞ貴様の魂胆は」云々の推測は正解ではないんじゃないのかなと思ってるんですが。大人はわかってくれない。(チカパシとエノノカ表紙のアオリ)
ご主人様に獲物を差し出そうとしている飼い猫、あたりの形容は大体あってるとしても、内心の推測、は外してるみたいな。他人からどう思われたいと欲求する視点がすっぽり欠け落ちてるから父上より評価されたいってしっくりこない。ましてや社会的な集団からの評価を…そういうのに全く頓着しないからこそ戦友とか仲間とかも頓着しないんでしょうし。

何せあの鶴見中尉にすら「いまいち腹の底が読めない」と言わせた男ですからね。ニシンの心は我々には読めないが人の心は操れると豪語していたあの鶴見中尉がですよ? 尾形はニシンなんですよ。
「わかっているのは兵士として卓出で、敵に回すと非常に厄介だということ…」と語る顔が遠い目をしてぼんやり気味でした。その後二階堂に「でも尾形ってイヤな奴だよね~洋平も嫌いだよね?」と水を差されてイラついたように耳をぶん投げていた鶴見中尉。これはただの欲目かもしれませんが、中尉って尾形のことかなり気に入ってたんじゃないでしょうか?
兵士として卓出と称される尾形の強さはたぶん、「殺意がない」ことだと思うんですよね。
他のキャラクターは他人を殺そうとする時に瞳孔が開いたり変な汁出たり奇声発したりするんですけど、尾形は全く変わらない。手段としての殺しでしかない。だからこそ杉元は撃たれた時に「あいつを感じた」と言い切れたんじゃないでしょうか。あまりにも殺しの形態が特異だから。
人間に限らず、警戒心が強いから仕留めにくいと言われた山馴鹿ですら全滅させるほどの腕前は、射撃の精密さ以上に“木化け”すら不要な心のなさが要因としてあるのではないかと。もともと木なんですよ。
その特性は、走る銃座としての役割を求められる兵士として、これ以上ない“機能美”では?
ヒグマが圧倒的な力で人間を襲う、誰がヒグマを責めますか?と破壊力に特化した兵器を賛美した中尉は、生まれついてそういう生き物であるかのように自然に人を殺す尾形を“軍神の遺児”として祀り上げようとまでしていた。
馬車内で膝を撫でて称賛する中尉は、当の尾形には「たらしめが…」と内心でバッサリされて全然懐柔できなかったわけですが、あれは別に懐柔しようとしていたのではなくて中尉的に本当に可愛がっていた可能性もあるのでは…よしよしなでなで…

そんな尾形の、他人の意思への不干渉さというか、他者と断絶した精神性を見ると、東奔西走する尾形のコウモリ野郎っぷりというのも遠い大きな野望を目指した真意の読めないぶらり途中下車の旅というよりは、行き当たりばったりの片道切符の繰り返しだったのではないか、と。
どれがいいとかこうしたいとかは無くても、これはちがう、というのはある。スタートとして、鶴見中尉の何かを尾形は拒否した。
「よくやったぞ。よくやった…」とナデナデするのはわりと惜しいアプローチの気もするんですが…中尉が他人の懐柔法でまったく見当外れなことするとも思えないですしね。
中尉の想像していたよりも尾形はずっと冷めていたのか、幼かったのか、あるいは一途(父上に)だったのか。
一貫して、鶴見中尉を信奉している、鶴見中尉と繋がりがあると判断した相手には厳しめの対応をしている印象ですが。超警戒してますよね。
解放感で髪伸ばしちゃうくらいですから…よっぽど鶴見中尉のとこもうむりって感じだったんでしょうか…

そうして転がり込んだのは土方一派。茨戸でどんなもんだいした刺青人皮、共有じゃなくてあげちゃってますよね。やっぱ最初から交渉用に狙ってたんだろうなあ。必ず写しも入手する杉元と比べて、それ以降あまり皮に興味を示さないし。わらしべ長者か…
火鉢を前に土方の狙いと現状を聞き、意味深な笑みを浮かべ頭を撫でてましたが、あれ、ちょっとガッカリした顔っぽく見える。鶴見中尉の思想にバイバイして土方のとこに来たものの、目的だけを聞く限りじゃ鶴見よりマシというほどではなくて、ちょっとスンッてしたのかもしれない。
「一矢報いるだけが目的じゃあアンタについていく人間が可哀想じゃないか?」という、伸びながら放った一言はかなり印象的です。その思想は正しいのか? 政治や集団関係なく、アンタ個人はそう思っているのか? と、ものすごい素直に訊いている。
牛山とか後の杉元とか、「アンタの狙いはこうか?」という問答はあっても、今更土方歳三に目的そのものの是非を問い直す人間ってあんまり居なそう。
刺青人皮もあるしとりあえず連れて帰ったものの、新聞から目を離さず尾形のことはわりとどうでも良さ気だった土方も面白そうな顔してます。
のっぺらぼうのアイヌ殺し、その動機に尾形は強く関心を持っていた様子。アイヌの葬式の風習を踏まえた上で、「殺された七名に対するどこか懺悔のようなものを感じる」と評しながら凶行に至った理由を詳しく考える尾形に、牛山も知らされていなかったのっぺらぼう情報をあげちゃう土方。
尾形が土方の所に転がり込んだのは、のっぺらぼうの事をもっと詳しく知りたかったから?

夕張での「これでは鶴見中尉に有利過ぎる」という、まるで各陣営のバランスをとるような発言も引っかかっていたんですが、“強いてどこに勝って欲しいとかは無いけど”と言葉の前に付けるとしっくりくる。どこも応援してないけどそこは嫌、っていう。
そして晩餐の前、尾形はアシリパがのっぺらぼうの娘という新事実を耳にする。その「まさか…」はどういう表情なんですか尾形さぁん? 尾形だけが知ってる情報って絶対まだなんかありそうなんだよな…

江渡貝邸で用心棒として活躍した後は、しばらく杉元とアシリパさんの方のチームで牛山と一緒にグルメ珍道中に参加する事になりますが、ヤマシギをスッて狩ろうとしたらアシリパさんに止められて「なんでだよ食うんだろ?」って訊くの超かわいい。
銃じゃ無理だって言われて「フン…」って頭撫でる姿が最高にかわいい。(とれるのに…)って感じで。
そして翌朝実際に三羽も仕留めてくる。木だからね。チートだから。
牛山に「散弾でもないのに大したもんだ」と素直に称賛されて空前絶後のどんなもんだい顔を披露する尾形最強にかわいい。
もしかして尾形の行動って大体「どんなもんだい」で説明できるのでは? 君なにか獲ってくること=社会性だと思ってない???人間の世界はちょっとちがうんだよ????

空気を読む大人たちを差し置いて「いや俺はいらん」って脳みそ断ったり、今日のことを我々は忘れるべきだって頭切り替えて料理に勤しむ婦人たちの調理器具に「オイそれさっき囚人の頭を殴ってたやつだろ」って指さして指摘したり、ヒンナ?チタタプ?何それって言わなかったりする尾形。
蝮の毒を尾形ちゃん吸ってくれよ!と白石に頼まれ、「歯茎とかから毒が入ったら…嫌だから」と断るシーンとかすごいなんかもう尾形。色々と気持ち悪いから嫌だ!とバッサリ断って薬草探しに行くアシリパさんに対して、ちゃんと個人的な理由をつけるこの感じ。尾形って独りで考えるがゆえに理屈が無いと感情を定義付けられなさそう。

“欲情を刺激しひとりでいては気絶するほど”のラッコ鍋を囲んだ時には、みんなで居るのに「頭がクラクラする…」と言って半ば気絶してしまう。こいつ…マジで他人に向かう欲とか情とかに耐性が無い…むしろ無い…?
姉畑先生の勇姿を見て「なんてこった」という反応といい、「男ってのは出すもん出すとそうなんのよ」という冷めた言葉といい、性欲も薄そうですね。こんなにセクシー上等兵なのにね。
出すもん出すとそうなる=出すもん出すまではアシリパさんの言うような筋の通った考え方が男はできないもんなのよ、という意味として、自分を作った行為を想定して言ってるんだとしたら最高に虚しいですね。まあ愛が無かったとしたらデキる原因なんて性欲しか無いからね。
ラッコ鍋的に尾形の他人に向かう情欲は限りなく乏しいと推測されるとして、じゃあ尾形はそういう男性の賢者モード的習性を一体どういう経緯で理解させられるに至ったのぉ?(やめろッ)

そんな虚無の男である尾形が面倒見のいいアシリパ先生の「みんなチタタプ言ってるぞ? 本当のチタタプでチタタプ言わないならいつ言うんだ? みんなと気持ちをひとつにしておこうと思ったんだが」という説得に、とうとう小声でチタタプを言ったコマを見ると、なんかもう胸が苦しい。お前…どんな…今お前の中にはどういう感情が…みんなと気持ちをひとつにしておこうと思った、というアシリパさんの思いに小さく、小さく応えたお前の思いは…一体…ウッ…
杉元、谷垣、そこに牛山も加わっての沈黙の真顔が笑えます。わざわざ牛山なんて顔覗かせてるし。大体読者もこんな顔だったんでしょうね。「…? …?? ???」みたいな。
しかしキロランケと谷垣に尾形の出自を聞き出したという土方に盗み聞きを咎められ、「テメエらだってお互いに信頼があるとでもいうのかよ」と皮肉気に笑って引っ込む尾形。気持ちをひとつにはできなかったよアシリパ先生…。土方が本格的に“尾形の目的”を怪しみ始めたところで、尾形は丁度土方一派を離脱したことになる…
キロランケの指示によりウイルクと、ついでに杉元を狙撃した尾形はキロランケ一派に加わり樺太へ。
金塊のありかと暗号の内容を知っていたウイルクを始末することで、アシリパだけがそれを解ける最後の手掛かりとなり、アシリパさえ確保すれば他の陣営は金塊に辿り着けなくなる…キロランケは直接鍵を知りはしないものの、鍵の思い出させ方に心当たりがある。…この金塊競争、尾形は何気にその時その時一番前を走っているグループに居るような。コウモリ野郎~

3.杉元と尾形と人殺しの話

キロランケが「杉元まで撃つ必要があったのか?」と訊いていたので、そこは尾形の独断なわけですが、キロランケに語った理由だけが全てと思っていいのかどうか? 「もしかしたら生きてるかもしれんぞ」と言う顔が非常に悪い顔で楽しそうです。やはり尾形の殺しは全て“狩り”なんでしょうね。絶対殺すマンではない。虚無マンだから。防衛以外の殺しはすべて何かのためのもの。
なら誰の為の獲物なのか…言う通りキロランケなのか。まあ「あるいはアンタのことか」と言っていたキロランケ事情が想像を絶するヤバさだったので普通に納得はできますが。というかやはり尾形はキロランケの出自を知っている…?
あるいは、アシリパさんに関することのためなのか。殺しといた方がためになると思うような何かがあった?
土方も網走では、アシリパさんから杉元を引き離す行動に出ました。それに対する杉元の「土方はいずれ俺が邪魔になるはずだから…」という発言は、今後の伏線ではないとしたら、ウイルクに吐露した通り“アシリパさんを金塊に纏わる政治的なしがらみに参加させたくない”と杉元が望んでいることを指しているんでしょうか。
杉元は一番アシリパさんに対して影響力が強いし、土方はアシリパさんを近藤さんにする気満々なのでまあ…邪魔になるのかな。新選組面子に杉元を例えてたし、当初土方は杉元も引き入れたいと思っていそうでした。ただ、トニさんに「あの男はあんたにそっくりだ」と言われた時に、こいつは懐柔できんなと思ったのかもしれないですね。鬼の副長は二人存在できない…

谷垣とインカラマッはフチの所に戻れと言い、アシリパさんも知りたいと言いつつ会うのが怖いとも言っていた。それを「最後まで俺がついてるから」と会うよう促したのは杉元です。
釧路でフチが塞ぎ込んでいるという報せを受け動揺するアシリパさんに、戻ろうか?って訊いてる所の諦観を滲ませたような表情は印象的でした。まあ旅を中断して一度戻れば金塊はかなり遠退くにしても…かつてはアシリパさんの身を慮りコタンに置いていこうとした事もありましたが、今や離れる選択肢は無くなってしまったんですね。網走で「アイヌの少女も…ちゃんといたか?」と鶴見中尉が訊いていたように、途中で離脱する可能性はあったはずでした。
あの時と同じように「子供扱いするな」と言って、自分の未来の為に前へ進むんだと決意したアシリパさん。杉元の、嬉しそうな横顔…
しかしのっぺらぼうに会った杉元は、「本当は会わせたくない、アシリパさんを巻き込むアンタに賛同できない」と金塊そっちのけで物申した。フチの所で自然と一緒にヒンナヒンナしていたアシリパさんこそ杉元の望む姿なのだと。それはアイヌの伝統と、アシリパさん自身の考え方に、杉元が救われていたから。
であるとすれば、杉元がアシリパさんをのっぺらぼうに会わそうと奔走したのは、本当のことを知り、知った上で過去に区切りをつけてもらうため。杉元は、アシリパさんに“巣立ち”させたかったということになる。
他人に巣立ちさせるスペシャリストといえば鶴見中尉。そんな鶴見中尉と今手を組んでいる状況の杉元…
鶴見中尉の巣立ちは破壊ありきなんでまた別の話ではありますが。ただ「決めるんだ江渡貝くんの意志で…」というノリで「決めるんだアシリパさんの意志で…」とウイルクからの相続を放棄させそうな感じはある。
そんなウイルクをアシリパさんと会話させる前に始末した、巣立ち代行サービスに定評のある尾形。
茨戸にて、野心も度胸もなく父親に殺されそうになった無害な新平の代わりにオヤジを殺し、「親殺しってのは…巣立ちのための通過儀礼だぜ。てめえみたいな意気地のない奴が一番ムカつくんだ」と珍しく感情っぽいものを滲ませて言ったものの、ちゃんと土方達が来るまでに新平を送り出してやった尾形の行動。“他人がさせようとしてくる巣立ち”が嫌いなのか?

「今頃怒り狂ってるかもな」と笑っていた尾形の予想通り、尾形とキロランケ絶対殺すマンと化した杉元。
杉元は優しい男ですが、人一倍感情豊かな男だからこそ、人一倍強い殺意も抱けてしまうのが恐ろしい所です。100話でアシリパさんが「死ぬとき鈴川は苦しんでいたか?」と訊いた時、杉元は「悪人は人の心が欠けているから、普通の人間より痛みも感じない筈だ。だからいちいち同情しなくていい」という持論を述べました。俺はそう思うようにしてきた、俺たちはそうでもしなきゃ生き残れなかったんだと。
事実、杉元は自分に向かって来るシカに「自分と同じだ」と共感してしまった途端、手も足も出なくなった。
倫理というのは衝動のブレーキです。走る人間はどこかでブレーキをかけなければならないけれど、戦場では走り続けていないと死ぬ。杉元は情け深いが故に、そのブレーキを徹底的に壊す必要があった。
それが元に戻るまで、アシリパさんは付き合ってくれると言ってくれましたが…。リュウに引きずられつつ、「信じろ杉元。何があっても私は…」と。
アイヌの村で事が終わった後の惨状を見て愕然としたアシリパさんに対し、尾形は殺戮の光景をそばで見ていた上で「おっかねえ野郎だ」と杉元を評した。
尾形は殺すことに躊躇がないけど、殺さないことも出来る。殺意なく殺せるから、衒いなくやめられる。
真逆の二人、スイッチ式速攻殺意の杉元と電源不要の尾形…どちらがより恐ろしいのか? より罪深いのか?
ただ、“悪人だから痛みを感じない”というのはアシリパさんも言った通り、ごまかしです。そう言い聞かせているだけで、それを杉元も本当は分かっている。鈴川、小指に棒振り下ろされて痛あッつってましたし。
「人間を殺せば地獄行きだと? それなら俺は特等席だ」という開き直りにしても、死後に罰を設定することで生前の罪を留保し続ける…それを人を殺し続ける言い訳にすることは、本来倫理道徳に寄与するための宗教観の堕落という感じがする。
本来優しい人間であるからこそ、そうした欺瞞が必要になってしまう。悲しいことです。うつったら困るからと、想い合った女性にすら背を向けて身を引いた杉元は、本来戦争なんか無ければ一生人を殺すことは無かったでしょう。
そういう杉元の葛藤が覗くシーンが好きです。トニさんを「オラ咥えろよこの野郎」と暴力的に圧倒していたのに、「確かにあんたからは人殺しのニオイがぷんぷんするもんな」と言われた瞬間、惚れた女の記憶が過り固まってしまう杉元の顔…むせるぜ。
ただ、それはそれとして。尾形百之助だけは、杉元の言う「痛みを感じない悪人」に当てはまる人間なんじゃないでしょうか。
何せ「片腕だけに」とか冗談を飛ばす男。死ねコウモリ野郎と殺されかけて血まみれの中、笑ってみせた奴でもある。
他人を殺すのに憎しみや怒りや殺意すら要らない、仲間意識のかけらもなく情も持ち合わせない、杉元の作り出した幻想の産物であるはずの、人の姿をした化け物。
杉元を何でもないように殺そうとしたし、また杉元が己を殺そうとしても何でもないように笑うでしょう。同情する必要なんかない、だって感情なんか殆ど無いのだから。
しかし、だから、殺していいヤツなのか? というと…。わからない。杉元はずっとシャチで居続けるのか。
尾形は手に負えないどうしようもない妖怪ですが、杉元には殺して欲しくないと思ってしまう。杉元自身がいつか戻るために。殺そうとしていいけど、殺し損ねてほしい。(?)
第七師団のヤツから助けた真意を問うように「なんだよ。お礼を言って欲しいのか?」と血まみれで笑う尾形に「お前が好きで助けたわけじゃねえよ、コウモリ野郎」って返す杉元最高にいい男だったし、後々「俺も別に好きじゃねえぜ、杉元…」と言いながらこっそりちゃんと礼をした尾形はなんかいじらしかったですね…案外会話の多い二人でもありました。
まあまずトモダチにはなれないのはわかってますが。再会したとして、また尾形が殺そうとするなら、尾形は接近戦ならまず勝ち目は無いから…殺してもいいよ…なるべく苦しませてやってね…(???)

4.アシリパさんと尾形

樺太に来てからキロランケは少しずつ己の仲間だった頃のウイルクの話をして、アシリパに父のことを思い出させようと、そして極東ロシアの歴史と現状を理解させようとしています。そういう話の時に尾形が決まって影を背負うのはどういう心境なのか…
キロランケに対し、「いまアシㇼパの頭の中には暗号を解く鍵があるはず…でいいな?」と会話の狙いを確認し、「思いつかんのかそれとも…知らないふりをしているのか?」とアシリパの様子を伺っていました。
金塊の鍵は思い出してもらわないと困る。けれど、ウイルクの話と民族教育には拒否感を覚えている? それとも企みがあるがゆえの影なのか?
“父”しかも国絡みの組織のリーダー、なんて話題は尾形にとっての地雷臭しかしないですが…
尾形はこのパーティーになってから、アシリパさんを名前で呼ぶようになりました。呼ぶ度にものすごいインパクトを与える罪な男。だってなんか…キラキラしてるんだもん…
樺太に上陸した時の「行こう…アシㇼパ…」と、キロランケのアチャ話にちょっと影を背負った後の「一緒に行くか? アシㇼパ…」の、この「…」がね。なんか、“アシㇼパに”決めて欲しいんだなって感じがある。返答を待つ間というか。
初めて呼んだシーンは鳥が飛んでる寂しい風景と直前の凶行とのギャップ、物語の節目なのも相まって、なんだか無性に切なくなります。塞ぎ込むアシリパさんを振り返り、ただ静かに待っている男…
「しっかりしろ 元気を出すんだ」とかさ。翻訳文かよ。元気なんて生まれてこの方湧いた事も無さそうな顔しやがって…って思って胸が苦しい。苦しくても苦しくないから苦しむ人への励ましが下手。もしや人生初の励ましなんじゃない? 励まし処女かよ。
それにしてもアシリパさんが見上げた視点から見る尾形に滲んだこの…穏やかな…主にトーンによる…何かは、なんか、なんだろう、…あたたかさ…?(錯乱)
これまでで少しずつ尾形はアシリパさんになついていた感じはありますが。餌付けもすっかり進み、今や脳みそも食べるようになった尾形。
父が母を愛情のなさが故に見捨てたことを瑕疵だと考えているのは、尾形の数少ない価値観に関する発言…感情ではないけれども、定義として正当だと感じている、いわば倫理観を表したものだと思います。人が人を想うことは尾形にとっては正しい。
だから他人事なんだけれども、杉元を好いているアシリパさんの想いには笑顔を見せるし、フチを心配する想いには「手紙でも送れよ」と積極的に発言したりする。自称バアちゃん子だもんな。
そういうアシリパさんの人柄を見てきているので、アシリパさんを信じられる人間とみなしてはいそう。
行動だけ見てると確実にアシリパさんを守っていますが、そのアシリパさんへの守護は、金塊の鍵として守るためのものでしかないのだろうか…? 何かがあるんじゃないか…? 例えば…そう……やさしさ…とかさ…(虚空を見つめながら)
樺太やばたにえんですが、現状厄介ごとから遠ざけるにはこうして物理的に遠ざかるのが最善のような気もしますしね。インカラマッの狙い通りのっぺらぼうとアシリパが揃って鶴見に確保されれば、確かに鶴見は金塊をゲットするだけでアイヌを利用するとは言ってないから解放される可能性はある。だから杉元も直接的に利用する土方よりは鶴見と手を組むのを良しとした。
でものっぺらぼうがあんな姿にされながらも口を割らず、娘だけに託そうとした執念を思うと、ただ引き合わせて喋って終わるわけがない。何かをさせるためにアシリパを呼んでいたわけだから。アシリパにしか託す気がないのっぺらぼうの存在が、絶対にアシリパを巻き込む。
そののっぺらぼうが死んだ今、唯一の手掛かりとなったアシリパが鶴見の手に渡る…やだ怖い。
そもそも北海道を制圧して、豊富な資源を利用した武器工場とケシ農場作って、アイヌのこれからの生活が保たれるかというとかなり疑問があるよな。確実にそんな土地国外から狙われるだろうし。
土方の新聞使ったアイヌ蜂起プランが、どの程度のっぺらぼうの意を汲んだものなのかというのも謎ですが…まあ何にせよアシリパさんの意は汲んでない。
キロランケは今の所ウイルク思い出話と極東ロシアガイドでアシリパさんに何かしら掴ませようとしていますけども…
それにしても白石も大変ですね、こんな最果てまで同行することになって。尾形がちょくちょく白石を無言で見ているのは、見定めてるんだと思いますが…それは警戒なのか? その時その時でじっと誰か、あるいは何かの様子を見ているのが尾形の習性ですけども。

一番アシリパさんが安全なのは、このまま金塊の鍵を思い出して、金塊をさっさとどこかの所有にして、あとはそこで争ってもらってアシリパさんは帰ること…かなあ。
ただアシリパさん自身が何か目的を持つと話は変わってきますよね。キロランケはそうさせるつもりです。杉元はそのまま今まで通り山で獲物とってヒンナヒンナする生活を送って欲しいと言っていましたが、キロランケが言ってた「北海道のアイヌもいずれこうなる」ってどの程度逼迫した問題なんだろうか。
アチャがアイヌを裏切ったことをどう受け止めればいいのか分からない、と塞いでいましたし、アイヌのためとなったら何かしらの志を持ちそうではありますが…
尾形が最終的に、“アシリパさんの目的”にBETしたら面白いですね。むしろそれが知りたくて今一緒に居るんだったりして。
鶴見も土方も、たぶんキロランケも、尾形にとってはなんかちがうっぽい。今尾形がついてきてるのは他の誰でもなく、アシリパさんなのでは…あのチタタプは、「一緒に行きます」のチタタプだったのでは?

今の展開になって、尾形が杉元のポジションを奪おうとしているって感想を見かけますが、私の解釈としては尾形は四巻で所帯持って退場したレタラさんポジを引き継いでる状態だと思う。マジだよ。
なんか尾形はそういう、動物的なところがいいなって思うんですよね…有害な人間なんだけど、無欲な人間という感じがある。「冷徹」だから合理的な行動しかとらないので余計そう見えるのだろうか。動物は非合理的なことしないからね。
あるいはやっぱり子ども。山馴鹿を華麗にスナイプする尾形を見てると、おじいちゃんの銃で鳥撃ちに行ってた百之助ちゃんがこんなに立派になって…という感動がある。大人というオプションが付いただけで顔立ちは変わんないから、百之助ちゃんを被らせて尾形を見るといじらしく見えてしまうんですよね…
実際現行チームを見てると尾形が一番子供扱いの気がしなくもない。キロランケは最年長の子持ち既婚者で、少年の頃から己の正義を信じて立ち回ってきた大人オブ大人だし、そんなキロランケから見た尾形なんてきっと子どもオブ子ども…「謝ればいいさ煙草あげたら喜ぶから」と肩に手置いて宥めるさまは完全に保護者のそれ…
白石は樺太来てからというもの常にアシリパさんに気遣っててお兄さん感あるし、ピュピュウ☆あたりから尾形はイジっても大人しいと見抜いてる。というかもしかして:遊んでくれている
アシリパさんも「一緒に謝ってやる心配するな」って優しい笑顔で励ましてくれたり、ご飯食べさしてくれたり、完全に面倒みてくれてるよね。感謝しろ尾形。
でもエタシペ食べさせられてヒンナか?って訊かれたとこと、脳みそ食べさせられて「な?」って訊かれたとこ、無言だけどコクンって頷いてる…? やだかわいい…

尾形が最終的にどうなるのか全く見当もつきませんけど、やっぱ尾形は本当の意味では“巣立ち”できてないんだろうなと思います。江渡貝くぅんは死んだ筈の母親の肉体を保存することで、それがある限りはいつまでも存在が継続する“環境”への呪縛でしたが、尾形は父親さえ母か己を愛していれば何か違っていただろうという“己自身”への呪縛を、未来の可能性を断つことで永遠のものにしてしまった感がある。それを後悔はしていないでしょうけど…
今の尾形が父について語る時どんな顔で、どんな言葉を語るのかと思うとドキドキしますね。月島軍曹とか土方とかに父について触れられることはあっても、回想以外で尾形自身が父について語ったことはまだありませんから…
アシリパさんになんかやさしい気がするのは「俺みたいになるな」って感じのアレだったらどうしよう。でも君、アチャみたいに一時でも可愛がられた思い出すらないじゃん?(やめろッ)
キロランケについてきてるのは、キロランケが帝政ロシア絶対潰すマンだからだったりしてとも思ったんですがね。俺の日露戦争はまだ終わってねえみたいな。100話で杉元が言った“戦場から帰ってこれていない兵士”の絵の中に尾形も居たのは、尾形だけ戦争という“状況”から帰ってこれてないのではなくて、父と近づき弟と出会い、己が父の許で戦った、あの日露戦争だけのことを指していたんだよー!!(な、なんだってー)という新説を…いややっぱナシで。
何にせよいつ死んでしまうかとハラハラしながら見守っていくことになりそうです。
読み返してて、オオウバユリと行者ニンニクのくだりの、「自分たちが食料であるとまだ知らない人間に食べて欲しかった。人間に感謝され祀られないと、神様になれないからだ…」という一節でなんかしんみりしてしまいました。尾形の人生には祝福こそ無かったけど、誰かに感謝されるような何かができるといいな…死ぬまでに…(生存ルートはないの?)

というわけで尾形について考えてたら軽く二万字を越えてしまいました。なんなの?発作?
しかもアニメで再登場した尾形の声があまりにもエロエロエロスだったので動揺して解釈が揺らいできた。あの声の色気をあらゆる局面で加味しなければならない気がしてきた、あんこう鍋をあの声でやったらエロすぎて泣くかもしれない。「父上は俺を想ったのか…」ってあの声でねっとり陰鬱に言われたら多分泣く。エロすぎて泣くって何?どういう感情なの?(わからない)
お読みくださった方がいらっしゃいましたらありがとうございます。以上です。